1364話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第8回

 ファンタジア

 

 音楽評論家の松村洋さんと話をしていて、「ブルース・ブラザース」と同じように、「あれは、すごいね」と意見が一致したのは、ディズニー映画「ファンタジア」だ。1940年のカラーアニメで、世界最初のステレオ再生だ。日本では1955年に公開したそうだが、私が見たのはずーっと後になってからだ。アニメの登場人物がクラッシックの音とともに、じつに見事に動く。

 松村さんとそんな話をしながら、音楽ドキュメント映画に話を進めようかどうか考えていた。

 キューバの昔のミュージシャンを、スポットライトを浴びるステージにふたたび連れ出そうとしたのが、映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999)。この映画で深く印象に残っているのは、息子が運転するオートバイのサイドカーに乗ったライ・クーダーハバナの街を走るシーンと、この映画の主題歌ともいえる「チャン・チャン」を歌うシーンだ。この映画は、もちろん「いいな」に入るが、「とんでもなく、すごい」とならないのは、なぜか中南米スペイン語音楽がそれほど好きになれないからかもしれない。スペインの音楽は好きで、ブラジル音楽は大好きで、しかし、なぜか、その理由はわからないのだが、中南米スペイン語音楽がそれほど好きになれない。

 マーティン・スコセッシが監修した壮大なブルース・ドキュメント、”The blues movie project”(2003)は、7本の映画に結実している。セット販売で、アマゾンで新品78000円、中古で20000円もする。7本のなかで、もっとも記憶に残っているのは、クリント・イーストウッド監督の「Piano blues」なのだが、たった今、自宅でこのDVDを探したのだが見つからない。BB.キングやエアロ・スミスが出演している”Lightning in a bottle”はある。そのほか”Feel like going home”、“Road to Memphis”、”Godfathers & sons”などもあるのだがなあ。「Piano blues」は、「また見よう」と取り出して、どこかに置いて、それっきりになったのだろう。

 ジプシー音楽と深い関係にあるルーマニア、スペイン、マケドニア、インドのミュージシャンを集めて一座を作り、北米6都市を巡るという音楽ドキュメント「ジプシー・キャラバン」(2006)は異文化衝突のドキュメントでもあり、興味深い。コンサートを追うだけでなく、それぞれの日常生活も追っているのがいい。おそらくこのドキュメントのヒントになっているのが”Latcho Drom”(1993)らしく、ぜひ見たいのだが、DVDは8665円だ。買えないな。

 「ジプシー」という語にひっかかりを感じている人がいるかもしれない。日本のマスコミでは機械的に「ロマ」と言い換えられてしまうが、「それはおかしい」と主張する人は、『ジプシーを訪ねて』(関口義人、岩波新書)ほか、いくらでもある。「ジプシー・キングス」のように自称する人たちもいる。エスキモーも、日本では機械的に「イヌイット」と書き換えられるが、地域によって「エスキモー」を自称として使い続けている人たちもいる。「さわらぬ神に祟りなし」と、騒ぎにならないように、何も考えずに一律に書き換える態度に問題がある。

 音楽映画の話は、あとまだ2話分の原稿があるから、来年に持ち越す。2020年は、私もあなたも、いい年でありますように。

1363話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第7回

 マリア・カラス

 

 オペラは大嫌いなのに、マリア・カラス(1923~77)に感動したのは、たまたま、キップをもらったというだけの理由で映画「永遠のマリア・カラス」(2002)を見たからだ。伝記映画ではない。1974年の札幌のコンサート以後、世界的大歌手マリア・カラスは音楽の表舞台から姿を消した。1960年代から、すでに満足に声が出なくなっていたのだ。この事実を踏まえて、プロモーターが、彼女主演のオペラ映画を作ろうと企画するというのがこの「永遠のマリア・カラス」という映画だ。本人はもう歌えないから、全盛期に吹き込んだレコードに合わせて、口パクで出演させるというのだ。そういう構成がおもしろい。エディット・ピアフに関しては、ウィキペディア程度の知識と、5曲ほど歌声を聞いたことがあるだけなのだが、マリア・カラスに関してはその名前とオペラ歌手という職業以外、まったく知らなかった。

 この映画では、レコードの歌声が流れる。私は、映画館で彼女の歌声を初めて聞き、聞きほれた。嫌悪感がなかったのは、私が聞いた歌声が、もしかすると裏声のソプラノではなかったからかもしれない。映画館は、当然ながら、自宅とは音響設備がまるで違う。映画館で音に包まれた。映画だから、そういう場面を想定して曲を選び、音質を改善したのだろう。いままで耳にしたことがあるオペラのうたごえとはまるで違ったのだ。ただし、オペラを聞きたいという衝動は、映画館を出るとともに消え、以後出現したことは1度しかない。テレビの番組欄でマスカーニの「カバレリア・ルスティカーナ」を放送すると知って、録画して見たときだけだ。

