1309話 スケッチ バルト三国+ポーランド 28回

 さあ、トイレの話だ その4

 

 この旅行記を書いているときに、「そういえば、ポーランド関連の本は何冊か本棚にあったはずだ」と思い出した。

 話は少々ずれるが、そのいきさつを書いておきたい。先日、新聞の書籍広告で、『フィンランド語は猫の言葉』(稲垣美晴)が角川文庫版として発売されたことを知った。その昔、私が読んだのは1981年の文化出版局版で、詳しい内容は覚えていないが「言語学のおもしろい本だった」という記憶がある。書店で角川文庫版をチェックすると、単行本を加筆修正したものとわかり、購入を決めた。フィンランドの話なら、エストニアなどバルト三国にも共通する話が出てくるかもしれないと思ったからでもある。そして、「猫といえば、『ワルシャワ猫物語』というのもあったなあ。そうだ、ワルシャワの本が棚にあるな」と思い出したというわけだ。

 昔読んだ本は、段ボール箱に入れて保管し、新しく買った本を本棚に入れるようにしているのだが、ポーランド関連の本は読んでから数十年もずっと本棚に置いてあった。おもしろく読んだという記憶はあるが、内容はあまり覚えていない。ヨーロッパにほとんど興味になかった当時の私には、ワルシャワのことなど隔靴掻痒、現実感はまるでないが、異文化の本ということで買ったのだが、記憶に残らなかった。さっそく本棚からワルシャワ関連の本を取り出す。こういうことがあるから、断捨離などする気になれないのだ。

 『ワルシャワの七年』(工藤幸雄、新潮選書、1977)

 『ワルシャワ貧乏物語』(工藤久代鎌倉書房、1979)

 『共産圏でたのしく暮らす方法』(J・フェドローヴィッチ&工藤幸雄、新潮選書、昭和58年――1983年なのだが、新潮社はなぜか突然元号を採用することにしたらしい。新潮社に何が起こったのか?)

 『ワルシャワ猫物語』(工藤久代文藝春秋、1983)は、猫の本に興味がないので買わなかったが、書名が記憶に残っていた。『ぼくの翻訳人生』(工藤幸雄中公新書、2004)と『ワルシャワ物語』(工藤幸雄、NHKブックス、1980)は、その関連ですぐさまアマゾンで買った。工藤が案内人をつとめたという島尾敏雄の1967年の旅行記『夢のかげを求めて 東欧紀行』(河出書房新社、1975)もついでに買った。旅を終えると、このようにやたらに関連書を買いまくるのだ。そういえばこの時代、まだ巨万の富を得ていない若き作家は、ソビエトなどの招待旅行でしばしば外国旅行をしていた。招待される機会があれば、どこにでも出かけたと開高健は書いている。

 『ワルシャワの七年』に、こういう文章があった。著者がワルシャワに滞在したのは1967年から74年なのだが、74年5月の午後は、「珍しく真夏のような暑さの日です。(真夏にも<暑い>という表現を使わねばならぬ日は、七年間にいくにちもなかった)」。私がワルシャワにいた2019年6月は、毎日30度前後だったから、温暖化がよくわかる。

 それはさておき、トイレの話だ。40年ぶりに、『ワルシャワ貧乏物語』を再読した。ワルシャワでの生活の話は、妻の久代さんが詳しく書いている。ポーランド滞在期間は、『ワルシャワの七年』と同じ1967年から74年だ。

 ワルシャワから東北へ150キロほどの田舎に自動車で行った時の話。運転手の実家に案内され、トイレの場所を聞いたときの描写を引用する。

 (運転手は)「都会の人の行くような便所はないさ」と言って、物かげに木桶を置くのです。仕方なく、まわりに気を配り、音を気にしながら用を足しました。男性は納屋の牛のそばのつみ藁の上に用を足したといいますから、ほんとうになかったのでしょう」

1307話で、かつてのラトビアでは、トイレに関する正しい質問は、「トイレはどこですか?」ではなく、「トイレはありますか?」だという話を紹介したが、ポーランドでも田舎にはトイレと呼ばれるような施設がなかった(今はあるのかどうかは不明)ことがわかる。引用した文章の「つみ藁の上に・・・」というのは、堆肥にするという暗示なのだろうか。

 東アジアでは古くから人間の糞尿を肥料として利用していた。中国の都市では、トイレはなく室内便器として「馬桶」(マートン)という木の桶を使っていた。現在の中国語では、便器を馬桶という。

 基本的にバルト三国ポーランドの農村の家にはトイレはなく、冬と夜間は室内便器を使うが、それ以外は戸外のどこかで用を足すというのが基本ではないかと思うのだが、それがいつまで続いたのかは知らない。

 『ワルシャワ貧乏物語』には、トイレットペーパーに関する記述もある。ポーランドではトイレットペーパーが不足しているという情報は日本を出る前に得ていた著者は、「荷物の間につめられるだけつめて行った上等のチリ紙は、どうやら一年間持ちました」。ポーランド人の家庭ではどうだったのか。「訪問先の大学教授のお宅の手洗いに、新聞紙が切り揃えてあったのにも出会いました」というから、ポーランドでも同じ状況だったのだ。ただし、現在のワルシャワでは、私の少ない体験では、バルト三国と違い、使用済みトイレットペーパーを便器に捨ててもよかった。

 『ワルシャワ物語』(工藤幸雄)にも、トイレの話がちょっと出てくる。1979年7月23日、日本から早朝のワルシャワ空港に到着。午前5時の気温は9度。しかし、荷物がなかなか出てこない。VIPらしき人物の荷物を最優先にするから、一般乗客の荷物が出てくるのが遅くなるばかりだ。寒い。「トイレットに行こうにも、生理的要求を満たすべき設備は、ここにはないのだった」

 つまり、社会主義国では、旅客の利便を考えるなどと言う思想がそもそもないのだ。空港でも、「トイレはどこですか?」ではなく、「トイレはありますか?」が正しい質問だった。で、その答えは、(旅客が利用できるトイレは)「ない」だったというわけだ。

 

 ポーランドのトイレは、撮影したくなるようなものに出会わなかったので、バルト三国で撮影したトイレを紹介する。

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 エストニアはタリンの野外建築博物館の事務所隣のトイレ。トイレはこの1室のみの男女共用。男子小用便器がないので、「いけない! 間違えたか」と入り口の看板を再確認した。

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 タリンの防衛博物館。17世紀から地下に掘られた要塞通路。ソビエト時代まで使われた。長期滞在可能な防空壕のような構造にもなっているので、当然トイレもある。それが、中国ではおなじみの、壁もドアもない「ニーハオ・トイレ」。ソビエトにもこの手のトイレがあり中国が有名だから、「共産国トイレ」と呼んだ方がいいだろうか。このトイレは展示用であって、現役ではない、念のため。

 

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 いずれきちんと紹介する予定の、リーガの自動車博物館のトイレ。便器の上についている四角いものは感知器で、使用後に自動的に流すシステムになっている。そのシステムに文句はないが、この感知器、表面が鏡面仕上げされていて、鏡同様の表面に写るのは、己が排尿シーンなのである。つまり、股間の泌尿器が大写しになるのである。身長180センチの男には自分の太腿が見えるだけかもしれないが、磨けばいいってもんじゃないだろ。