148話 小さな穴が大きくなって(3)

 ジンジロゲ ヤ ジンジロゲ


 久留島秀三郎のことを調べていたら、私の敵だとわかった。それは、こういうことだ。
 彼は、「日本」は「ニッポン」であって、「ニホン」ではないという主張の人で、そう思っているだけなら害はないのだが、ボーイスカウトの重鎮という職に あるので、日本のボーイスカウトの正式英語名を「ボーイスカウト・オブ・ジャパン」から「ボーイスカウト・オブ・ニッポン」とすべきだと主張し、1969 年の全国大会で賛同され、定着したそうだ。私はこのコラムで何度か書いているように、「ニッポン」が大嫌いなのだ。
 こういう話がボーイスカウト関連の資料にあったので、現在はどうかと思ってボーイスカウト日本連盟のサイトを調べてみたら、英語の正式名は「スカウト・アソシエーション・オブ・ジャパン」だ。世界の人に「ジャパンじゃなくて、ニッポンだ」と認めさせるのは簡単じゃない。
 久留島のことを調べていてびっくりしたのは、このことではない。
 孫引きだが、『寮歌は生きている』(旧制高校寮歌保存会編、1965改訂増補版)に、久留島は次のような内容の文章をよせているらしい。
 1908(明治41)年のこと、三高生の久留島が京都ホテルの脇にある親類の造り酒屋に立ち寄ると、インド人が店に入ってきて酒を飲みたいという。店先 で飲まれても困るので、八畳間に上げて酒を飲ませた。そのときにいっしょにいた兄の中野忠八がインド人がうたった歌を覚え、「マイソールの歌」としてボー イスカウト歌集に載せ、のちに「ヒラミルパニア」と改称されて歌い継がれた。
 三高の寮では、新入生歓迎会の行事として、「秘祭 ヂンヂロゲ踊り」というのをやっていた。これは、「ヂンヂロゲ島に伝わる結婚式」ということにした仮 装行列とデタラメ踊りだったらしい。まあ、当時の言葉でわかりやすくいえば、「土人の踊り」である。そのとき、囃子言葉のように歌っていたのが、「ヂンヂ ロゲ」であり「ヒラミルパニア」であり、「印度人尻振りの歌」というものらしい。
 中高年の読者は、1961年の森山加代子の「じんじろげ」(作詞:渡舟人 作曲:中村八大)を思い出したに違いない。そう、あの歌の元歌は、一部インド の歌だったらしい。「ジンジロゲ・・・」という部分の意味はわからない。起源もわからないらしい。しかし、久留島たちが京都で耳にした部分は考証されてい る。あの歌は、雨季を喜ぶ歌だった。著作権の関係で、残念ながらここに歌詞を載せることはできないので、一行だけ。

 ヒラミヤ パニア チョイナダ ディーヤ

 というのは、「雨が降ってきた たちまち川となる」という意味らしい。そういえば、パニは水だなあ。
 というわけで、話はインドに戻った。こうして、ある人名からインターネットで調べていくだけで、いくらでもおもしろいことが見つかる。だが、ここから先 に進もうと思うと、時間もカネもかかるノンフィクションの世界になる。その一歩を踏み出すかどうかが、おもしろい本になるかどうかの分かれ目だ。