1260話 プラハ 風がハープを奏でるように 69回

 ティナと その4

 

 日本人がフランスにあこがれを抱いたのは、戦後からではない。フランスへのあこがれは、明治時代に絵画や文学などに始まり、次は映画だった。「巴里の屋根の下」(ルネ・クレール)は、日本最初のトーキーのフランス映画だった。1931年の公開だ。それまでは無声映画だったが、この映画でフランス語の会話とフランス語の歌が日本の映画館に流れた。日本におけるシャンソンの歴史はここから始まる。

https://www.youtube.com/watch?v=mvPRRJ1QJgI

 1933年に公開されたのが、「巴里祭」(ルネ・クレール)が公開された。日本でも受け入れたことがよくわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=KWHNpcSp9LM

 日本人がフランス人になった気分で、フランスの共和国成立を祝う日を「巴里祭」(パリさい、あるいはパリまつり)と呼び、銀座にシャンソン喫茶「銀巴里」(1951~1990)ができた。シャンソンは、フランス語では「歌」を意味する名詞で、特定の音楽ジャンルを表さないが、日本では1940年代から50年代あたりのフランス歌謡を、シャンソンと呼んだ。レストランチェーンの「ジロー」の店名は、「次郎」といった日本語ではなく、たしかシャンソン歌手イベット・ジロー(Yvette Giraud)にちなんだもののはずで、もとは1955年開店のシャンソン喫茶だった。この情報は、シャンソンが好きだった永六輔によるものだ。

 石井好子芦野宏、丸山(のちの美輪)明宏、岸洋子越路吹雪といった歌手の歌を好きでもないのに、ラジオ少年であった私は聞き、テレビでも見た。そういう時代だったのだ。だから、私でも知っているのだ。ずっとのちに、「日本人のフランスかぶれの歴史」を知りたくてちょっと調べたことがあって、フランス人歌手の名前を確認したことがあるのだが、その時も嫌いなジャンルなのに意外に多くの歌手を知っていたのに、自分でもびっくりした。そういえば、戦後の同じころ、サルトルボーボワールが一種の「流行り物」となっていたことがある。フランスのファッションが、フランスの国家事業として日本に入ってきた戦後史も調べたことがあり、非常に興味深い歴史があるのだが、それはさておき・・・。

 私の想像だが、1950年代当時の日本で、シャンソンを好んで聞いていたのは女だろうと思う。外国の音楽を好んだ男は、ジャズとカントリー&ウエスタン、ハワイアンとロカビリーといったアメリカ音楽にアンテナを向けた。ジェームス・ディーンとプレスリーと西部劇だ。シャンソンを好んだ男は、旧制高校でフランス語を学んだ世代、開高健のようにフランス文学や美術などに関心があった人達だろう。開高のエッセイには、ボードレールのようなフランスの詩の話とともに、ダミアの「暗い日曜日」などにも触れている。フランスの映画や音楽は、1950年代に青春時代を過ごした若きインテリたちの一般教養だったのである。

 1960年代に入ると、フランスの音楽界も、ロックの時代に入る。

 フランスの歌謡曲も、1960年代に入りロックの影響を受けて、Yé-yé(イェイェ)と呼ばれた。ロックの歌詞に出てくるYeah!(Yesの意味。歌のなかで間投詞として使う)という英語のフランス語版だ。フランス・ギャルやシルビー・バルタンやジョニー・アリディーなどが活躍する時代で、日本でも盛んに放送された。レナウンのyeyeワンサカ娘のCMの話をすると長くなるので、以下参照。1961年発表の歌。作詞作曲は小林亜星。歌うは、シルビー・バルタン。1965年と66年のCMで歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=EvqFvUeDYno

 こういう戦後日本の音楽史があるから、私でも昔のフランス音楽を多少は知っているというわけだ。ティナの祖父母の時代のフランス語音楽の歌手の名前を思い出しているうちに、若い歌手の名も思い出した。

