1267話 風がープを奏でるように 76回

 最終章 落穂ひろい 1

 

 プラハの話を書き始めたころは20回程度で終わるだろうと思っていたが、書けばわからないところがどんどん出てきて調べ始めて、ついつい長くなった。そろそろ店じまいとしよう。最後に「落穂ひろい」として、1回で書くには短いメモをいくつか書いておこう。

トイレ・・・いままでの旅行記では何回かにわたりトイレの話を書いたが、チェコに関しては書くことがない。日本の常識と相違のないトイレだったのだ。スペインやイタリアでは便座のないトイレ、破壊されたトイレもあったが、チェコでは私の体験では日本レベルにきれいで整備されていた。しかし、1980年代のチェコに滞在していた日本大使夫人が書いた『私はチェコびいき』(大鷹節子、朝日新聞社、2002)を読むと、1980年代のチェコのトイレは、大使夫人の使用には耐えられないひどいものだったらしい。チェコが観光の時代に入り、トイレも整備されたということだろう。

 1980年代から東ヨーロッパをよく旅してきた知人女性に、「チェコのトイレはすごいぞ、便座がちゃんとある!」と話すと、「私、便座は使わないことにしているので、あってもなくてもいいんです」と言われてしまった。潔癖症の人は、アジアに多いしゃがみ式の方が、便器に触れないので安心らしい。足腰と胃腸を鍛えておかないといけない。

f:id:maekawa_kenichi:20190414094914j:plain

 ヨーロッパでは室内便器を使う歴史が長いので、トイレの歴史は新しい。これも便器の一種。洗濯ばさみの意味はないだろう。プラハ城にて。

f:id:maekawa_kenichi:20190414095006j:plain

 グランドホテルの共同トイレ。

f:id:maekawa_kenichi:20190414095050j:plain

 この5部屋の宿泊者がこのトイレのカギを持っている。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190414095217j:plain

 中央駅の美しいトイレ。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190414095434j:plain

 女性用トイレのドアだから、疑われるのが怖くてあわてた上に、暗い空間で寄って撮影したから、手振れを起こしてしまったが、記録のために公開する。黒い聖母の家の美術館トイレ。

f:id:maekawa_kenichi:20190414095323j:plain

 こちらは男性用、念のため。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190414095542j:plain

 国民劇場をこういう構図で写真を撮るのは、何も考えていない観光客か、私のような研究者だけだろう。トイレを意味するチェコ語はzachod(ザホッド)が一般的らしいが、表示ではWCやToaletyを使う。散歩中にその文字を見たら撮影しないわけにはいかない。しかし、いろいろなことが気になっていて、この公衆便所の侵入調査を忘れるという失態をしでかした。

 

ボヘミアン・・・ボヘミアンとは、もともとは「ボヘミアの人」という意味だ。ボヘミアとは、チェコの西部をさす地域の名称だ。チェコの西部がボヘミア、東部がモラビアだ。ただしこの名称はラテン語によるもので、チェコ語では西部をチェヒ、東部をモラーバという。ボヘミアという名は、古代にボイイと呼ばれる人々が住んでいたことによるらしい。

 19世紀のフランスで、ボエーム(Bohème)が強い関心を呼ぶようになった。英語ではボヘミアン(Bohemian)である。自由な生き方をする人たちという意味で、パリに集まる芸術家たちがあこがれる人たちというニュアンスで語られることになった。これはジプシー(ロマ)が「ボヘミアから来たらしい」という推測から、「ボヘミアから来た人」ということでボヘミアンと呼ばれるようになった。ちなみに、今、出版物に「ジプシー」と書くと、編集者は機械的に「ロマ」と書き換えるが、「ジプシーは蔑称ではない」と主張する研究者が多い。同様に、エスキモーを機械的に「イヌイット」と書き換えるのも問題がある。乞食と書くと、「物乞い」と書き換えられるが、チンピラの罵倒や江戸時代の話に「物乞い」の語を使うのはおかしい。出版社はおかしいかどうかよりも、トラブルが起きない方を選ぶので、自主規制という変な書き換えを行なう。

