1087話 イタリアの散歩者 第43話

 ミラノへ行ってみようか 後編

 冷たい風が吹き、静寂にして端正。勤勉で寡黙に働く人たち。これが、北部の街か。こういう街が嫌いなはずなのに、なぜ嫌悪感を抱かないのか。朝のミラノを散歩しながら考えた。昔だったら、こんな街、大嫌いなはずなのに。
 その昔、旅行者をヨーロッパ型とアジア型に分けて考えることがあった。あるいは、同じアジア型でも、香港派とシンガポール派があるというようなことを、かの山口文憲氏が書いていた。強権で秩序を保っているシンガポールより、強権から自由な香港が好きという好みは、私も山口氏と同じだった。だから、私は1990年代になっても、アジアの旅を続けていたのだ。
 ここのところずっと、ヨーロッパを旅している。アジアの旅も続けてはいるが、ここ数年でいえば、滞在日数はヨーロッパの方が長い。朝のミラノを散歩しながら、そんなことを考えていた。私の趣味は確実に変わった。タイに行けば、バンコクでの用が済めばすぐにタイを出るか、バンコクを出て地方に行く。ベトナムに行くにしても、今はサイゴンよりハノイが好みに合っている。中国に行かない理由のひとつは、あの人ごみの中に身を置きたくないからだ。旅行者をひとりにしておかないインドにも、うんざりしえいる。
 2000年代に入った頃から、母の体調が悪くなった。ちょっとしたことで高熱を出し、救急車を呼ぶようになった。あるときも、救急車を呼んだのだが、すでにかなり危険な状態だった。救急救命士は電話で、母の行きつけの病院の医師と連絡を取った。救急車は間もなく病院に着き、しばらくすると、医師が「大変危険な状態です。ご高齢なので、最悪の事態も考えられます。覚悟をしておいてください」という話の後、延命処置は望まないという書類にサインをした。
 翌日の午後にはすっかり良くなって、間もなく退院したが、もう母から目を離せなくなった。近所のスーパーに15分ほど買い物に行く以外、家から出るのが心配だった。しかたなく自宅にこもるようになった。それまで東京を散歩し、映画を見て、友人と会いと、毎日出かけていたのだが、もはやほとんど外出ができなくなった。取材をして書く仕事はできなくなった。
 精神的に追い込まれたが、やむを得ず、ウチでの楽しみを考えるようになった。インターネットの遊びと、読書。自宅にいても、本が買えるアマゾンが友人になった。やがて、介護保険を使い、近所の施設でデイサービスやナイトサービスを受けられるようになり、大学の授業もできるようになったのだが、用が済めばすぐにウチに帰った。大学の授業がある日は、母は翌日の午後まで施設にいるから、いつまででも遊んでいていいのだが、東京の人ごみの中を歩くのが、すっかり嫌になっていた。母が亡くなった今は、散歩に制限はなくなったのだが、用が済んだ夕方、街で食事をして帰る気がせず、家で何かを作るか、おにぎりでも買って帰り、ウチでゆっくり食べている方がいいと思うようになった。大学の授業は週に1回だからいいが、毎日電車に乗るんだったらごめんだな。そういう人間になった。昔から満員電車が嫌いだが、出かけるのは好きだった。今は、毎日出かけるのが嫌になった。散歩好きは変わらないので、その欲求不満が旅先で爆発する。
 都会の人混みが苦手な田舎者になったが、だからといって、田舎が大好きになったわけではない。街が好きだ。そんな訳で、旅に行きたいと思う場所も、雑然とした人ごみよりも、静謐な都会がよくなった。香港やジャカルタやデリーやカルカッタコルカタ)に、強烈に行きたいとあまり思わなくなったのは、多分、私の趣味が変わったからだろう。変わったということは、逆に言えば今まで気にもかけなかった街に「行ってみようかな」などと思うようになったということだ。そのいい例がバスク地方に行ってみようと思ったことだ。日本に居ればいつも、ネットで世界の画像を見たり、旅行事情を調べたりしている。雪深い土地を、鉄道で旅するのもいいかなとも思う。座席から、「外は寒そうだな」と眺めているだけのことだが、そういう旅も悪くないとも思う。そんなことを想う私になった。
 だから、ミラノの空虚感が嫌ではなかった。もしかして、ミラノがイタリアで一番好きな街かもしれないなどと思っている自分に気がついて、驚いていた。


 基本的に、トラム(路面電車)が走る街は好きだ。自動車がないと移動できない街は大嫌いだ。


 ミラノといえばドゥーモと並んで有名なビットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア、つまりアーケード。たしかに美しいが、超高価ブティック街でもあるので、看板を見ているだけでうんざりする。そういう事を知らずに行った。


 ドゥオーモそばの1900年代美術館の中庭。ちょっとおもしろい。


 同じ美術館にキリコ。ピカソもあるし、なんでも美術館。珍しく、美術館で2時間過ごした。絵がちょっと曲がった写真になっているのは、照明が映りこまないようにしたため。