 「さっき、今の若いフランス人歌手で唯一知っている人がいるけど、名前を思い出せないと言ったよね。たった今、思い出したんだ・・・」

 「まさか、ザーズ(ZAZ)じゃないでしょうね?」

 「そう、その通り。ザーズは好きだよ」

 「ええ? わたし、あの発声が好きになれないのよ」

 「でもピアフのような声だよ。歌い方もそっくりさ」

 「そうかなあ、まあ、それはいいとして、彼女、ちっとも若くないわよ」

 ザーズを知ったのは、彼女のデビューアルバム「モンマルトルからのラブレター」(2010)が出たころで、若手だと思っていたのだが、今調べれば1980年生まれだ。39歳か。大学院生から見れば、決して若くはないな。

 

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プラハとはまったく関係はないが、過去に書いたこういう文章を紹介したい気分だ。2010年11月、アジア雑語林295話だ。

https://maekawa-kenichi.hatenablog.com/entry/20101122/1290415117

 

 

 

1259話 プラハ 風がハープを奏でるように 68回

 ティナと その3

 

 その日の雑談会は、言葉をテーマにして始まった。彼女の母語はフランス語で、北部で使われているオランダ語も、ドイツ語もある程度わかる。英語は、文献を読んだりするのには不自由はないが、会話が問題だといった。

 「イギリス人なんかと話していると、同じように早くしゃべれなくてイライラするし、口語表現がよくわからない。発音で苦労するのは、H。英語をしゃべっていても、『フランス語のようにHを落として発音しちゃだめだ』という意識が強く働いて、会話がおろそかになりそうなの」

 Hを巡る感覚は、私にはわからない。

 「フランス語だって、ちぇんとHを発音すればいいんだよね、書いてあるんだから。それがいやなら、Hを落として書けばいいんだけどな」

 私の暴論にティナは苦笑いした。「そんなこと、できるわけないじゃない、バカね」という笑いで、もちろん私もわかって言っているのだ。「LとRは違う文字で書いてあるんだから、それぞれ違う発音をすればいいじゃない」と言われたら、返す言葉がない。

 次に、ベルギーの企業の話になった。「ベルギーに、世界的に有名な企業はあるのか」と質問した。

 彼女はパソコンの画面に大企業リストを出した。

 「有名企業はあるんですよ。あっ、ここは有名だけど銃器の会社。ここは、ビールの会社、これはスーパーマーケット・・・・」

 企業の説明をしていくが、私は知らない。それは私の知識不足のせいだ。リストをのぞき込むと、1社だけ知っている企業があった。Godiva。チョコレートのゴディバだが、彼女はあまり好きではないらしい。

 「もっと高級なところはあるし、もっとおいしくて安いチョコもあるし・・・」とチョコレートメーカーの名を挙げたが、すべて私は知らない。

 音楽の話もした。そもそもベルギーの音楽も歌手も知らないから論外で、彼女もなじんでいるフランスの音楽の話が始まった。

 「フランスの音楽なんて、知らないなあ。今、どういう音楽が流行ってるのか、全く知らない。若い歌手やグループで知っているのは・・・、ああ、名前を忘れた。昔の人なら、少しは知っているよ」

 「昔の人って、例えば? フランス・ギャル?」

 「そう、それからシルビー・バルタン。フランソワーズ・アルディー・・・、ああ、大事な人を忘れていた。エディット・ピアフ

 「私、ピアフは好きですよ」

 「それから、ジョニー・アルディー、シャルル・アズナブール、ムスタキ、ミシェル・ポルナレフブリジット・フォンテーヌ、ジェーン・パーキン、アダモ、エンリコ・マシアスクレモンティーヌ・・・」

 現在の国籍は知らないが、フランス語で歌っていても、ジョルジュ・ムスタキはエジプト育ちのギリシャユダヤ人、ジェーン・パーキンはイギリス人、マシアスはアルジェリアでうまれ育ったフランス人。シルビー・バルタンだって、ブルガリア出身。彼らの経歴はある程度知っていたが、アダモはイタリア生まれのベルギー人だということを、今このブログの確認作業をしていて初めて知った。

