2045話 続・経年変化 その11

音楽 11 タイ音楽

 1990年代に入り、私はタイの音楽に深入りしていく。基礎知識ナシ。資料ナシ。90年代はまだ音楽テープの時代で、街にはテープ屋が多くあり、路上に音楽があふれていた。タイに居れば、絶えず音楽に包まれていた。そのときの感覚を、のちに書いた本のタイトル『まとわりつくタイの音楽』にした。路地を歩いていてもバスに乗っていても、どこにいてもタイの音楽が流れていて、私にまとわりついてきた。「これは、いったい、どういう音楽なんだ」という疑問から、タイ人と音楽の話を書くようになった

 音楽ライターなら、音楽プロデューサーや音楽雑誌編集長などにインタビューして、タイ音楽の概要と推薦テープを紹介してもらうという取材をするだろう。それが効率的だということはわかってるのだが、私が知りたいのは「タイ音楽」ではなく、「音楽とタイ人・タイ社会」なのだから、専門家へのインタビューではわからないことが多い。だから、とにかく、なにもわからずに、やたらにテープを買ってきて、聞いた。散歩に出れば、5本や10本のテープを買い、買い出しに出たときは50本くらいはまとめて買った。

 コード進行とか転調とかリズムなどと言った音楽的知識などまったくなく、ただ聞いていただけだが、数多く聞いていくと、わかってくることが少なくない。1950年代から日本の歌謡曲や洋楽を聞いてきた耳では、「これはスウィングジャズ時代の伴奏だな」とか「ギターは、サンタナのパクリだな」とか、「ベトナム戦争時代のクラブで演奏していたR&Bバンドみたいな音」といったことがわかってくる。日本や英米音楽のカバーやパクリもわかる。「これは、ブレッドのIfだな」などとすぐにわかるのは、私が1950年代生まれだからだ。かつての、ラジオ少年だった体験は、タイ音楽を聞くときに大いに役立った。タイの歌謡曲の歴史を調べてみると、西洋から入ってきた音楽を、自分たちの音楽とどう勝負するかという問題があったことがわかった。日本でも同じように起きていた対応だったから、参考になった。例えば、西洋音楽のメロディーとタイ語あるいは日本語のアクセントとどう対応させるかという問題だ。日本の例でいえば、「赤とんぼ」は「垢トンボ」ではないから、「あ」と「か」を高くするメロディーになるということだ。声の調子の高さで意味が変わる声調言語のタイ語だと、メロディーとアクセントの問題が重要だ。声調が重要だから、タイの伝統的な歌は詠唱になる。メロディーの抑揚が乏しいのだ。日本でもタイでも、若者相手のポップ音楽の登場によって、声調やアクセントや文節などを無視してリズムを強調するようになる。日本の音楽史が頭に入っていると、タイの事情が理解しやすい。

 タイ東北部からラオスに住む人達に親しまれているモーラムという伝統音楽の現代版のコンサートにもよく通った。古いタイプのモーラムから様々なモーラムを聞いていて、わかってきたのは、かつて中村とうようが新聞に書いたコラムだ。

 写真だけで見れば、「今のロックバンド」という姿なのだが、よく聞いていると伝統の音がする。伝統楽器にピンという弦楽器がある。エレキギターが奏でているのは、このピンのフレーズだ。ピンを使っていないが、ピンの感じは残している。シンセサイザーが奏でているのは、笙のようなケーンの音だ。ケーンの達人がいなくても、シンセサイザーで手軽にモーラムの音が出せる。これが、ワールドミュージックだ。「伝統」をそのまま守るのは無理だが、だからと言って「伝統」を捨て去ることもしたくないということで生まれたのが、伝統音楽のポップ化なのだ。

 カネがかかったコンサートなら、伝統楽器を使ったモーラムコンサートをやるが、寺の境内でやる小規模のコンサートだと、会場はダンス場だから、バンドが演奏するのもダンス音楽に近いものだが、根底には伝統音楽が生きている。

 これは寺祭りバージョンのモーラムコンサート

 モーラムの動画を探していて、アジア音楽の森に入り込み、カンボジア系タイ人の音楽カントルムกันตรึมのコンサート動画が見つかった。こういう音楽も好きだ。