1474話『食べ歩くインド』読書ノート 第22回

  

 P203サブダナ・・「ヴラト(断食)の際に食べられるサブダナですら元々は東南アジア起源の食材である」とあるが、サブダナがわからない。巻末の用語辞典をみると、「サブダナ・・・西インドでのタピオカの呼称」とある。タピオカはキャッサバのデンプンから作った食品で、キャッサバは南米原産のはず。

 P255甘いグジャラート料理・・ある食文化研究会で、「料理と甘さ」をテーマに発表しなければならなくなり、あれこれ調べているときだった。テレビ番組で、東京のインド料理店を紹介していて、料理風景が画面に映ったときに、インド人の料理人が鍋にかなり大量の砂糖を放り込んだのを見た。そのシーンが気になった。そんなときに、うまい具合に会ったのが、インド料理出張料理人ユニット「マサラワーラー」の武田尋善さんと鹿島信治さんだった。

 「インドでも、料理に砂糖を入れることがあるんですか?」と聞くと、「ありますよ。グジャラートの料理なんか甘いですよ」という。「甘いって、甘めっていう程度・・・?」と重ねて聞くと、「いえいえ、『甘っ!』ていうほど甘いですよ」という。

 それ以来、グジャラート料理が気になって、マドリッド滞在中にグジャラート料理店を見つけたので入ってみた。今にもつぶれそうな店で、残念ながら甘い料理はなくて、ただの、おいしくない料理だった。

 天下のクラマエ師も、「グジャラート料理は甘いよ」とおっしゃる。では、なぜ甘いのかを調べてみたが、よくわからない。『食べ歩くインド』でも、「確定的なことはよくわからないのだ」としている。それならば、インドのド素人が勝手に想像してみることにした。

 まず頭に浮かんだのは、グジャラートは製糖業が盛んな土地だろうという想像だ。そう考えたのは、九州の料理が甘いことと関係がある。日本人が砂糖をかなり自由に使えるようになるのは、台湾を領有し、台湾製糖が砂糖生産を大々的に行なう20世紀初め以降だ。しかし、九州はちょっと違った。長崎出島には、オランダ人の手でインドネシアの砂糖が大量に運ばれ、裏ルートで民間にも流れた。鹿児島には琉球の砂糖が入っていた。台湾の砂糖が日本に大量に入って来る以前に、九州ではある程度砂糖が出回っていたのだ。表の流通ルートとは別に、裏の民間ルートもあったのだ。

 この事実をもとに、グジャラートは製糖業が盛んで、100年か200年前から砂糖が自由に使えたのだろうという仮説を証明するために、インドの製糖業について調べた。たしかに、グジャラートはサトウキビの産地であり、製糖工場もあるようだが、期待に反して、それほどの量は生産していない。大生産地ではなかったのだ。引き続き調査をすると、次の論文が見つかった。実におもしろい論文だ。これで、わかった。

 「近世西インドグジャラート地方における現地商人の商業活動--イギリス東インド会社との取引関係を中心として」(薮下信幸)

 たしかに、グジャラートは砂糖生産地としては、大したことはない。しかし、グジャラートは古来から西アジアとの重要な交易地だとわかった。グジャラートの砂糖生産量はそれほど多くはないが、グジャラートの南で生産された大量の砂糖がグジャラートに運ばれて、中東やヨーロッパ方面に輸出された。グジャラートは砂糖の大生産地という仮説は間違いだったが、砂糖の大集積地であり積み出し港だったという事実がわかった。つまり、グジャラートは古くから大量の砂糖が集まる場所だったのだ。砂糖と料理を結びつけて考えたのは私の仮説にすぎないので、もちろん正解というわけではないが、小林さんが紹介している「地下水塩味説」や「脱水防止説」よりは説得力があると思う。砂糖が大量になければ、料理に大量に使えないのだから。