 「あっ古い人の名前を突然思い出した。イブ・モンタン

 「だいぶ古いわね。先日亡くなりましたね」

 ちょっと前にテレビを見ていて、ニュースの時間に、若いころのイブ・モンタンが歌うシーンが流れ、高齢だから「もしや・・・」と思ったのだが、やはり、あれは訃報だったのか。

 瞬時に、イブ・モンタンが出演した映画のことを思い出した。何本かは見ている。すると、あの時代の古い歌手たちの名が次々と浮かんできた。

 「ジルベール・ベコー、ダミア、ダリダ、シャルル・トレネ、イベット・ジロー・・・、あっ、もっと後の人だけど、セルジュ・ゲンスブール

 「正しくは、Serge Gainsbourg」と、発音を直された。もしかして「ゲンブール」と言ったかもしれない。私はフランス語をまともに勉強したことがないし、フランスの歌手の名前だって、ラジオやテレビで日本人が発音しているのを聞いて覚えただけで、原音をまったく知らない。うろ覚えのカタカナ・フランス語だから、発音の悪さは致し方ない。

 出生地はいろいろあっても、フランスで活躍した歌手の名をこんなに知っていることに、自分でも驚いた。シャンソンのファンではまったくなく、むしろ大嫌いな音楽ジャンルなのだ。音楽評論家中村とうようが「音楽は広く好きだが、シャンソンは大嫌い」と書いているのを読んで、「そうそう」と相づちを打った。シャンソンもオペラも、大嫌いだ。

 大嫌いなのにシャンソン歌手を多く知っていたのは、私が育った時代のせいだ。私は昔から音楽を聞くのが大好きで、たえずラジオのそばにいた。子供のころ、日本にもシャンソンの時代があった。この話、長くなりそうなので次回にまわすことにする。

 

 本文とは関係ないが、プラハのジャズクラブReduta。アメリカの大統領、ビル・クリントンもここで演奏している。共産党時代から、ここは西側に開いた窓だった。

https://www.redutajazzclub.cz/en

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1258話 プラハ 風がハープを奏でるように 67回

 ティナと その2

 

 「さっきの子供の通学の話だけど、違うと思うんだ・・・」とティナが言った。話題がどんどん変わる世間話と、ティナに教えてもらうベルギーの話の2本立ての雑談会だから、話題がどんどん変わる。通学の話というのはこういうことだ。

 プラハの郊外にいたときの話だ。駅から帰宅する薄暮のころ、私の前を下校する小学校低学年くらいの女の子が歩いていた。道路をちゃんと渡れるかどうか心配だから彼女の脇に立ち、道路に飛び出さないように気を配った。その時に気がついたのは、「小学生の子を歩いて通学させるなどという危ないことをさせたら、親は責任を問われます。だから、日本で小学生が歩いて通学しているのを見てびっくりしたんです」という何人かの在日欧米人の発言だ。日本がいかに安全かという話の例なのだが、ということは、プラハは実に安全な街だということだ。

 食事中のティナに、そんな話をした。食事を終えて、洗い物をして、彼女はパソコンを取り出して、「さっきの子供の通学の話だけど・・・」と話し始めた。

 「これが、私の街」

 グーグルアースをモニターに出した。きのうはベルギー南部の俯瞰図を見たが、今度は家並みが見える。

 「これが、小学生時代に住んでいた家。小学校はここ。私は毎日この道を歩いて学校に通っていました。ベルギーだって、こういう小さな街なら小学生が歩いて通学しても安全ですよ」

