2047話 続・経年変化 その13 

音楽 13 ワールド・ミュージック 2

 90年代末のことだ。あるきっかけから突然、CDを爆買い、大人買いするようになった。

 その頃、ブラジルのCDをあさりながらアフリカのCDもチェックしていたが、内容がよくわからないCDを、高いカネを出して買う気にはならず、手ぶらで帰ることが多かった。だが、ある日のこと、ディスクユニオン新宿店4階のワールド・ミュージック館に立ち寄ると大バーゲンをやっていた。段ボールに入った中古CDが、「10枚1000円」である。これなら、つまらないと思ったCDなら簡単にゴミ箱に投げ入れられる。CDを左手にまとめて持ち、「つまらなそうだなあ」と感じるCDは段ボールに戻す。判断の基準は、まず英語の曲名は避ける。英米音楽を買う気はない。

 次に、ラテン歌謡は買わない。「オレ、いい声だろ」と得意に歌う甘い歌謡曲、メキシコなどに多いクルーナー唱法の歌謡曲は買う気がない。スーツを着て歌うラテン歌手を除外し、なぜかレゲエとキューバ音楽も除外した。レゲエは、どれを聞いても同じ印象しかなく、飽きた。ジャマイカ映画ハーダー・ゼイ・カム」を見に行ったし、ジミー・クリフのコンサートにも行ったのだが、結局、買ったレゲエのCDはボブ・マーリーのライブ盤だけだ。モンティ・アレキサンダーは大好きなんだけどね。

 キューバ音楽に限らず、なぜかスペイン語の歌謡曲があまり好きになれない。アメリカの味付けをしたマイアミ・サウンド・マシーンやサンタナティト・プエンテの音は好きだから、これらは例外か。

 ブラジル音楽のCDはなんとなくわかるから、一応合格にして脇に積んでおく。アジア物はインド音楽さえほとんどなく、アフリカ音楽のCDが多い。何もわからずに、その日は30枚くらい買った。

 それからも新宿に行くとディスク・ユニオン新宿店4階のワールドミュージック館に行った。「10枚1000円」セールはめったにないが、「5枚1000円」とか、「1枚300~500円」といったセールがあったから、いつも数十枚買い込んだ。こうして、たちまち数百枚のCDを買うこととなった。どの音楽ジャンルでも、音楽情報を調べて、専門家が推薦するCDを買い集めるという聞き方をしないので、何の情報もなしに、ジャケットを睨んで、見当をつけてジャケ買いした。それはかなり高い確率で成功だった。私が知らなかっただけで、アフリカのトップクラスの歌手のCDを買っていたことになる。なかでもベナンアンジェリーク・キジョーはピカ一だった。聞いてすぐ、「これはすごいぞ!」とわかる歌声だった。彼女はアフリカを代表する歌手で、ユニセフ親善大使でとしても活躍していると知るのは、ずっと後になってからだ。

 西アフリカのKoraという楽器は以前から知っていたが、集中して聞くようになったのはこのころからだ。数多くのコラ奏者に出会ったが、今はYoutubeSona Jobartehをよく聞いている。あるいは、Oumou SangaréのCDも見つけた。ぬめぬめタイ音楽からビートのアフリカ音楽へと体が動いていった。これもまた、ぬめぬめ音楽なんだけどね。

 なぜワールドミュージックのCDがたたき売りされていたかというと、日本の音楽ファンは、もう外国の音楽に興味がなくなったからだ。おもにヨーロッパでヒットしているアフリカ音楽を、「これは売れる」と判断した輸入業者が日本に持ち込んだものの大して売れず、在庫処分でたたき売り状態になり、私がまとめ買いしたという構図だった。もともと売れている商品を輸入したのだから、私が知らないだけでヒットアルバムを買っていたということになる。ワールド・ミュージックの時代はすぐに終わり、日本の音楽ファンは英米音楽にも興味はなくなり、日本の音楽だけを聞くようになった。ラジオから流れてくる音楽は、日本語のものが中心になった。

 世界各地へ旅行をしたいと思う若者は増えたが、世界のさまざまな音楽に興味を持つ人は少ないようだ。

 ディスク・ユニオン4階の「ワールドミュージク館」は、間もなく「ラテン・ブラジル館」と名前を変えた。音楽ファンの音楽世界は、急速に狭くなっていった。

 この時期に出会った2枚のCDから、旅が始まった。その話は、次回に。