 ボヘミアンと言えば、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」だ。その歌詞がよくわからないとたびたび言われてきたが、先日放送されたテレビ番組「Song to Soul」(BS-TBS)で、クイーンのファンクラブ元会長(イギリス人)が、「あくまで私見ですが」と断った上で、「あの歌は、フレディー・マーキュリーが『自分はゲイだ』と宣言した苦しみの歌だと思います」といった。歌詞にある「ママ、僕は人を殺したんだ」というのは、ゲイだということを隠している自分を、僕が殺したという意味だという解説で、その謎が解ければ、歌詞の意味がよくわかる。

 

コーヒー・・・プラハで見た記憶のある自動販売機は駅などにある交通切符の販売機と、このコーヒー販売機。これはショッピングセンターの中で見かけたもので、たぶん、会社や工場、学校など閉鎖された場所にはこうした自動販売機はあるだろうが、路上では見ない。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190414102555j:plain

 ショッピングセンターで見かけたコーヒーの自販機。

f:id:maekawa_kenichi:20190414102635j:plain

 数字を5倍すると日本円になる。ラテ・マキアートは125円。
 

 

1266話 プラハ 風がハープを奏でるように 75回

 墓を探す

 

 ビシェフラド地区に行ってみた。城跡や墓地がある地区だ。きつい坂道を登って丘の上の城跡に出た。ここからプラハの東側が見渡せる。その眺望を求めてここに来たのではないが、予想していなかった収穫だ。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190412095755j:plain

 城門をくぐると、城跡。

f:id:maekawa_kenichi:20190412095847j:plain

  あまり知られていないが、プラハを見渡せる高台でもある。左手にブルタバ川、遠くプラハ城。

 ここは墓地として有名なのだ。敷地はとても狭い。青山墓地のような広い墓地を想像して出かけたのだが、ざっと見渡せば、全域が視界に入る。あてにならない目測だが、30メートル四方もない。だから、墓の案内板を探さずに、とにかく歩いてみる。作曲家ドボジャーク(ドボルザーク)の墓は難なく見つかった。作家カレル・チャペックもすぐにわかる。作曲家スメタナもわかりやすい姿だ。 

f:id:maekawa_kenichi:20190412100401j:plain

 ドボジャークの墓。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190412100456j:plain

f:id:maekawa_kenichi:20190412100536j:plain

 チャペックの墓は、作家らしく本のデザイン。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190412100730j:plain

 スメタナの墓は楽譜入り。

 

 あとは画家ムハ(ミュシャ)の墓が見つかれば、私が知っているチェコ人はほぼ押さえたことになるのだが、見つからない。ムハの絵が付いた墓石を想像して探したが見つからず、しかたがなくひとつひとつの墓名を見ていったが見つからない。そもそも、ここにムハの墓があるのかどうかも怪しくなり、墓地案内板で確認しておきたくなった。

 入り口に埋葬者リストがあったが、いちいち探すのが面倒になり、おばちゃんグループがリストの前でがやがやしゃべっていて、リストが見にくい。それならば、おしゃべりが終わるのを待って自分でリストをチェックするよりも、おばちゃんたちに聞いたほうが早い。幸運にも、ひとりが英語をしゃべった。

 「画家のムハね。え~と」と人差し指がリストの上をなぞり、「あっ、これね」と指さした。“malir”は「画家」だと教えてくれる。旅に出ると、おしゃべりなおばちゃんが情報源になる。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190412100850j:plain

 写真なかほどに、MUCHA Alfonsの文字がある。

 

 リストの番号を案内図で確認したが、すでに行った場所だ。念のために再度行ってみたがわからない。墓番号を見間違えたのかと埋葬者リストを再度点検したが、間違いない。案内図で示す場所にまた行った。そこは何人もいっしょに埋葬した共同墓で、天下のムハがそういう場所で大勢といっしょに埋葬されているわけはないよなあと思いつつ、石板の募名を見ていくと、あった。3人まとめた墓だ。

f:id:maekawa_kenichi:20190412100941j:plain

 まさかこういう共同墓にあるわけはないがと思いつつ、墓碑を調べると、

f:id:maekawa_kenichi:20190412101018j:plain

 3人いっしょに入っていた。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190412101142j:plain