 「ブリュッセルだと無理でも、小さな街なら小学生が歩いて通学するというわけか」

 「そうです」

 ティナは空撮映像をもっと拡大した。話だけならすぐには理解しにくいが、鮮明な画像だとわかりやすい。夏の、明るく輝いている昼間の住宅地だ。モニター上のカーソルがほんのちょっと移動した。ストリートビューの画面を、彼女と一緒に歩く。

 「ここが、今両親が住んでいる家。前の家のすぐ近くです。あっ、庭に、ほら、犬が見える! へ~、ストリートビューでウチの庭まで見えるんだ」

 新興住宅地というのが正しい表現だろう。端正な家が並び、その外側に畑と林が見える。解説付きでストリートビューを見ていると、彼女の案内でご近所を歩いているような不思議な気分になってくる。

 「あなたが住んでいる街も見せて」

 そういうので、ノートパソコンを手前に持ってきたが、キーボードが打てない。配列がまったく違うのだ。

 「そう、それ、フランス語用だから」

 パソコンなど機械全般に疎いが、日本には50音配列のキーボードがあることは知っているが現物を見たことはない。日本のこともよく知らないのだから、外国のキーボード事情などなおさら知らない。

 指1本で、私が住んでいる街の名をローマ字入力して、空撮映像を出した。

 「これが、アジアの街だ」

 ティナは母の故郷マダガスカルには行ったことがあるが、アジアはまったく知らない。ベルギーの住宅地と比べると、我が町の、なんと雑然としたことか。私は大都市の街なかで暮らしているわけではないが、空撮映像を見ると、「なんともせせこましい地域」で、息をひそめて生きていることがわかる。ティナが育った街の家々も、日本の郊外住宅と家そのものの大きさはほとんど変わらない。しかし、3軒分の敷地に1軒建っている感じだ。ベルギーのそういう街で生活したいかと問われれば、「眠くなりそうだな」と答えるしかないが、それは今では決して否定的表現ではない。若い時は、「そんな眠くなる街なんかうんざりだ」と思って、ヨーロッパを避けてアジアの雑踏に飛び出して行ったのだが、今なら「うとうとできるくらい静かな街なら、それはそれでいいじゃないか」となった。退屈な田舎は嫌いだが、のんびりできる小さな町はしだいに肌に合うようになってきた。

 バンコクのように、24時間いつもどこからでも、エンジン音が鳴り響いている街には、もううんざりしている。しかし、アジアの雑然とした街には、うまいものがいくらでもある。それが、旅行先選びの大問題だ。

 

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  チェコ南部、オーストリアとの国境近くのチェスキー・クロムロフは1日散歩をすれば充分だから、普通なら退屈するのだが、幸せなことにおもしろい旅行者と次々に出会い、毎日を楽しく過ごした。だから、話し相手がいないと、小さな町は退屈だ。

 

 一方、プラハ

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 プラハの人口は128万人。毎日楽しく散歩をするには、これくらいがちょうどいい。総じて、アジアの街は大きすぎる。渋滞は要らない。トラムは欲しい。
 

 

1257話 プラハ 風がハープを奏でるように 66回 

 ティナと その1

 

 夜9時過ぎごろだっただろか、宿のリビング&ダイニングで、私はひとり、テレビを見ていた。このブログの1217話で書いたように、チェコ音楽事情を調べているときだ。ドミトリーのない宿だから、客数は少ない。シャワーやトイレは共用だが、順番を待つほど混んだことはない。

 ドアが開いて、若い女性が入ってきた。

 「ハイ、ハロー」と反射的に声をかけ、

 「ハロー」と返ってきた。

 それだけの会話だった。彼女は水を飲んで出て行った。アジアの血が入っているような顔つきだが、日本のタレントやモデルに多い、日本人と西洋人の両方の血が入っているという感じではなく、インドネシアなどで時々見かける色白の人で、しかし中国系でもないような、素性がわかりにくい顔つきだった。

 翌日の、まだ早い夜、7時頃だっただろうか。その日の夕食は宿の近くでピザを買い、再びテレビで音楽番組を見ながら食べる計画だった。CMのチェックもしてみたかった。

 