 映画で流れたマリア・カラスの歌声は、どういう曲だったのか、もちろん覚えていない。ネットで調べると、「カルメン」らしい。

 ワルシャワを散歩しているときに、「ああ、そうだった、ここだった」と思い出したのが「戦場のピアニスト」(2002)だ。ナチスの焼土作戦にやられるワルシャワ。そこに身をひそめるピアニスト。ショパンの曲が多く使われていた。この映画はモデルとなる人物がいる。想像で作り出したピアニストが主人公の映画が、「海の上のピアニスト」(1998)で、こちらは1930年代のジャズが出てくる。この時代のジャズピアノがあまり好きではないが、映画そのものは「なんだか、悲しいな」という名品だった。

 私は、爆薬も銃撃戦もカーチェイスもなく、CGも使わない(ように見える)映画が好きだが、「戦場のピアニスト」はCGをたっぷり使っているだろうなあ。

 

 

1362話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第6回

 フォー・ザ・ボーイズがいい

 

 音楽映画の定義などあるわけではないが、私の中では一応ミュージカルは除外している。純然たるコンサート映像というのも除外している。「純然たる」というのは、コンサート物でも、「ウッドストック」のように、ドキュメントの面もあるからで、簡単に線引きできない。だから、「定義などいいかげんなもので」という程度の範囲で、「あれは良かったなあ」という音楽映画をあれこれ考えてみる。

 ベット・ミドラーの「ローズ」はあまりおもしろくなかったと書いた。最初は歌手として彼女を知った。“Do You Want To Dance”(1972)や”Boggie Woggie Bugle Boy”(1973)は大好きだった。そして、最初の映画出演が「ローズ」だったから期待したのだが、「なんだかなあ」だったというわけだ。

 「フォー・ザ・ボーイズ」(1991)はすばらしい音楽映画だった。ベット・ミドラーは主演であり、制作もしている。つまり、出資したということだ。

 ベット・ミドラーとジェームス・カーン(「シンデレラ・リバティー」がいい)のふたりが軍の慰問をする歌手を演じ、第2次世界大戦、朝鮮戦争ベトナム戦争の戦場に行って歌う。それぞれの時代の歌があり、兵士となった若者が聞きいる。この映画のことを考えていて、伝記映画をおもしろいとはあまり思えない理由がわかったような気がした。実在の音楽家をなぞらえる伝記ドラマというのは、結局ショーパブの「ソックリショー」以上のものにはなかなかなれないのかもしれないと思ったのだ。もちろん、私の好みの問題である。有名人の伝記映画は注目を浴びるし、興行成績も悪くないかもしれないが、私はあまり満足しない。

 The Supremesをモデルとした「ドリームガールズ」はミュージカルの映画化で、私はミュージカルが嫌いだから、60年代ソウルが大好きでも、この映画の評価は高くならない。ちなみに、ウィキペディアによれば、The Supremesは日本ではずっと「シュープリームス」と呼んでいたが(私もこの呼び名に親しみを感じる)、これはイギリス式発音ということで、近年アメリカ式発音で「スプリームス」と表記を変えているということだが(誰が変えたのだろう?)、「ザ・スプリームズ」とまでは変更しないようだ。

 フォーシーズンズのリーダー、フランキー・バリの伝記映画「ジャージー・ボーイズ」は、その音楽そのものがすばらしいのであって、映画のすばらしさではないような気がする。レイ・チャールズジミ・ヘンドリックスなどいくつも見た伝記映画をあまりおもしろくないと思ったのは、「本物」を知っているからかもしれない。グレン・ミラーベニー・グッドマンの物語は、当然ながら同時代感はないから、「似ているかどうか」など意識しない。

 伝記映画というと、ダイアナ・ロスが主演した「ビリー・ホリディ物語 奇妙な果実」(1972)を思い出す。この映画が公開された1972年ごろ、ビリー・ホリディの歌はラジオで何度か聞いたことがあり、前年に出版された『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』(ビリー・ホリデイ油井正一大橋巨泉訳、晶文社、1971)は読んでいた。「あの映画はひどい!」とラジオ番組で憤慨したのは、翻訳者のひとりである大橋巨泉だった。テレビの巨泉は大嫌いだが、ラジオでジャズ評論をやっていた巨泉は、ジャズを抽象論であれこれ論じることの嫌いな私には、わかりやすく歌詞の紹介もしてくれたので評価できた。