 そのほかの、墓。映画監督の墓かと思ったが、Fotograf komeramanという説明で映画カメラマンだとわかる。

f:id:maekawa_kenichi:20190412101231j:plain

 マンガ家の墓だろう。

  某日、郊外の団地を歩いていると、歩道脇に墓のような石板が見えた。近づくと、やはり墓のようだ。道路脇だから、実際の墓ではないだろうが、思いを込めた石碑なのだろう。

f:id:maekawa_kenichi:20190412101331j:plain

f:id:maekawa_kenichi:20190412101400j:plain

17.3.1992~14.10.2000 交通事故か。引き算をして、悲しみの深さがわかる、たった8年の生涯。

 

 

 

 

 

1265話 プラハ 風がハープを奏でるように 74回

 グランドホテル

 

 昼前に、チェコ南部のチェスケー・ブディエヨビツェに着いた。Budějoviceという地名は、アメリカでBadweiserというビールの名前になった。ビールの街だが、酒を飲まない私にはどうでもいいことだ。

 駅前のホテルに行って空き部屋を確認した。部屋はあるがチェックインは午後2時なので、荷物を置かせてもらってバスターミナルに戻った。プラハ行きのバスの運行スケジュールを確認し、キップも買ってしまおうと思ったのだが、発券窓口が見つからない。今まで行ったどこの国でも、バスターミナルには行く先別やバス会社別に窓口があって、そこでキップを買っていたのだが、ここにはそういう窓口が見つからない。

 窓口を自力で発見するのは不可能だと思い、ショッピングセンター&バスターミナルの1階にある観光案内所に行った。そこで意外な事実を知った。バスターミナルには発券所はないのだ。ターミナルから離れたところにある旅行代理店で買うのだという。バスのキップはスマホで買うのが常識だから、窓口を廃止したのだろうか。私のような時代遅れの旅行者が、旅行代理店でキップを買うということらしい。

 バスのキップを買って、昼飯を食べ、ホテルに戻ってチェックインをしようとしたら、「部屋はありません。満室です」という。「部屋があるというから、荷物を預けたんじゃないか」と何度いっても、「とにかく、部屋はないんです」の一点張りだ。満室だというのを忘れていたのか、誰かが私の部屋を横取りしたのかわからないが、とにかく部屋はない。ケンカをしてもラチがあかない。

 荷物を持って、ふたたび観光案内所に戻る。案内所が大変親切だということはすでにわかっている。すばらしいスタッフがそろっている。英語が充分に通じ、愛想がよく、気が利く。事情を説明し、2泊分の部屋を探してもらった。スマホを持っていれば自分でできることだが、地元の専門家にタダで探してもらう方が確実だ。

 「今週末に大きな会議があって、ホテルは満室のところが多いんですが・・・・、あっ、ここはありますね。145ユーロですが、予約しますか?」

 外国人に便利なように、ホテル代はユーロで説明することがあるのだが、2万円の部屋に泊まる予算はない。そんな高い部屋しかないなら、今すぐバスでプラハに向かう。

 「安い宿を。とにかく安いところをお願いします」

 スタッフは微笑みを絶やさず、パソコンに向かう。

 「グランドホテルなら、部屋はありますね」

 「グランド? 高いでしょ!」

 「ここのグランドホテルは、じつは『グランド』じゃないんですよ、45ユーロです。ただし、クレジットカードは使えません。現金払いです」

 その料金は、マドリッドやローマの安ホテルと同額だから、問題ない。

 「はい、そこを予約してください。2泊分で90ユーロということは、コルナではいくらになるのかなあ・・・」

 「いえいえ、2泊で45ユーロです」

 「まさかドミトリー?」

 「いえ、個室です。シャワーはついていますが、トイレは共用です。だから、『グランド』じゃないんです」

 そのホテルは、観光案内所の向かいにあった。鉄道駅の前、往年の名ホテルは手入れをされることもなく、老醜をさらしている。建物を覆うほこりにインドを思い出した。中に入ると、ホラー映画の撮影にはもってこいという風情で、昼間のチェックインでよかった。廊下は昼なお暗く、歩みだすと自動的に証明が付くシステムなのだが、点灯時間が極端に短く、我が部屋の前に着くと消える。真っ暗になり、カギ穴が見えない。廊下を走り、点灯させ、慌ててドアの前に行き、カギを差し込む。

