1585話 カラスの十代 その18

 

 そろそろ20年近く前になる話だ。長らく外国生活をしている高校時代の友人が、久しぶりに帰郷するときに前川に会いたがっているという連絡が、年賀状だけは交わしている同級生からあり、会うことにした。高校卒業以来30年ぶりくらいになる。

 20人ほどが居酒屋の個室に集い、しばし昔話をしたのだが、私には「なつかしい昔話」はほとんどない。今の生活の方がずっと興味がある。

 「そういえば・・・」とひとりが私に話しかけてきた。「俺もお前もサラリーマン生活を選ばなかったが、考えてみれば、ここにいる半分くらいはサラリーマンじゃないなあ。意外だよなあ」といった。彼の仕事はよく知らないが自営業らしい。

 あの高校の卒業生は、有名企業のサラリーマンか公務員を目指して大学でも勉強して、多くはその望みを果たしたのだろうという想像し、それ以外考えたことがなかった。他人の人生なんか、どーでもいいし、私にとって興味深い職業じゃないだろう。そういう気分で、これまで生きてきた。

 「ヤツも俺みたいな自営業で・・」と、彼は同級生を指さした。「それから、医者。歯医者。弁護士。そしてあいつは司法書士で・・・」と、サラリーマンにならなかった同級生を私に示した。こうなると、ライターの職業病がどくどくと湧き出した。人は、どういう理由で職業を決めるのだろうか。サラリーマンの場合は、文系だと業種よりもむしろ大企業かどうかが重要なのかもしれない。サラリーマンを知らない私の想像だが、事務職に就くなら、食品業であれ、自動車製造であれ、やることは同じだという気がする。営業も人事も経理も庶務も総務も、どの業種であれ、やることは大同小異だろう。

 ところが、サラリーマンを目指さなかった者は、何らかの理由でその職業を選択し、そのための学習や訓練を受けたということになる。彼らは、どういう理由で職を決めたのか。ライターの「知りたい病」が発症した。

 歯医者と司法書士は、別々に話を聞いたのに、その職業を選んだ理由は同じだった。「だって、サラリーマンって、いやじゃない。満員電車とか、部下と上司、組織、会議・・・、考えただけでうんざりだ」

 高校時代の私もおんなじことを考えていた。だから、定年後の生活まで予測できる鉄路の人生を選ばなかった。彼らも発想は私と同じなのだが、猛烈な受験勉強をして歯学部に入り、もっと勉強して資格を取った。もうひとりの友人も、大学に通いながら司法書士の勉強をして、資格を取った。一方の私はと言えば、勉強などいっさいせずに、工事現場で働いて得たカネで旅行して、その後清掃作業員やコック見習いなどをしながら、ずっと遊んでいた。いや、今も同じように遊んでいる。

 サラリーマンになった人たちにしても、コンピューターをはじめ、仕事で必要な技術や知識の勉強をして、資格試験を受け、海外赴任に備え外国語を学んできた。それは、どう考えても、「鉄路に乗った気楽な人生」ではなさそうだ。私は、楽な道を選び、気楽で楽しい道を歩み、現在まで楽しく生きてきた。彼らは、つらい道を選び、つらい日々を歩み、しかしそれはそれで満足できる人生なのだろう。私に彼らのマネはできないが、彼らとて、私のマネはできないだろう。将来が見えないというのに、お気楽に遊んでいられる私の基本思想は、進学高校で教育方針を外れた生き方を始めたときにできた。考えてみれば、私は「おちこぼれ」ではなく、別の道を歩き始めただけのことだった。好きなことを、好きなようにやるだけ。「落ちて、こぼれた」のではなく、別の道を見つけただけのことだ。

 成功したスポーツマンや経済人は、「進路の選択に迷ったら、困難な方を選ぶんです。すると、道が開けます」などと立派なことを言いたがるのだが、私は「楽しい方を選べばいいんだよ」と言いたい。「楽しいこと」が必ずしも「楽なこと」とは限らないが、楽しければいいじゃないかと思っている。私はそういう選択をして生きてきた。久しぶりに帰郷した友人は、フランスの企業に勤めるパリ在住サラリーマンだが、定年後に日本で暮らすことを考えて、フランス語とスペイン語と英語の観光通訳の資格(全国通訳案内士という)を取るための勉強をしていた。それは楽な道ではないだろうが、楽しい道だと思う。

 「サラリーマンはいやだ」と言った歯医者は、数年前に死んだ。「風呂に入っているときに、ついでに歯も磨くんだよ。そういう習慣にしておけば、毎日数分の歯磨きを退屈しないでできるよ」というあの時のアドバイスを、私は今も守っている。