 ビリー・ホリデイをまったく知らない人には、麻薬中毒の悲惨な天才ジャズ歌手の物語として、この映画の世界に入り込めるだろうが、彼女の歌も人生もよく知っているジャズファンからは「ありゃー、なんだ。ひでーもんだ!!」ということになったのだろう。すでに書いたように、「当人」をどの程度知っているかによって伝記映画の評価が分かれることはある。ビリー・ホリデイの映画に関しては、私は「当人」をよく知らないが、つまらない映画だと思った。

 2007年のエディット・ピアフの知識は、1972年当時のビリー・ホリデイと同じくらいだったが、その伝記映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」は、まあ、それほど悪くないという印象だった。この映画も、おそらくピアフの大ファンにとっては納得いかないものだったかもしれない。

 

 

 

1361話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第5回

 シカゴからまたニューヨークへ

 

 1980年夏、ニューヨークでしばらく滞在した後、グレイハウンドバスでシカゴに行った。1300キロの旅だ。今は制限速度が緩和されたため、所要時間は多少短くなったが、まる1日、ほぼ24時間の楽しいバス旅行だ。アメリカバスの旅は、今でもまたやってみたいと思うほど楽しかった。

 昼前にシカゴに着いた。グレイハウンドのバスターミナルを出ると、目の前に「ブルース・ブラザース」のラストシーンに登場するシカゴ市庁舎があった。市庁舎ということにして撮影したこの建物の正体を知りたくて近づくと、本物の市庁舎だとわかった。シカゴ市が全面協力したのだろう。シカゴに来るまで、シカゴがどういう街なのか知らなかったので、「ブルース・ブラザース」がシカゴを舞台にしていたのだと、シカゴに着いて初めて知った。私は観光旅行でシカゴに来たのではなく、何人かにインタビューをするために来たので、シカゴの予備知識などなかった。使えるガイドブックもなかった。『地球の歩き方』のアメリカ編はすでに前年に発売されていたが、書店で現物を見て、「これじゃ、使えないな」と判断したのだろう。どんなガイドブックも持っていなかった。バスの車内で楽しむように、大きなアメリカ全土地図を持っていただけだ。

 シカゴをよく歩いたから、中心部は今でもよく覚えている。大阪といえば、グリコやカニの道頓堀がお約束で登場するように、シカゴと言えば高架鉄道“Chicago L”だ。元はelevatedから”el”と省略したようだが、いまは”L”1字で表している。高架鉄道とガード下が出てくれば、「おお、シカゴ!」ということが多い。もちろん、「ブルース・ブラザース」にも登場する。

 シカゴ市内に跳ね上げ橋がいくつかあり、これもシカゴ名物だから映画によく登場する。

 シカゴのお約束と言えばもうひとつ、トウモロコシそっくりのビル、川沿いのマリナシティーが映画によく登場するのだが、我が「ブルース・ブラザース」には、そんな金持ち臭いビルは出てこなかったように思うが、そのあたりの記憶ははっきりしない。

 シカゴは超高層ビルで有名だが、それでも味のある街だから結構気に入った。しばらく遊んでいたいと思ったが、取材費の資金源である雑誌編集部に取材経過の報告の電話をしたら、「ちょっとニューヨークで取材してほしいことがあって、悪いけど・・」ということで、バスに乗ってまたニューヨークに戻ることになった。「悪いこと」など、何もない。またニューヨークに行けるのがうれしかった。ニューヨークに行くバスの旅は、サイモンとガーファンクルの「アメリカ」だ。歌詞を日本語訳詞つきで紹介する。歌詞にタバコが出てくるが、昔は車内でタバコが吸えた。運転手はときどき、「タバコはいいけど、ほかの葉っぱは吸わないでよ」とアナウンスしていたのを思い出した。

https://www.youtube.com/watch?v=oFKtJAAjMug

 

 

1360話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第4回

 鳥かごのステージ

 

 元バンドマンのジョリエットとエルウッドのふたりは、自分たちが育った孤児園が財政危機に陥っていると知り、すでに解散していたブルースバンドを再結成して公演し、その売上金を滞納している固定資産税の支払いにしようと計画する。そこで巻き起こるドタバタ騒動を描いたのが、「ブルース・ブラザース」だ。