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 ピザ2枚300円ほどの夕食。このピザの向こうにティナがいる。

 

 昨夜の彼女が同じように台所に来て、同じように「ハーイ」と挨拶したあと、料理を始めた。私から声をかけたとは思うが、何と言ったか覚えていない。多分、「今夜のメニューは何?」とでも言ったのだろう。彼女は料理をしながら、私はピザを食べながら話し、そして彼女は食事をしながら私はコーヒーをもう一杯作り、引き続きいろいろな話をした。以後、私がプラハを離れるまで、毎夜こうした雑談会が続いた。

 「旅行者なの?」

 「いえ、勉強しています」

 「留学生?」

 「いえ、ベルギー大使館でインターンシップをやりながら、自分の研究をしています。いずれ書く論文のための調査です」

 「大学生なの?」

 「大学院の修士課程です。専攻は国際関係論ですが、修士論文はバチャをやろうと思っているんですが、これが大変で、世界のいくつかの会社とコンタクトを取ろうとしてもタライ回しにあって、取りあってくれないんですよ、まったく!」

 バチャというのは、世界的な靴メーカーで、チェコで生まれた会社。チェコ語ではBaťa と書き、tの上に記号があるのでバタではなくバチャと発音する。チェコ以外では記号を取ってBataと書きバタと呼ばれる。複雑な歴史があるのは、私も調べたことがあるからわかる。

 もう40年近く前になるが、バタはインドの会社だと思っていた私に、「インドじゃなくて、たしかチェコで生まれた会社ですよ」と教えてくれたのが知の巨人松岡環師(本当にいろいろ教えてもらった)だ。のちにインターネットの時代に入り、気になってちょっと調べたことがあった。

 その複雑な歴史に興味のある人は、ここで。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bata_(company)

 彼女はステーキを焼きながら、長めの自己紹介をした。初対面の人に対する礼儀だと考えている育ちの良さからなのか、それともその顔つきからいつも出自を聞かれるから自分から先に話してしまおうと考えたのだろうか。

 彼女はベルギーの大学院生。父はベルギー人、母はマダガスカル人。名はティナ。クリスティーナの省略形。

 「そうか、わかった。マダガスカルにはインドネシア方面から大勢やって来た歴史がある。だから、アフリカだが、アジア人の顔つきをした人が多い国なんだ。母親がマダガスカル出身ということは、父親はベルギー南部の人なのかな?」

 マダガスカルは元フランスの植民地だから、ベルギーのフランス語圏である南部出身だろうと想像したのだ。

 「ええ、そうです。スランス語圏です。ベルギーに詳しそうですね?」

 「いや、詳しいというほどじゃないけど、言語と社会というテーマで授業をやったことがあってね、そのときにベルギーの言語事情や経済史を少しは調べたんだ」

 そういって、大学で授業をしていたことがあると、彼女にならって私もちょっと自己紹介をした。ベルギーの南北問題と経済といった話を授業でやったことがある。ベルギー南部はフランス語圏で、北部はオランダ語(正確にはフラマン語)圏、一部がドイツ語圏になっている。都市の名もそれぞれの言語による表記があり、外国人は英語など別の名で呼ぶからややこしいことになる。「ベルギー」という呼称は日本のもので、オランダ語なら「ベルヒエ」、フランス語なら「ベルジック」、ドイツ語では「ベルギエン」と公用語の自称が3つある。ついでに英語だと「ベルジャム」。

 1975年、フランスからオランダにヒッチハイクしているとき、“Belgium”と書いた紙を掲げている旅行者がいて、「それ、どこの国の街?」と聞いたことがある。路上でのかみ合わない会話の結果、どうやら日本人が「ベルギー」と呼んでいる国のことらしいとわかった。そういう思い出話もティナにした。自己紹介をせずにベルギーの南北問題といった話をすると、「この人、何者?」と疑問を抱くと思ったので、あえて自己紹介をしたのだ。

