223話 東アジアのファーストフード店、再考



  前回まで書いてきた東アジアのファーストフード関連で、ずっと前から読もうと思っていた本にやっと手をつけた。『マクドナルドはグローバルか――東アジア のファーストフード』(ジェームズ・ワトソン編、前川啓治・竹内恵行・岡部曜子訳、新曜社、2003年、2800円)は、出たばかりのころ書店で見つけて 読みたくなったが、まあ、2800円の本だから、そのうち古本屋で見かけたら買おうかと考えているうちに時間が過ぎ去り、しかし、古本屋で見かけるのはい つも『マクドナルド化する社会』(ジョージ・リッツァ、早稲田大学出版部)ばかりで、しかたなくこれも読んでみたが、イマイチ面白みに欠けていた。
 すでに何度も書いてきたように、『ファーストフードマニア』が欲求不満を起こさせる本だったので、すぐさま『マクドナルドはグローバル化』が読みたく なった。編者はハーバード大の教授ということだが、まったく知らない名だ。しかし、執筆者のなかに、『甘さと権力』などで知られるシドニー・ミンツや、ハ ワイ大学東西センター研究員のデビッド・ウーなど、昨年秋にペナンのシンポジウムで会った研究者の名がある。また、協力者リストにも知り合いの名もあり、 もっと早く読んでおけばペナンでいろいろ教えてもらえたのにと後悔。
 さて、この本、傑作だ。おもしろい。『ファーストフードマニア』に関して書いた私の不満が、この本を読めばかなり解決できる。アメリカ生まれのマクドナ ルドが、東アジアの地で活動していくなかで、どんな文化的衝突があったのかというテーマで、北京、香港、台北、ソウル、日本の各事情を研究者が書いた論文 を集めてある。私好みの、異文化衝突、文化変容の本だ。研究者たちが現地で調査したのは、1990年代なかばで、英語の原著が出版されたのが1997年。 日本語版が2003年で、私が読んだのが2008年だから、約10年のタイムラグがあることになる。東アジアの大都市でこの10年の変化は著しいだろう が、それはわかった上で、楽しく読んだ。
 付箋だらけになった本だから、興味深い部分の紹介を始めるときりがない。だから、一点だけに触れることにしよう。私がかねがね気にしていたのは、マクド ナルドの客は、自分で食器を片付けるだろうかというテーマだ。私は、「日本ではおおむね片付けるが、東南アジアでは片付けないのが普通」と推測している。
 この本では、次のように説明している、北京では、西洋人やアメリカ帰りの中国人が食後、自分で食器を片付けるのを一般客が見て、そういうものだと学習し た。それが「西洋文明」なのだと理解したわけで、文明人らしい振る舞いとして、カネを持った中国人が自分で食器を片付けているというのだ。中国語で、 「洋」と「土」という表現があり、「洋」は西洋で、プラス評価。「土」は地元、土地、つまり中国的な事柄を意味し、マイナス評価だという。マクドナルドは 洋なので、「うまいとは思わないが」(中年の中国人の感想)ハンバーガーなるものを食べていると、調査者に答えている。
 北京のマクドナルドは1992年の開店だが、香港では75年の開店なので、もはや特権階級の中級レストランではなく、客は食器を片付けないという習慣が すっかり定着しているのだという。人件費節約のため、店側は客に食器やゴミを片付けてもらおうとキャンペーンを繰り返しているが、いっこうに効果がないら しい。北京と違い、「食器を自分で片付ける」という行為が、ステイタスシンボルにはならないのだ。
 こうやって書き出せば、キリがないほどおもしろい切り口が詰まっているのだが、結論らしきことをまとめると、こういうことになる。アメリカ生まれの ファーストフード店は、「すぐに、手軽に、安く」食べられるからファーストフードなのだが、東アジアではどこでも「急いでいない」というのだ。客は長居す る。マクドナルドは、東アジアではファーストフード店ではないということだ。中国や東南アジアでは、「安い食べ物屋」でもない。料金だけでいえば、中級レ ストランなのだ。