 かつては、この街最高のホテルだったはずだが、さていつできたのか。フロントの爺さんは英語が通じないが、わかりやすい英語ならわかるかと思いたずねたら、「ノーノー」と言いながら、ノートパソコンを私に向けた。パソコンに英語で書けば、自動翻訳するということだ。シンプルな英語にすれば、トンチンカンな翻訳にはならないだろうと思い、”How old is this hotel ? ”と書いた。すぐさま、爺さんはメモ帳に「100」と書いた。

 そうか、100年物か。ほこりだらけのロビーに往年の雄姿の写真が飾ってあった。ちなみに、あいまいな記憶ではあるが、世界でいちばん多いホテル名は「グランド」のはずだ。

 

 この街の「グランドホテル」がこれ。

f:id:maekawa_kenichi:20190410094234j:plain

 2階の窓が開いている部屋が我が家。看板で窓を隠しているから、使えない部屋がいくつもあるということだろう。
 

f:id:maekawa_kenichi:20190410094303j:plain

  グランドホテル正面は、レリーフのほこりでわかるように、この写真よりもはるかに荒んでいる。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190410094428j:plain

 私の高性能カメラのF1.8レンズを窓に向けて撮影したので明るそうに見えるが、カメラを構えている場所では、人の顔もよくわからない。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190410094527j:plain

 古い宿だから、天井が高く、窓も大きい。部屋に不満はない。

f:id:maekawa_kenichi:20190410094624j:plain

 ロビーにあった古い写真。100年前はこういう風景だったようだ。右の建物が駅。

f:id:maekawa_kenichi:20190410094339j:plainその現在の姿。

1264話 プラハ 風がハープを奏でるように 73回

 映画を見る その3

 

 言語学者黒田龍之介の『物語を忘れた外国語』(新潮社、2018)のなかに、「外国語・シネマ・パラダイス」という章がある。「日本にいて外国語に触れたくなったとき、わたしは本を読むか、映画を観る」と書いている。ある言語が使われている現場が、映画なら目と耳で触れられるというのだ。

 私が旅先でできるだけその国で作った映画を見るのは、その国ではどんな映画を作っているのか知りたいからであり、旅行者が見ることができない日々の衣食住を見せてくれるからで、例え言葉がわからず、ストーリーを追えなくても、卓上にどういう調味料があるかとか、家の中ではどんな履物を履いているのかとか、映画の筋とはまったく関係なしに映画を楽しめる。旅先だと、わかりにくい映画でも集中力が持続する。

 黒田氏の話は続く。今では韓国ドラマが日本で多く紹介されるようになり、韓国語に触れる機会は増えたのだが、現実はこうだと書く。

 「だが、残念ながら、この韓流ドラマがわたしの好みではないのである。若い美男美女による単純明快なラブストーリー。わたしも少しはつき合ったことがあり、例えばチェコ共和国の首都プラハを舞台にした韓流ドラマは部分的に観たのだが。ツッコミどころ満載で爆笑はしたものの、熱中する気にはなれなかった」

 韓国のドラマが気に入らないなら、映画を見ればいいのだ。いい映画は、日本にいてもいくらでも見ることができる。それはともかく、幸か不幸か、このエッセイを読む前に、私はその韓流ドラマ全巻を買って、見てしまったのだ。「プラハの恋人」だ。

https://k-dora.net/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA%E3%80%80%E8%A6%96%E8%81%B4%E7%8E%87%E3%80%80%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%98%E3%80%80%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%80%80%E6%84%9F/