 ある国の言語事情を調べると、その国の民族や歴史や社会問題などもわかって興味深い。彼女が食事をしている間、マダガスカルとベルギーの言語事情の話をちょっとして、音楽の話をしてみた。

 「マダガスカル音楽のCDを何枚か持っているよ、四角いギターがあってね」とカボシという楽器の話をしたが、反応はなかった。彼女はマダガスカルに行ったことはあるが、その音楽には関心がないようだから、またベルギーの言語事情に話を戻した。

 「実は、両親は離婚して、新しい父はドイツ人なんですが、フランス語を自由にしゃべれるので、父子の会話にはまったく問題ないんです」

 食後、彼女はパソコンを取り出して、実家がある地域を地図で見せてくれた。

 「ベルギーのずーと南、南部の小さな街。すぐ南がフランス。ほらね、ほんのちょっとでフランスでしょ。東に行くとルクセンブルグ、そしてドイツ。そういう地域で私は育ったの」

 

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 チェコ100年史の野外写真展で、Baťa の文字が目に入り・・・、

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 上の写真の説明を読むと、1925年のバチャだとわかる。ティナと会う前からこの会社が気になっていたので撮影しておいたのだ。

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 Baťa の看板は、おそらくチェコのどこにでもあるだろうが、今はチェコの会社ではない。

 

1256話 プラハ 風がハープを奏でるように 65回

 コーヒー

 

 前回で食文化の話を終える予定だったが、コーヒーの話をしていなかったのに気がついた。チェコのコーヒーについて、ちょっと書いておきたいことがある。

 私はコーヒーは大好きだが、エスプレッソが苦手なので(日本のコンビニ・コーヒーも薄すぎて嫌いだ)、スペインやイタリアではいつも「アメリカーノ!」と叫んでいたが、チェコのコーヒーは特別に注文しなくてもそのままで私の口に合う。そのチェコのコーヒーは、資料を読むと昔は「トルコ式」だったという。それが具体的にどんなものだったのか、『プラハの春は鯉の味』の力をまた借りる。滞在地の生活資料を詳細に書き残してくれると、私のような知りたがりには大いに助かる。

 コーヒーの粉を鍋で煮てカップに注ぎ、粉が沈殿するまで待ち、上澄み液を飲んでいたという。わかりやすく言えば、コーヒー豆の煎じ液だ。私はトルコやギリシャその手のコーヒーを飲んだことがある。インドネシアでは煮出さずに、インスタントコーヒーのようにコップに粉と砂糖を入れて、熱湯を注ぎ、よくかき混ぜたら、粉が沈殿するのを待つというスタイルだ。こういうコーヒーの特徴は、豆を非常に細かく挽いてあることで、普通の紙フィルターを使うと詰まりやすい。

 トルコのコーヒーもインドネシアのコーヒーも、焙煎は軽いので苦みはないし酸味もないが、当然、粉っぽい。私の好みでは、うまいとは言えない。

ネット上にはこういう情報もあるが、出どころが不明。飲み方はインドネシア式だ。

http://outdoor.geocities.jp/ksaitoh0/czechcoffee.html

 『プラハの春は鯉の味』には、さらに興味深い記述がある。著者がプラハに来た1995年は、「どこも、このターキッシュ・コーヒー一辺倒でしたが、1年も経つと、カフェでは黙っていても普通の、いわゆるブレンドコーヒーが出てくるようになりました」という。想像で書くが、プラハの飲食店では、1990年代後半から紙のフィルターを使う営業用コーヒーメーカーを導入したのではないだろうか。

 コーヒーの粉を鍋で煮るコーヒーを「トルコ式」と呼んでいるが、ギリシャでも同じコーヒーだ。そこで、ちょっと知りたくなった。東欧諸国のコーヒー事情をインターネットで調べてみた。

