1547話 本の話 第31回

 

 考古学の本から その2

 

P28・・・ニワトリ

ニワトリはタマゴ目当てに飼っていたのではなく、朝の時刻を知るためだという宮本常一の説を、渋沢栄一編の『絵巻物による日本常民生活絵引』を引用して紹介している。おそらく、研究者の間ではよく知られた情報なのだろうが、私はちょっと前まで知らなかった。

 「昔のニワトリは、今と違ってタマゴはほんの少ししか生まなかったんです。ニワトリを飼う目的は、目覚まし時計代りでした」

 あるシンポジウムで、私の質問にニワトリの歴史を解説してくれたのは、ニワトリの研究で博士号をとった秋篠宮だった。『食の考古学』によれば、ニワトリはまず、鳴き声が利用され、次がタマゴ、そして肉を食べるようになったようだ。私の子供時代(1950~60年代)でさえ、今と違ってタマゴは決して安い食べ物ではなかった。タマゴだけではない。ブロイラーが出回るまで、鶏肉も安い肉ではなかった。輸入鶏肉が市場に出て、鶏肉料理は野菜料理よりも安くなった。

P82・・・その昔、コメは蒸していない。煮ていた。

『食の考古学』を読もうと思ったきっかけは、『おにぎりの文化史』に、昔、コメは蒸していたという説は佐原によって否定されたとして、その説の出典である『食の考古学』の名を出していたからだ。この際、きっちりと読んでおこうと思った。日本ではコメをどう料理して食べていたのかという問題は、その昔にいろいろ資料を読んだ気がするが、甑(こしき)という語だけが記憶に残り、あとはきれいさっぱり消えてしまった。甑は蒸し器のことだが、『食の考古学』を読むと、日本ではまず甑でコメを蒸し、そのあと煮るようになったと信じている人が多いようで、「それは違う!」という異議申し立てをしたのが佐原論文というわけらしい。その昔読んだ資料に書いてあったのは、コメはまず蒸し、そのあと煮たという説明がどうも信用できなかった。煮るよりも蒸す方が、作業としても道具にしても、より複雑だと思うからだ。

 コメに限らず雑穀を食べ始めたヒトは、鍋で煮て食べたと私は考えている。だから、「コメは、まず煮た」という佐原説に驚きはない。

 私の想像をもう少し詳しく書いてみる。ヒトは食べられそうだが生では食べにくいものを鍋で煮て食べた。麦やトウモロコシは粒のままでは堅くて食べにくいので、粉にして粥にするか、パンのように焼いた。パンといっても、平たい石にのせて焼いたパンだ。コメや雑穀もイモも木の実も山野草も、鍋で煮た。つまり、最初は雑炊だ。日本では、ドラマ「おしん」で広く知られることになった大根飯のような飯が、古代から戦後の食糧難時代まで続いたと想像している。江戸の町民は脚気になるほどの白米を食べていたが、農山村では完全に精米していない半搗き米の雑炊か、コメなど入っていないイモなどの煮物を日常的に食べていたと思う。つまり、雑炊から始まり、豊かになるにつれて、コメの量が増え、「銀シャリ」になっていったのではないか。おそらく外国でも同様だろう。煮るとのり状になってしまうモチ米は、蒸すことになったのではないか。