370話 ソウルのトンカス  2/3

 部屋の戸を開けると、すぐ前の縁側に座って話をしている男と女が見えた。私と同世代くらいだろう。女は長い黒髪で、肌はやや黒い。なかなかの美人だ。魅力的な人だ。
「おはようございます」と、挨拶した。
「ええ! 日本人だったんだあ? きのう、ここで見かけたとき、フィリピン人かインドネシア人か、アジア系だけど国籍不明の人がいるなあと思っていたんだけで、日本人だったんですね。あははっ」
 快活に、彼女はしゃべった。
「あなたには言われたくないよ」と、笑いながらずけずけと言った。
「私は沖縄だから、こういう顔なんだけど、あなたは沖縄じゃないでしょ」
「うん、違いますよ」
 そう言ったときには、私も縁側のふたりの前に座り込んでいた。
 男の方は、人柄の良さだけが取り柄という感じで、いつも微笑みを絶やさず、控え目で、ときどきちょっとしゃべるくらいで、自己主張はしない。だから、3人の会話といっても、ほとんど私と彼女が話していた。日記には、「11時に起きて話を始め、翌日の深夜3時半まで、しゃべり続けた」と書いてある。
 彼女は地球一周の旅をしてきたと言った。南米から、何度か乗りついで韓国に飛んできたという。日本を出るときからその男と一緒だったのか、あるいは旅先で知り合い、一緒に旅するようになったのか知らない。どうでもいいことだ。3人といつまでも話し続けたのは、私が日本語の会話に飢えていたせいであり、彼女が魅力的だったからであり、私がまったく知らない中南米の話をたっぷり聞きたかったからでもあるのだが、残念ながら話の内容はまったく覚えていない。日記にも、何も書いてない。
 しばらく縁側で話をしていたら、「お昼、食べに行こうか」ということになって、近所の食堂に行った。壁にお品書きが貼ってあるが、当時ははまだハングルがまったく読めなかったから、値段の数字しかわからない。辛い料理は大好きだから、どんな料理が来ても食べられるから、心配はない。だから、値段だけを頼りに、壁のお品書きを指さして、適当に注文した。こういうバクチは楽しい。意外な料理を期待していたら、別の意味で意外な料理がテーブルに登場した。
 私の前に運ばれてきたのがトンカスだったと記憶していたのだが、日記を読むと、トンカスは彼が注文したもので、私は鍋焼きうどんを注文したらしい。もちろん、わかっていて注文したのではない。壁に貼られたハングルの「お品書き」を、適当に指さしただけだ。日本料理店に行ったわけではないから、当然韓国料理が出てくると思って注文したのである。彼女がなにを注文したのか、記憶にないし、日記にも記述がない。我々は、それぞれが注文した料理を分け合って、おもしろがって食べた。
 トンカスというのは、日本のトンカツなのだが、韓国語には「ツ」の音がないので「ス」で代用する。だから、ハングルでも「トンカス」と書き、そう発音する。千切りキャベツもついて、外見はトンカツそのものなのだが、肉がかなり薄かったので、より正確に描写すれば、トンカツよりも見た目はハムカツに近かった。
トンカスもうどんも、1960年代の東京の独身寮の料理を連想させるような味だった。とびきりうまいとは思わなかったが、独身寮や学食の料理以下ではなかった。私自身はそういう料理を食べたことがないから、あくまで想像の話だ。
 経済的に豊かになった現在では、日本のトンカツと遜色ないほどに厚い肉を使う店も登場している。そういう変遷を考えると、「トンカスの韓国現代史」という本が書けそうな食べ物である。
 この78年当時、ハングルはまだ読めないので、目の前の料理がトンカツ風ではあっても、「トンカス」という名前だとは知らなかった。私がこの料理の名を「トンカス」と知ったのは、1984年に出版された『ソウルの練習問題』(関川夏央、情報センター出版局)であり、より詳しい情報を得たのは、1989年の『B級グルメが見た韓国』(文藝春秋編、文春文庫)である。
 だから、以前に書いたように、これほどポピュラーな料理を「日本に来て初めて食べた。韓国人は肉を油で揚げない」と書く『僕は在日「新」一世』(ヤン・テフン、林信吾・構成、平凡社新書、2007)を、私は信用できないのだ(アジア雑語林348参照)。