337話 コンビニエンスって、知ってる?

 というわけで、前回ちょっと書いたように、「ついついモノのはずみで、注文してしまった」本がさっき到着した。イギリスに注文して、1週間で到着したわけではなく、この文章はまとめて書いているので、タイムラグは結構ある。現実は、注文後2週間ほど後に到着している。以前は船便で注文していたから、隔世の感がある。
 もうずいぶん前にその本を知り、書名を手帳に書き、折を見て探していた本だ。入手困難本というわけではない。ネット書店で簡単に入手できるのだが、問題はその価格だ。5000円だったか6000円だったか、あるいはそれ以上していたかもしれない。為替レートによって価格は変わるが、私にとってはかなり高価な本だった。
 それでも、内容がはっきりわかるなら、買うかどうかの態度をはっきり決められるのだが、目次もわからない。こういうタイトルの本で、皆さん、内容が想像できますか?
“ Temples of Convenience and Chamber of Delight “ Lucinda Lambton , Pavilion Books , 1995
 コンビニエンスというのは、学校の英語では、「便利、好都合」という意味だとすぐにわかるだろうが、この場合はPublic Convenienceの意味だろう。この語は、Public Lavatory(公衆便所)の婉曲的表現だ。Chamber(発音は、チェインバー)は、一般的にはChamber Music(室内楽)といった使い方で知られているのかもしれないが、私はタイの資料を読んでいて、”AmCham “という略語で知った。American Chamber of Commerce(アメリカ商工会議所)のことだ。この本の場合は、室内楽とも商工会議所とも関係なく、Chamber Potのことだ。チェインバーというのは「会館、部屋」といった意味で、「部屋の壺」とは、おまるや室内便器のことだ。というわけで、この本のタイトルをあえて訳せば、『公衆便所の殿堂、歓喜のおまる』とでもなるのだろう。翻訳家の田中真知さん、こんな訳でいいでしょうか?
 価格から考えて、便器の写真集だろうと想像し、だったら高い値で今すぐ買うことはないかと考えて、安い古本が出るのを待っていたというわけだ。待ち続けること5年以上、つい先日、イギリスの古本屋で、かつての十分の一以下の値段で売っているのを発見し、さっそく注文したのである。
 私が想像していた通りの本だった。多少なりともトイレ研究の道に足を踏み入れた人には、『ヨーロッパ・トイレ博物誌』(海野弘ほか、INAXエキサイト事業部、1988)のような本だといえば、「ああ、なるほどね」とわかるだろう(そんな人、何人いるかなあ?)。
 骨董品的価値のある便器やおまるの写真は大して興味はない。わかったことは、この本が出版された1995年以降にでたトイレ本は、この本を大いに参考にし、資料の供給元になっているということだ。これらのことに触れても、話は大して面白くならないだろうから省略するが、画像資料の点では、参考になった部分もある。しかし、5000円でも買う価値があるのかときかれれば、「私の興味範囲では、その価値はない」といえる。美術品としての古い便器やおまる鑑賞に興味のある人には、買う価値があるかもしれないが。
 この本を含めて、最近まとめて読んだトイレ関係の本で、便座のことがわかってきた。西洋のしゃがみ式便器の場合、歴史的には、陶製便器には便座などないのが普通で、一部のぜいたくな家庭では、冷たい便器に肌が触れるのを避けるために、木製便座をつけたのだという。つまり、かつては、便座がない方が普通らしく、軍隊や寄宿舎などでも、便座なしの便器だったらしい。拙著『東南アジアの日常茶飯』(弘文堂、1988)で、『ロシアにおけるニタリノフの便座について』(椎名誠、新潮社、1987)などを参考に、便座について思いを巡らしたが、ようやく結論らしきものがわかってきた。
 この本を読んで気がついたのは、この本の著者も女性だということだ。以前紹介した
“Toilets of world”も、ふたりの著者は女性だったし、そのあと読んだ『トイレの話をしよう』(ローズ・ジョージ著、大沢章子訳、NHK出版、2009)の著者も女性。単なる偶然とも思えないのだが、トイレ本の翻訳者にも女性が多いような気がする。ちなみに、この欄で『トイレの話をしよう』に触れなかったのは、おもしろくなかったからだ。内容以前に、翻訳調ルポの文体が肌に合わないのだ。
 私が次から次へとトイレ本を読んでいる理由は、しゃがみ式水洗便器誕生のいきさつを知りたいからだ。近代的な水洗便器はイギリスで誕生したのだが、当然ながら腰掛式だ。それが、いつ、どのようないきさつで、アラブ式やインド式の水洗便器が誕生したのか。おそらくは、英領植民地向けの輸出品として、イギリスの便器メーカーが開発したのだろうが、欧米のトイレ研究者は、当然ながらしゃがみ式便器には強い関心を示さないので、いまだ謎が解けない。インターネットやネット書店の網には引っ掛からない情報なので、衛生陶器産業史研究のために、イギリスに行くしかないのだろうか。
 どなたか、しゃがみ式水洗便器開発史に関する情報をお持ちの方、ぜひお知らせください。というわけで、トイレの話,全4回の終了です。