 記憶に残るシーンはいくつもある。バンドの元メンバーに再結成を誘うシーンのひとつ。ジョリエットとエルウッドのふたりは、元メンバーが支配人をしている高級フランス料理店に行って、再結成の話を持ちかける。今はカタギとなった支配人は即座に断る。すると、テーブルの料理をクチャクチャ、ズルズルと派手な音を立てて飲み食いする。店内の客が途端に不快なしぐさをする。支配人は、「わかったから、もうやめてくれ!」と懇願し、ふたたびバンドに加わると告げる。音を出して食べる行為は、脅迫の手段になるというコントなのだが、日本ではどの程度理解されたか。

 これはすごいというシーンはいくらでもある。バンドが再結成されて最初の仕事は、カントリー音楽の酒場だ。正式の仕事ではなく、出演予定者を装って店に入ったのだ。カントリーの店だから客は全員白人、今風にわかりやすく言えば、トランプ大統領の強烈な支持者のような人たちだ。この店で得意のR&Bを演奏して、大ブーイングを浴びる。店のステージは動物園の鳥カゴのように金網で覆われている。演奏に怒った客がステージに投げつけるビール瓶からミュージシャンを守るためだ。

 なんとかうけたいと思ったバンドは、テレビ映画「ローハイド」のテーマソングと、”stand by your man”(タミー・ワイネット)を歌う。うれしいことに、ちょうどそのシーンがユーチューブにある。

https://www.youtube.com/watch?v=Psm96Dn9KII

 この歌をからかいながら、バカにして歌っているが、客にはまったく通じていないというのが重要で、「女は、たったひとりの男を支えて生きていくものなのよ」という、こんな歌が、こんな連中の愛唱歌なんだぜという批判に満ちたシーンだ。カントリーなんて、そういう音楽さという批判だ。

 ブルースが大好きなシンガーソングライター山崎まさよしアメリカに行ったテレビ番組があった。1999年のNHK―BS「山崎まさよし ミシシッピーを行く」だったと思う。ライブ演奏がある南部の酒場が登場したのだが、ステージが鳥カゴだった。「ブルース・ブラザース」のシーンは、観客を笑わせるギャグではなく、ノンフィクションだったのだ。プロレスに「金網デスマッチ」というのがあるが、音楽の世界にもあると知った。

 

 

1359話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第3回

 ブルース・ブラザース

 

 音楽評論家の松村洋さんに、「最高の音楽映画は?」と聞いてみた。

 松村さんは1秒も考えずに、ポツリと「ブルース・ブラザースはどう?」と言った。あまりにあっさりと言ったのだが、それで正解が出てしまった。そうなんだ。我が最高の音楽映画と言ったら、「ブルース・ブラザース」が圧倒的な首位なのだ。ふだんから 「好きな音楽映画」のランキングをつけていたわけではないが、この映画の名が最初に出てきてしまった。

 「『ブルース・ブラザース』が公開された1980年、ニューヨークで見たんだよ」と、思い出話をちょっとした。

 1980年のアメリカで、公開されたばかりの音楽映画を3本見た。

映画館の前を通りかかったときにポスターを見て、ふらふらと入った。まったく知らない映画だ。音楽学校を舞台にした「フェイム」だった。その音楽学校は私が入った映画館のすぐ近くにあり、我が安宿にも近いからご近所が舞台だ。ニューヨークのブロードウエイのそばだ。

この映画に関して思い出はふたつ。学校で友達を探すシーンがあるのだが、ピアノ練習室にいる学生に、「Do you speak English?」と聞いてから質問をしている。マンハッタンの学校でこの質問が出るのだなあ。

 思い出のもうひとつは、1980年代なかばにまたアメリカに行ったとき、ホテルでテレビを見ていたら、この「フェーム」がテレビドラマになっていることを知ったことだ。もっと驚いたのは、朝鮮戦争を舞台にした医者の喜劇映画「マッシュ」もテレビドラマになっていたことだ。あの映画は毒が強く、だから大好きなのだが、家庭に届くテレビドラマになるのかと驚いた。そういえば、この映画は、韓国の野戦病院のシーンがほとんどで、いつも米軍放送のラジオで異国情緒音楽が流れていた。アメリカ人が理解した変てこなアジア音楽のことだ。

 1980年のアメリカで見た音楽映画3本のうち、2本はアメリカに行く前から知っていた。日本ではまだ公開されていなかったから、アメリカで見るチャンスをうかがっていた

 2本のうち1本は、ジャニス・ジョプリンをモデルにした「ローズ」だ。主演のベッド・ミドラーは歌手・俳優だが、ロック歌手を演じるには無理があるように感じた。「スター誕生」のバーブラ・ストレイサンドを見ていて、「どうもしっくりこない」と思ったときに、この「ローズ」を思い出した。