 私はベタなドラマは好きではないので、このドラマの内容が気に入ってDVDを全巻買ったわけではない。大統領の娘や財閥の御曹司が出てくるドラマが、私の気に入るわけはない。だから、私がDVDを買った理由は、2005年撮影当時のプラハと、チェコと韓国人の関係を見てみたかったのだ。モノズキダネ。

 プラハの街は何百年も前から変わらないから、ドラマ撮影時から現在までの14年間の変化は、まあ、看板くらいか。このドラマを見ると、2005年という時代にチェコにいた韓国人は、大統領の娘で在プラハ韓国大使館職員、その恋人の財閥の御曹司。音楽留学している娘と休暇をとって彼女に会いに来た韓国の警官の4人が中心となり、プラハの韓国人学校の子供たちも登場する。下っ端の警察官だけは旅行費用の説明がつかないのだが、ほかの3人はチェコに来ることができる環境にある。2005年は、チェコに大勢の韓国人観光客がやって来るにはまだ早いのだ。そこでチェコと韓国の両政府の、観光や貿易や企業誘致などの思惑があってこのドラマが生まれたのかもしれないと想像する。このドラマは、韓国人用のプラハ観光映画であり、チェコ共和国の広報映画として企画された可能性は高い。

 チェコ旅行どころか、海外旅行そのものも、ドラマ制作スタッフになじみがないせいか、警官も御曹司も、プラハに着いた時の荷物は、小さな手荷物だけなのだ。韓国人スタッフも、それを不自然とは気がつかない時代だったのだろう。手ぶらで海外旅行と言えば、イ・ビョンホンの「エターナル」(2017)がある。この映画、オーストラリアに着いた男はなぜ荷物を持っていないのだ? というあたりから謎がわいてくる。

 「プラハの恋人」について語ることは、ふたつ。このドラマで注目を集めたキム・ジュヒョクは、2017年に交通事故で亡くなっている。このドラマに出ていた若い時代、「誰かに似ているなあ」と気になっていて、あっ、京大芸人の宇治原史規だと思った。ネット情報では、私と同意見の人が多いが、40歳を超えると違う顔になっている。

 大統領の娘役のチョン・ドヨンは、特に好きというわけではないが、出演作は割と見ている。「接続 ザ・コンタクト」(1997)、「ユア・マイ・サンシャイン」(2005)、「シークレット・サンシャイン」(2007)ほか。最近のドラマでは、日本では常盤貴子がやった「グッド・ワイフ」の韓国版の主演をやった。チョン・ドヨンを知る人には当然という判断だろうが、常盤貴子より数段上の演技だった。

f:id:maekawa_kenichi:20190408093635j:plain

 

 

 

 

1263話 プラハ 風がハープを奏でるように 72回

 映画を見る その2

 

 帰国して、アマゾンをチェックした。チェコ映画のDVDを安く売っているかどうかのチェックだ。「安く」というのは、内容がまったくわからないで注文するなら安いに越したことはないという判断だ。

 「プラハ」という映画が見つかった。”Praha”(2001)というチェコ映画で、ありがたいことに日本語字幕付きだ。レンタル流れだから、安い。パッケージ写真を見ると、おバカな高校生のお調子者映画という感じがするが、まあい、いいと、注文。

 プラハが舞台というだけでもいいと思い、解説など一切読まずに、すぐさま見た。

 「アメリカン・グラフィティー」のような、卒業直前の高校生と脱走兵のミュージカルで、音楽や踊りから時代設定は1960年代だとわかる。ミュージカルといっても、いわゆるミュージカル映画とは違い、歌の部分は当時のテレビ番組風の演出にしているだけで、登場人物がいきなり歌い踊るわけではない。スタジオ収録風の映像は、「ザ・ヒットパレード」(1959~70 フジテレビ)や「シャボン玉ホリデー」(1961~72 日本テレビ)を思い出させる映像だから、時代設定はすぐにわかった。

