1475話『食べ歩くインド』読書ノート 第23回

 

 

 P298HOTEL・・・HOTEL“という看板が掲げてあっても宿泊施設はないというカルチャーショックを受けるのは、何もインドだけではない。元英領インドという事なら、インドのほかにパキスタンバングラデシュも、そして英領セイロン(現スリランカ)も、hotelは食堂である。そして、ケニアでも同じだったが、ケニア以外のアフリカの元イギリス植民地ではどうなのか、まだ調べがつかない。タンザニアウガンダには行ったことがあるが、”hotel“の看板を掲げた食堂の記憶はない。

 オーストラリアやニュージーランドを旅行した人も、”hotel”の看板を見て、きっと「あれ?」と疑問に思っただろう。

 『イン INN―イギリスの宿屋のはなし』(臼田昭、駸々堂出版、1986)に、「そもそも英語で宿屋とは・・・」という項がある。要約すると、こういう内容の文章だ。

 英語で宿屋といえば、まず「イン」だが、「ホテル」、「タヴァン」、「パブ」、「エールハウス」などの類義語がある。共通しているのは、金銭をとって客に酒食を提供する場所だということだ。  

 宿泊の施設も持っているのがインで、現代風に言えば、これがホテル。

 個室やボックス席も設け、酒食を提供するのがタヴァン。現代ではレストランだ。

 椅子とテーブルを置いただけの安直な店でもっぱら酒を提供するのが、エールハウス。これを今はパブという。エールハウスに宿泊施設がついていることもあり、これらの施設の区別は明確ではない。

 いくつもの資料でさらに調べると、tavernには宿泊施設がついているものもあるが、ベッドがあるだけの大部屋で、利用できるのは男だけだった。個室があり、女性も利用できるのが元はフランス語のホテル。大都市で大きなビルを構えているのが、当初のイギリスの「ホテル」だった。インは、田舎の街にある食堂つき宿泊施設のこと。宿泊施設を表す英語は、このほかにもホステル、ゲスト・ハウス、ロッジなどいくらでもある。

  外食産業史の話で書いたことだが、アジアやアフリカで、ホテルやレストランを利用するのは宗主国の人間か西洋人だ。彼らに宿泊施設と飲食施設の両方を提供するのがホテルだった。新しく飲食施設を作るときに、宿泊施設がなくても、ホテルと名乗ったのではないか。フランス生まれの”restaurant”という語が英語に入って来るのが、19世紀初めごろらしい。この言葉はイギリス人にとってはまだなじみがないということを考えると、食堂もhotelと呼んでもそれほどおかしくないという気もする。フランス生まれのhotelという語もrestaurantという語も、イギリス人にとって、19世紀初めごろはまだ外国語だった。話がややこしくなる原因がそこにある。

 オーストラリアやニュージーランドで、Hotelという看板を掲げながら宿泊施設がないただのパブという事情は、ネット上にいくらでも解説がある。それによれば、かつてこの両国にも禁酒法があった。アメリカの禁酒法と違って、全面的禁酒ではない。夜はパブで酒を出してはいけないという法律だ。そこで、「ここはパブではなく、ホテルです」と言うことにして、”HOTEL”の看板を掲げてパブを営業していた時代の名残りが、客室のないhotelだ。

 イギリスの辞書には、「ホテル」が宿泊施設ではない例を、インドとオーストラリアとニュージーランドの3か国しか挙げていない。私の旅行体験ではケニアの例も知っていることはすでに書いた。しかし、同じ元英領でも、マレーシアでは、レストランはrestoran、ホテルはhotelだ。マレーがイギリスの植民地になったのはインドよりも遅いから、イギリスでもhotelが今日の「ホテル」になり、食堂はrestorantになり、そしてマレー語化してrestoranと呼ぶようになったのではないかと推測している。マレー語やインドネシア語の飲食施設名はややこしいので、ここでは深く解説しない。

 中国語のホテルは、漢字が読める日本人は誤解するだろう。台湾の天成大飯店の英語名はCosmos Hotelだ。上海虹口三至喜来登酒店の英語名はSheraton Shanghai Hongkou Hotelだ。ホテルを台湾では「飯店」、香港や中国では「酒店」と書く傾向はあるが、全部が統一しているわけではない。日本で「〇〇飯店」と言えば、中華料理店だが、台湾ではホテルだ。香港では、「飯店」をホテルの意味でもレストランの意味でもあまり使わない。

 このテーマをちゃんと調べれば、好奇心の泥沼にはまる。