1067話 イタリアの散歩者 第23話

 ベネチアへ その7


 イタリアからの帰路、ふたたびバンコクに寄った。乗り換えとはいえ、早朝到着の深夜出発だから、のんびりできる。雑誌「ダコ」の沼館社主とまた夕食。
 「イタリア、楽しかったですか?」
 「ベネチアに、行きましたよ」
 「で、どうでした? 前川さんが絶賛するなら、次回のイタリア旅行ではぜひベネチアに行こうと思うんですが・・・」
 「うーん、感動の旅というわけでもないし、すぐにでもまた行きたいというほどでもないけど、『行くんじゃなかった』と後悔するような場所でもなく・・・」
 「素直じゃないなあ」
 「『一度は見ておく場所』という意見には賛成ですね。あそこがより感動的な街になるには、いっしょに行く人にもよるな。ひとり旅と、愛人との逃避行じゃ、感動はまるで違うでしょ。ベネチアは、ちょっと淫靡な感じもするんですよ。どうです、次回は愛人と行ったら?」
 清廉な社主は動じない。
 「旅情」というよりは、「ベニスに死す」の感じだった。私がベネチアにいた間ずっと、今にも雨が降りそうな曇天だったから、007シリーズの映画や「ツーリスト」(ジョニー・デップ&アンジェリーナ・ジェリー)に登場するような、アクション映画の印象のベネチアではまるでなかった

 上の文章は、帰国後すぐに書いたのだが、ベネチアを離れてそろそろふた月たつ12月の今、コラムを加筆したくなった。自分が撮影したベネチアの写真を見直したり、須賀敦子の『ヴェネツィアの宿』などを読んでいるうちに、「ベネチアは、また散歩してもいいかな」と思うようになってきた。運河に邪魔されても、自動車に邪魔されずに散歩ができる街はいい。路地が入り乱れているので、いろいろな地区をだいぶ歩いたなと思っていても、まったく知らない路地などまだいくらでもある。島がいくつもある。世界的大観光地ベネチアにも観光客がほとんどいない冬になれば、静かになる。寒いから、公園でピザを食べるのはつらいだろう。寒さは、貧乏人の敵である。ベネチアの2月は、東京23区よりも寒いが、立川や八王子ほどの寒さらしく、大したことはない。安くても寒いのはいやだが、さてどれほど安いのか。
 文章を書く手を休め、ちょっとインターネット遊び。2月の出発なら、東京・ベネチア往復(アエロフロート便)は6万7000円だ。日本国内でも、東京から北海道・九州・沖縄往復なら、これくらい高い往復料金はある。宿も、シングルルームが30ユーロ以下からある。東京の寒冷地並みの寒さを我慢すれば・・・などと思いつつ、写真を選んだ。以下、私のベネチア・スケッチだ。


がイメージしていたベネチアは、こういう幻想的な風景と、


 こういう仮面だった。



 道路の案内表示の矢印は、サンマルコ広場、バスターミナルがあるローマ橋方面、サンタルチア駅前の船乗り場Ferrovia方面の3種が多い。これで、その道が北か南かどちらに向かっているのかわかる。


 迷子になろうと適当に歩いていると、1階がギャラリーになっている建物があり、そこが市民病院だということがわかった。ギャラリーを抜けると病院で、階段を上がるとこうなっている。迷子もまた楽し。



 公園を歩くと、こういうものが・・・。キャロル・ファーマン【Carole Feuerman 1945〜)のハイパーリアリズム彫刻。ベネチアのほか、いくつもの街にある。



 郵便配達もこういうカートを引いて歩いて回る。


ベネチアにマフィアは要らない」



 これが洪水用の歩道になる。水没することが多いから、いつも道路に置いてある。幸運にも、私の滞在中は、道路の脇にじわっとしみ出すという程度だった。

 ベネチア話は今回で終了。次回からは食文化の話をしましょう。