 アメリカで見たもう1本が、「ブルース・ブラザース」だ。どうしてもこの映画を見たかった。R&Bが大好きだから、映画に登場する音楽がたまらなく楽しい。アレサ・フランクリンレイ・チャールズジェームス・ブラウンも出てくるのだから、これはもう歓喜。動いているジョン・リー・フッカーを見た。ツイッギーも見た。ジョー・ウォルシュスピルバーグには気がつかなかった(のちに、テレビ放送でわかった)。キャブ・キャロウェイの偉大さは、帰国してからブラックミュージックに詳しい友人に教えてもらった。

 音楽映画の最高峰は、この「ブルース・ブラザース」で決まりなのだが、残念ながら続編「ブルース・ブラザース2000」はあまりおもしろくなかった。1980年版の出演者に加えて、ドクター・ジョンやBB.キング、ウィルソン・ピケット、サム&デイブのサム・ムーアなど、「ウイ・アー・ザ・ワールド」並みの豪華版なのだが、セッションライブの雰囲気で、映画としての魅力に欠けた。アメリカでの興行収益を調べてみると、2000年版は、1980年版の三分の一の売り上げしかなかった。私が感じた通りだ。主演のひとり、ジョン・ベルーシが1982年に薬物の過剰摂取で死亡して、本来のブラザースではなくなったからかもしれない。

 

 

1358話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第2回

 ボヘミアン・ラプソディー

 

 期待と不安のまま、「ボヘミアン・ラプソディー」を見た。クイーンのフレディー・マーキュリーの伝記的音楽映画だ。

 見終わって、やはり、阿藤快のように「なんだかなあ」という気持ちだった。ネットで批評を探ると、ニューヨークタイムス(2018、10、30)は批評の最後をこう締めくくる。

 “Bohemian Rhapsody” supplies a reminder that the band existed, but it conveys only a superficial, suspect sense of what it was. You can do better with YouTube and a stack of vinyl records. Easy come, easy go.

(「ボヘミアン・ラプソディ」という映画は、そんなバンドがかつてあったのだと思い出させてくれるが、それだけだ。ユーチューブやレコードで本物に接した方がいい。その程度のものだ)。

 寅さんのセリフが浮かぶ。「それを言っちゃー、おしめーよ」なのだが、私の感想も同じだった。映画でどんなシーンを作り上げようと、現実のコンサート映像と音の方が何千倍もいいに決まっている。この感想は、クイーンと同じ時代を過ごした世代に共通するのか、古くからのクイーンファンはこれで満足するのだろうかなどと思ったのだが、この映画について深く触れる気はない。

 「ボヘミアン・ラプソディー」という歌については、たびたびテレビで取り上げられているが、何を言いたいのかさっぱりわからない歌詞で、過去のテレビ番組でも解明はされなかった。最近、そのヒントをつかんだ。「song to soul」(BS-TBS)というテレビ番組で、この曲を取り上げた。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは「この歌詞の意味は知っているが、話したくない」と言った。イギリスのクイーン・ファンクラブの元会長という人物が、「個人的な想像ですが・・・」と断った上で、その想像を話してくれた。「この歌は、自分がゲイであることを告白した歌だと思うんです」

 そうか、なるほど。それなら、わかった。

 「mama, just killed a man」という歌詞が唐突に出てくる。あるテレビ番組では、イギリスで実際にあった殺人事件がどうのこうのといった解説もあったが、違う。殺されたのはファルーク・バルサラ(フレディーの出生名)で、殺したのはフレディー・マーキュリーという音楽家だ。異性愛者を演じてきたファルーク・バルサラを殺し、フレディー・マーキュリーという新しい名をなのり、バイセクシャルであることを宣言したのがこの歌だ。そう理解すると、「現実から逃れられない」とか「生まれてこなければよかったのか」といった歌詞の意味がよくわかる。性の問題がこの映画の大筋でもあるから、映画のタイトルも「ボヘミアン・ラプソディー」にしたのだろう。映画の主旨はどうであれ、この映画は感動作ではなかった。そういえば、最近、氷川きよしは、この歌を日本語詞で歌った。

 「そんなわけで、『これはいいなあ』っていう音楽映画には最近出会っていないんだけど、松村さんは、『これ、最高だよ』って音楽映画はあった? ミュージカルは嫌いだから、除外する。コンサート物も除外すると、どうなる?」

 頭にはいくつもの音楽映画が浮かんだが、専門家はどう答えるだろうか。