 ポーランドハンガリーなど、チェコの隣の国はもちろん、バルカンも煮出しコーヒーだ。バルト三国はわからないが、トルコからポーランドあたりまで、ちょっと前までコーヒーを飲むなら煮出しコーヒーだったらしいという仮説ができた。インターネットでは、現在のコーヒーの飲み方はわかるが、数十年前となると、わからない。東欧地域では、コーヒーは自国で生産できないから、ちょっと前まで混ぜ物入りコーヒーか、コーヒー豆がまったく入っていない代用コーヒー、つまりコーヒー風飲料を飲んでいたかもしれない。代用コーヒーの材料は、タンポポの根、チコリなどが有名だ。

 食文化をプラハという1点ではなく、ヨーロッパ、あるいは世界という面で見ていくとおもしろい。東欧をコーヒーで見ていくと、政治や経済もわかるような気がする。

 

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 散歩に疲れて、ショッピングセンターでひと休み。ひと口かじって、「ああ、写真!」と気がつくのはいつものこと。宿に戻れば、愛用のインスタントコーヒーがあるから、外でコーヒーを飲む機会はそれほどなかった。

 

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 マックカフェで、ひと休み。チェリーケーキに小(25コルナ)があるのがうれしい。アメリカンコーヒービッグサイズ(49コルナ)。合計74コルナ、370円。参考までに、メモしたメニューから少し紹介。数字を5倍すると日本円になる。エスプレッソ39、カプチーノ45、カフェラテ55。

 

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 ひと休みしたい。コーヒーを飲みたい。トイレにも行きたいと思った地区にはこういう高級カフェしかなく、腹をくくって入った。ウエイターに案内されて席に着くような店で、メニューを見て、「おお・・・」。高い。メニューに"American coffee"はなく、"Filter Coffee"を注文。これは、トルコ式でもエスプレッソでもなく、紙などのフィルターを使ったコーヒーのこと。ちょっと濃いめのアメリカンという感じなので、私の好みに合うのだが、ここのコーヒーは私には酸味が強すぎた。コーヒーとケーキを合わせて、300コルナ近くした。このケーキ1個が、私の普段の1回の食事代よりもかなり高い。

 隣りの席には、派手な腕時計をはめたポロシャツ姿の男と、お似合いのけばけばしい若い女が座っている。会計のとき、男はズボンのポケットからむき出しの札束を取り出し(当然、高額紙幣だ)、ゆっくり見せびらかし、支払った。フェラーリのような、品のない車が似合いそうな男だった。日ごろ、金持ちとは同じ空気を吸う空間にいない私には、成金観察代金込みのコーヒー代と考えれば、高くはないか。

1255話 プラハ 風がハープを奏でるように 64回

 チェコの食文化 その8 外国料理 4

 

 今回も、食べ物図鑑を。プラハで普通に食べることができるのはこういう料理だというちょっとした図鑑だ。プラハでは、チョコ人も外食では毎食チェコ料理を食べているわけではないようだとわかり、私も何でも食べることにした。

 まずは、もう一度、チェコ料理の姿を。こういうのが、チェコ料理の姿。パンよりも、ジャガイモやゆでたパンのクネドリーキ、あるいは飯がつくのがいわゆる「西洋料理」と違うところ。

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 次は、すしと・・・

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 タイ料理店のすし。

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 ベトナム料理店のすし弁当。139コルナは675円。

 

 プラハ中心地の高級ショッピングセンターでは・・・。市民会館斜め前にあるここは、全般的に高い。私は、スーパーマーケットとトイレを利用するのによく立ち寄った。

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 高級ショッピングセンター「パラディアム」は、古いビルをショッピングセンターに改造したのかと思ったが、古そうな外見に仕立てた新しいビルだとわかった。

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 セルフサービスの店ではなく、レストラン街。ここはタイ料理&ラーメンの店。

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 モンゴリアン・バーベキュー&中国料理。どの店も、満席に近い盛況。

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 回転すし。

 