 ラストの数分がこの作品の真意を見せてくれる。アメリカ軍放送VOAソビエトを中心とするワルシャワ機構軍がチェコに侵入したと報じている。森のなかの道路を走っている車の前を、戦車が突然現れる。自由を求める者は、国外脱出を企て、国境の兵士も脱出に協力する。1968年8月下旬、「プラハの春」がソビエトなどの戦車で蹴散らされたのだ。おバカな青春が、戦車によって突然終わりを告げられる。そういう映画だ。

https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%EF%BC%81/324577/

 「チェコ映画」と検索すると、もっとも多くヒットするのは、「コリャ 愛のプラハ」(1996)だが、DVDは高い。単行本『コーリャ 愛のプラハ』(ズデニェック・スヴェラーク、千野栄一訳、集英社、1997)の著者はこの映画の脚本を書いた作家で、この本はほとんど台本である。ノベライズというほどの手間はかけていない。おもしろい小説とは、とても言えない。そういうわけで、映画版にも興味はなく、高いカネを出してDVDを買おうとは思わなかった。

 ところが、予告編だけでも見ようかと“Kolji/Kolya”で検索していたら、この映画がありがたいことに、英語字幕付きで1時間40分の完全版をネットで見ることができるとわかり、さっそく見た。

https://www.youtube.com/watch?v=QmXQdlRURQI

 女たらしのチェロ奏者ロウカは、かつてはチェコフィルでも演奏していたのだが、今は葬式の演奏と、墓石の文字の再塗装作業で糊口をしのいでいる。オーケストラを追われたのは、反政府的活動をした結果パスポートを取り上げられ、海外公演に参加できなくなり、海外公演で稼げない団員に価値はないと判断されたからだと、当人は思っている。

 貧乏生活をしている彼のもとに、偽装結婚の話が持ち込まれ、書類上はロシア人女性と結婚することにして、かなりのカネを受け取った。結婚すると、女は恋人がいる西ドイツに亡命し、プラハには彼女の子供が残された。そして、5歳の少年と初老の男の生活が始まる。

 そして、この映画のラストシーンは、1989年11月のビロード革命だ。まったく偶然だったのだが、「プラハ」はソビエト支配が始まる1968年夏で終わり、「コーリャ」はそのソビエト支配が終わる1989年11月で終わる。

 うん、偶然とはいえ、この映画に出会えてよかった。映画は世評どおり、おもしろかった。少年の物語ということで、イタリア映画の伝統芸を思い浮かべたが、影響があるのかどうかは知らない。

 上にリンクを張ったから、さあ、時間を作って、見る機会があまりないチェコ映画を見てみませんか。

 

 

1262話 プラハ 風がハープを奏でるように 71回

 映画を見る その1

 

 散歩をしていて映画館を見つけたので、ロビーに入って上映中の作品を点検した。チェコ映画を見たいのだが、製作本数はそれほど多くない国だろうから、私の滞在中にうまい具合に見ることができるかどうか不安に感じつつ、上映作品リストを見る。タイトルと出演者の名前がチェコ語らしいと勘が働いた作品を窓口で確認したら、幸運にもチェコの映画だとわかった。朝と夜の2回上映だから、その日の夜の回を見ることにした。願わくば、会話ばかりの法廷映画とか、理屈をこねまわす退屈な文芸作品ではないといいが、アクション映画だと退屈する。どういう内容であれ、滞在中にチェコ映画を見るチャンスに巡り合ったことに感謝する。入場料159コルナ、795円は日本人には安い。真新しいシネマコンプレックスだ。

 “Po čem muži touží” (ポー・チェム・ムジ・トゥジー、2018)という題名で、見終わったあと、かなり英語ができるチェコ人にこのタイトルの意味をたずねたら、「う~ん、難しいなあ」と考えこみ、「大意としては、『この男は何をしたいんだ』という意味かな」と説明してくれた。便利な世の中になったもので、帰国後、この映画の情報はいくらでもネットに上がっていることがわかった。グーグル翻訳をすると、この映画のタイトルは「男性がほしいもの」ほかの翻訳が見つかる。この映画に関するチェコ語情報をパソコン翻訳すると、ほとんど解読不能な文書になってしまうが、まずが予告編を見てもらおうか。

http://www.zkouknito.cz/video_157731_po-cem-muzi-touzi-2018

 多分、この予告編を見ても、内容は把握できないだろう。英語の字幕もないが、わかりやすいコメディーだった。

 遊び人で、仕事をまじめにやらないチェコ版「プレイボーイ」誌の編集長カレルは、離婚して高校生の娘と暮らしているが、自宅に女を連れ込むような男で、仕事の業績も上がらず、解雇された。その夜、占い師に「女になったらどんな気分か・・・」などと言ってしまったからか、翌日、女の体になっている自分に気がつく。そこから、友人や元妻や会社の部下などが登場し、「女とは」を考える。

