1425話 音楽雑話 第7回

 全1曲

 

 演歌を作って売っている人は音楽的才能がまったくない人たちだと思っていた。イントロは、どれも同じ。エレキギターがギューンと鳴って、お決まりのイントロの後、お決まりのメロディーが始まる。目新しさは、ない。音楽的工夫の形跡など、まったく感じられない。バンドは、いつもの音を出すだけだが、考えてみれば、演歌の伴奏をやりたくて中学校からギターやピアノを始めたなどという者は、たぶん、いない。

 かつては、大瀧詠一の曲を森進一が歌うといった工夫もあった。そういうアイデアはほかにもあるが、あまり成功していない。演歌は、年寄りとともに滅んでいく音楽ジャンルなのだろう。

 そんなことを考えていて、「ああ、そうか」とわかった。これが、「ジャンル」というものなのだ。私は1960年代のR&Bが好きで、アマゾンのCD販売ジャンルでは、「クラッシク・ソウル」と分類される。オーティス・レディングアレサ・フランクリン、サム&デイブ、アーサー・コンレイ、グラディス・ナイト・アンド・ピップス、ウィルソン・ピケットなど、好きな歌手の名を挙げていくとキリがない。ジェームス・ブラウンのバックバンド、The J.B.’s(ジェイ・ビー・ズ)のように、管楽器が鳴り、すべての楽器がリズムを刻みという音が好きだから、1980年代以降のR&Bはスマートすぎて詰まらない。私も演歌ファンのように、R&Bに関してはお決まりの音を求めていたのだ。

 お決まりの音楽グループを「ジャンル」という。ひとつのジャンルに分類されるから、リズムや音がよく似ているのだ。そのジャンルが好きな人にとっては、「ご存知!」という、いつもの音楽が出てくるのが心地いいのだと、クラッシック・ソウルが好きな私にはわかってきた。

 考えてみれば、私が好きなジャンルは、ブラジルのサンバ、スペインのフラメンコ、ポルトガルのファド、タイのモーラムなどで、共通しているのはコブシがあることで、しかも若者からは「時代遅れ」と思われている音楽ジャンルだ。時代遅れといえば、私が好きなジャズも、1950~60年代の音だ。こうしたジャンルの音楽をまったく聴いたことがない人には、全1曲、つまり「みんな同じ」と聞こえてしまうだろう。

 演歌と呼ばれる音楽は、藤圭子吉幾三など一部を除くと好きにはなれないが、好きな人たちの気持ちはわかるようになった。

 CDはアマゾンか、ディスクユニオンで買うことが多い。ディスクユニオンは店舗によって専門分野がわかれていることが多いのだが、どの音楽ジャンルの店でも、店内で物色しているのは中高年である。会社のOB会の帰りとか、高校卒業50年のパーティーに行く前の時間つぶしという感じなのだ。もっとも音楽を聞いている世代であるはずの、10代20代の若者がいない。その世代の若者たちにとって、もはや音楽はCDに入っているものではないのだろう。スマホだけで音楽を聞く層には、CDは必要ない。

 レコード→カセットテープ→MD→CDという流れとは逆行する動きに気がついたのは、7,8年前か。渋谷の中古CDショップの一角にレコード売り場が設けられていて、新聞や雑誌に「今、若者にレコードが新しい」という記事が出ていた。そのちょっと前には、レコード針生産が日本から消えていくという記事がでていたというのに。できたばかりの新宿のレコードユニオンのソウルミュージック専門店に行くと、1階がレコード専門店だったのに驚いた。数か月後にまた行くと、レコード売り場の客のほとんどが欧米人で、5枚10枚とまとめ買いしている人もいた。そして今、この文章を書くための確認作業をしていたら、あのレコード売り場は移転して、ユニオンレコード新宿として別店舗で営業するところまで成長したと知った。外国人にとって、日本版レコードは音がよく、保存状態がすばらしいので人気があるという。

 ディスクユニオンでロックやジャズのCDを物色している中高年が青春時代に買い集めたレコードが、中古レコード店で売られている。その中には遺族が処理に困ったレコードコレクションもあるだろうななどと想像する。

 いつ、ディスクユニオンに行こうか考えている。電車に乗って、御茶ノ水と新宿へ行くのは、危険かなあ。