 一方、郊外の庶民的なショッピングセンターのフードコート

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 昼時以外は、閑散。

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 基本的には、ベトナム&中国料理の店なのだが・・・、

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 よくみると、中東の料理ドネルケバブもある。なんでもありだな。ということは、この店には豚肉料理はないのか? 詳しく調べなかったと反省。

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 サラダ専門店。

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 インド料理店。たいていのショッピングセンターには、インド料理店が入っている。

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 各種肉料理の店。中南米肉料理ということか。

 

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 中国料理店の外の看板を見ていたら、サーモンの刺身も。

 

 

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 観光客はまず来ないだろうと思われる地区の中国料理店に、道路工事の作業服を着た人が入っていったので、「たぶん、高くないな」と踏んで、私も入店。麺類やチャーハンなどは400円から。日本の地方の小さな町の、古くからある食堂の焼きそばだな。

 

 今回で食文化の話を終える。











 

1254話 プラハ 風がハープを奏でるように 63回

 チェコの食文化 その7 外国料理 3

 

 食べ物関連の写真をだいぶ撮った。今回と次回の2回に渡って、食べ物図鑑をちょっと展開したい。今回は、「あ~、うまかったなあ」と「あ~、それ、食いたかったなあ」という食べ物の話。

 感動的にうまかったのが、この店。旧市街のスペイン・シナゴークそばにあるパン屋だが、サンドイッチやサラダなどもあり、店内で食事もできる。レシートに店名と住所がある。"PEKARNA NOSTRESS BAKERY  Vezenska 915/8"。東京で例えると、いつもは早稲田界隈の安食堂で定食を食べている貧乏学生が、青山のしゃれたカフェに来てどぎまぎしてしまうほど高かったが、うまかった。

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 チーズ入りサラダ105コルナ、ツナにローストビーフをのせたオープンサンド77コルナ、コーヒー80コルナ。サラダとコーヒーが高く、サンドイッチが安いという変なバランスだ。合計金額は日本円にして1190円。500円で充分に食事ができる国で、この料金は高い。

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 それでもうまいから、後日、近所を散歩していて、ついふらふらと、この店に来てしまった。それほど空腹ではなかったが、豆のスープとこういう茶色いパンを食べた。

 

 ベトナム製の袋麺を食べた。旅先でインスタント麺を食べる最初の体験だった。具などないが、「うまい」と思った。その理由はのちにはっきりわかった。

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 ベトナム料理店で、こういう料理を注文して、「ああ、うまい!」テーブルのニョックマムを振りかけて、「ああ、これだ!!」とわかった。料理がうまいのではない。並みの料理だが、アミノ酸のうま味に感動したのだ。調味料は塩だけという料理に飽きていたのだ。

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 ショッピングセンターの中国料理店でチャーハン。トウガラシ調味料が使い放題だったのがうれしい。辛さにもうえていた。

 

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 ショッピングセンターのなかの、やや高級なイタリア料理店でリゾットを食べる。159コルナ(約800円)は「ちょっと高いなあ」と思ったが、水が69コルナだったのには参った。1リットルのガラス瓶入りの水だから、飲み残しを持ち帰ることもできず・・・。チーズにうま味を感じた。

 

 次は、「ああ、食いたい!」と思った話。ある週末、ショッピングセンターの前の広場で肉を焼く香が漂ってきて・・・。

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 近づくと、子牛(たぶん)の丸焼き。焼き上がりにはまだ時間がかかりそうで、ここでじっと待っているのはつらすぎるから、散歩を続けた。

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 肉とソーセージとジャガイモ。珍しくはないが、うまそうだ。体重に悪そうだが・・・。

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 スペアリブに限らず、肉も魚も、煙で燻し焼きにするのがうまい。アメリカの家庭でハンバーグをごちそうになったことがある。「なあんだ、客にハンバーグかよ」と思ったが、炭火の燻し焼きだったので、想像をはるかに超えてうまかった。