 会話がいっさいわからないが、なんとかストーリーを追えて、楽しめた。軽妙さが救いだった。

 この映画の情報を引き続き調べると、元はアメリカ映画だとわかった。メル・ギブソンの”What women want”(日本題「ハート・オブ・ウーマン」、2000)の予告編は、これ。この映画のリメイクだったのだ。この英語タイトルをチェコ語に翻訳して、男と女を入れ替えたから、このチェコ映画の英語タイトルは”What man want”。だから、「男がほしいもの」なのか。

https://www.youtube.com/watch?v=VFwHs7fEUNs

 アメリカ版は、体は男のままで女の気持ちがわかるようになるというものだが、チェコ版では体も女に変わるというものだ。これは大林宜彦の「転校生」(1982)以降といっていいのかどうかわからないが、日本でも韓国でもおなじみの手法。心だけ入れ替わるものや、体と心が入れ替わるなどいろいろあるが、私にはもはや手垢がついた手法にしか思えない。

 チェコ版で、ストーリーと直接関係ない話だが、主人公のプレイボーイ誌編集長の愛車が、ヒュンダイ・ハイブリッドだった。フェラーリでなくても、女遊びで問題を起こすようなプレイボーイの愛車が、ヒュンダイじゃないだろう。この車、チェコでいくらするか知らないが、アメリカでは日本円にして250万円程度だ。ということは、スポンサーかと思いクレジットタイトルを注視したが、hyundaiの文字はなかった。言葉がわからない映画は、そういう点に注目して遊んでいる。

 ★ユネスコの資料によれば、チェコの映画製作本数は、世界で25位、2013~15年の資料では年間50本程度制作しているらしい。

https://umikarahajimaru.at.webry.info/201705/article_16.html

 

f:id:maekawa_kenichi:20190404094355j:plain

 

 

1261話 プラハ 風がハープを奏でるように 70回

 

 ティナと その5

 

 その日もティナとしゃべっていた。彼女の夕食は、たいてい肉と野菜とご飯だった。「パンより、ご飯が好きなの」といって、ステンレス鍋でじょうずに炊いていた。かなり多めに作っていたのは、夕食と翌日の弁当の2食分作っていたからだ。堅実で生真面目、両親にとっていい娘で、教師にとってはいい学生だ。

 彼女の食事風景を見ていて気がついたのは、食事中はいっさい水分を取らないことだ。飲み物いっさいなし。食事を終えると、コップ一杯の水をうまそうに飲む。

 「ベルギーの家にいるときも、食事中に飲み物はないですよ」

 日本では汁物がなくてもお茶が・・・と思ったが、考えてみれば、ちょっと前まで食事中にお茶を飲むものではなかった。お茶は食後だ。子供のころは、私もそういうしつけを受けた。3食必ず汁物が付くわけではないし、子供はお茶など飲まなかったから、食後は水道の水を飲んだ。

 食事を終えても、おしゃべりが続く。今夜は、仕事場であるベルギー大使館周辺の案内を、グーグールマップを使ってやってもらう。

 ベルギー大使館はプラハ城の南のマラー・ストラナ地区にあり、周辺に大使館が多くある。チェコ音楽博物館のそばに日本大使館デンマーク大使館が並んであり、そのすぐそばにフランス大使館があり、その向かいにジョン・レノンの壁がある。テレビの旅番組で取り上げたプラハで、ちょっとそんな映像を見たが、どこにあるのか知らなかった。パソコンの地図と空撮映像とストリートビューを見ながら、彼女の通勤路や昼休みの散歩コースなどを解説してもらった。いくつもの大使館の若手スタッフとは顔見知りだそうで、昼休みに遊びに行ったりするという。

