1801話 若者に好かれなくてもいい その1

 

 高田純次はテレビのインタビューで、年をとっても若者に支持されるヒケツは次の3点だと説明した。

  • 思い出話をしないこと。
  • 自慢話をしないこと。
  • 説教をしないこと。

 しかし、この3点は高田のオリジンナルではなく、昔から中高年になった男は気を付けてきたのだろうと思う。

 有名人の家族の歴史を追ったNHKの「ファミリー・ヒストリー」を見ていると、「我が家のことを、父は何も話さなかったので、まったく知らないんです」と語る出演者がじつに多い。祖父母のことは知らず、父が勤めていた会社の名は知っているが、具体的に何をしてきたのかまるで知らないという人がほとんどだ。母は多少過去を語っても、父は自分の子供の頃、若い頃のことを子供に語って来なかった。

 まったくの想像だが、この番組を見ている人たちの家庭も同じようなものではないか。他人事のように書いているが、ウチでもそうだ。父のことは原稿用紙1枚程度しか情報がない。父は過去のことを話したいようだったが、バカ息子は父の歴史やその時点での現在にまったく興味がないということを父は感じ、何も話さないまま生涯を終えた。父が死んで、そのことに初めて気がつき、母に尋ねたが、結婚前のことは母も知らず、結婚後も仕事の詳しい内容は知らなかった。母の生涯も知らないので、この際ちゃんと聞いておこうと思い、子供時代の話からインタビューを始めたことがある。

 母方の祖父母の話は普通にしゃべっていたのだが、自分の両親の話になると、急に眼に涙を浮かべ、嗚咽した。そのとき、母が泣くのを初めて見た。子供時代の悲しい思い出があるらしいとわかったが、それ以上話を進める気にはなれなかった。

 直接母に聞きにくいから、叔母に聞くと、「お姉ちゃんは、子供の頃の話になると、いつも泣くのよね」と言った。祖父は上海で薬局を開くことになり、生まれたばかりの母を連れて移住した。祖父は実にやさしい人だったようだが、上海で急死し、残された妻である祖母は、営んでいた薬局のカネを持ち出して遊びまくるという人だったそうで、母がその実害をまともに受けたようだ。ひとりで店番をしつつ、上海で生まれた妹たちの面倒をみていた母の、悔しさやさみしさやなさけなさが生涯消えなかった。何十年たっても上海のその頃のことを思い出すと、母の目に涙があふれるのだと叔母が言う。だから、私が聞き出そうとするまで、母は自分からはひとこともしゃべらなかったのだ。

 若者は過去の話を聞きたくないものらしいが、もう若くはないという年齢になると、自分の家族の歴史のほか、興味ある分野の歴史を知りたくなる。私の場合なら、東南アジアの歴史、とくに近現代史。人力車から三輪車への歴史。食文化史や海外旅行史などの資料を集め、過去を実際に知っている人に出会うと話を聞きに行った。昔話を「おもしろい」と思った。昔の話をしてくれる年寄りはありがたい存在なのだが、残念ながら若い時はそのことに気がつかない。