 

f:id:maekawa_kenichi:20190402094651j:plain

f:id:maekawa_kenichi:20190402094736j:plain

 ジョン・レノンの壁」は、じつは教会の塀だということをグーグルマップで知った。空撮映像がないと、そういう事実はなかなかわからない。

 

 そんな話をしていると、リビングルームに私と同年配くらいの女性がひとり入ってきて、話の輪に加わった。明日、鉄道でウィーンに行くという。プラハの印象など、とりとめのない話をしているうちに、彼女はフランス人だとわかった。フランス語訛りのない英語だから、フランス人だとは気がつかなかった。

 「最近の若者は別ですが、そんなに英語がしゃべれるフランス人とはめったに会いませんよ」というと、すかさず「アメリカ人と結婚して、ニューヨークに30年も、そう、30年も住んでいたのよ」と言った。「30年も」を強く言ったのは、アメリカ生活にうんざりしたのか、それとも一緒に暮らした夫のせいなのか。彼女は私の国籍を確認し、早口で日本旅行の思い出を語り、「あなたはどこの人?」とティナに話しかけた。

 ベルギー人だとわかると、「フランス語は・・?」と英語で言い、ティナがフランス語で返事をしたので、それ以後、会話はフランス語に変わった。ふたりのフランス語を聞いていて、明らかに違うのがわかった。フランス人のフランス語はいままで何度も聞いたことがあるフランス語なのだが、ティナは母語がフランス語なのだが、カタカナでメモができるようなフランス語をしゃべっている。フランス語の特徴でもある喉の奥から出すR音を、日本人がしゃべっているような感じでしゃべるのだ。平板と言っていいのか、とにかくとても聞き取りやすい。知っている単語は、ちゃんと聞き取れる。

 米原万里のエッセイに、同時通訳をしていたフランス語通訳が、ベルギー人のフランス語は田舎臭いと評していたという話が出てくる。ずっと以前に読んだ『不実な美女か貞淑な醜女か』(徳間書店、1994)に収められた「方言まで訳すか,訛りまで訳すか」に出てくる話なのだが、ちょうど旅に持って来ていた『米原万里ベストエッセイ1』(角川文庫、2016)に再録されていたので記憶が更新されていた。米原の本はすでにすべて読んでいるが、彼女は子供時代チェコに住んでいたことがあるから、資料収集という意味でも、彼女のエッセイを再読していた。

 ウィキペディアの「ベルギー・フランス語」には、「フランス語(以下、標準フランス語)との違いは若干のイントネーションや語彙の違いなど些細なものが殆どである」と書いてあるが、実情はどうなんだろう。ネットで調べると、やはり「些細」でもないらしいとわかる。その一例が、これ。

https://ccfrancais.net/murmure/francais_en_belgique/

 後日、デンマーク大使館の前を通りかかると、大使館の脇に観光事務所があり、”101 FACTS ON DENMARK"というポスターのようなものが貼ってあり、読んでみるとおもしろい。事務所に入って、「このポスターが欲しいのですが・・・」と言ってみると、「ポスターは差し上げられませんが、これなら・・」と縮小版をいただいた。

 1、デンマークには406の島がある。

 8、.ハンドボールデンマーク生まれのスポーツだ。

 25、デンマーク人の半分は、ーsenで終わる姓だ。

 こういう情報のほか、「デンマークは世界でもっとも平和な国だ」というような証明できない話もあるが、まあ、笑い話と解釈して楽しめばいい。

https://www.facebook.com/denmark.dk/photos/how-much-do-you-know-about-denmark-we-have-gathered-101-facts-on-our-wonderful-c/10154623096021674/ 

 

f:id:maekawa_kenichi:20190402094939j:plain

 こうして、ほとんど毎夜、7時には帰宅して台所でとりとめのない会話を楽しんだ。ティナの帰りが遅くなったのは、知り合いの外交官たちとのパーティーの夜で、私が遅く帰ったのは映画を見た夜だった。ということで、次回から映画の話を少し。