1368話 最近読んだ本の話 その1

 分かち書き

 

 バルト3国やポーランドの旅の話を書いている間は、基本的にその地域の本を集中的に読んでいた。旅行をすることがなければ、生涯手に取らない本に出会い、読むという楽しみは、私の旅が読書と連動しているからだ。

 アジア雑語林の旅物語を書き終えて、いままで読まないでおいた本を片っ端から読んでいるのだが、つい先日、書店の文庫コーナーの平積み題で見つけた『消えた国 追われた人々』(池内紀ちくま文庫、2019)が読みたくなった。すぐさま買い、きょうから読み始めた。「消えた国」とは東プロイセンのことで、アジア雑語林でバルト三国ポーランドのことを書いているときに、面倒だから東プロイセンには極力触れなかった。東プロイセンとは、ポーランドの北東部、リトアニアの南西部に、現在ロシア領になっている飛び地カリーニングラードにあった国だ。この本は、その痕跡を探す旅行記だ。最初の章「グストロフ号出航す」の7行目にこうある。

 「そもそもポーランドには山などほとんどないのだ。どこまでも平べったい野がつづく」

 私も、ポーランドに行くまではそう思っていた。ワルシャワポーランド人と話をしていると、「南部には高い山があるんだよ」という話を聞いて、地図をよく見て、標高2499メートルの最高峰リシイ山があることも知った。思い出とともにこういう校閲読書をするから、読むのに時間がかかる。

その本をしばし脇に置いて、ここ数か月に読んだ本の話を思いつくままにしてみようか。

 ポーランドのことで調べたいことがあって図書館に行ったとき、出入り口の「ご自由にお持ちください」コーナーにあった1冊をもらった。『世界の言葉で「アイ・ラブ・ユー」』(片野順子、NHK生活人新書、2003)は、「約1年近くの取材を経て集まった七〇か国の愛の言葉とエピソード」(はじめに)だそうで、取材元は各国大使館。

愛を告白する言葉など私はほとんど知らないのだが、タイ語はどうなっているか調べてみると、こうなっている。

 ผม รัก คุณ 

【ポム・ラック・クン】(男性から女性へ)

  ああ、やってしまったか。これは語順そのままに日本語に置き換えたら、「わたしは 愛しています あなたを」と1字あけて書いたようなものなのだ。タイ語分かち書きをしない(語間を空けない)。その点では、日本語や韓国語と同じだが、韓国語は日本語と比べて句読点が少なく、状況によって語間にスペースが入る。タイ語には句読点もスペースもない。改行はある。というわけで、正しいタイ語表記はこう書く。

 ผมรักคุณ 

 タイで日本語の分かち書きがあったことを思い出す。観光客相手の英語の週刊フリーペーパーがあって、そこに載っている日本語の広告に日本語の分かち書きが多かったのだ。

 「おいしい にほん料理 どうぞ」という感じなのだ。タイ語分かち書きをしないのだから、日本語を書く時もタイ語と同じように字間を空けずに書けばいいのに、なぜ空けるのだろうかと考えて浮かんだ仮説は、英語を書いている気分だからだろう。私自身の体験で言えば、ちょっとタイ語を書こうとすると、無意識に単語ごとにスペースを空けて、分かち書きをしたくなる。頭の中で単語ひとつひとつを組み合わせているので、詰めて書くのが難しいのだ。

 

 

1367話 高い本が怖い

 カルロス・ゴーン逃亡事件をテレビのニュース番組で取り上げていて、作家で元出入国管理官という人物がなにやらしゃべっている。現在、作家なら出入国に関して何か書いているかもしれないと思った。旅行者が書く旅行の本など世にあまたあるのだが、出入国や税関の係官がその体験を書いたものは極めて少ない。主に在日アジア人と出入国管理制度の本はあるのだが、空港や港でも取り調べを書いた本はほとんどない。

 海外旅行と税関の本では、いろいろ探したのだが、元関税局長で出版当時も大蔵省の役人の手による『海外旅行 通関のコツ』(岡下昌浩、毎日新聞社、1980)しか手に入れていない。出入国関連では、『パスポートとビザの知識』(春田哲吉、有斐閣、1987)しか探せなかった。この2冊を買ったのは1980年代で、現在どうなっているのかインターネットで調べてみると、通関士の資格試験教科書とIT入門書しか見つからない。つまり、類書ナシだ。

 テレビでしゃべっていた元出入国管理官で作家の名前をメモしておかなかったので、インターネットで調べて作家の名が久保一郎だとわかった。アマゾンで調べると、私が知りたい内容の本をすでに書いていることがわかった。『入国警備官物語 偽造旅券の謎』(現代人文社、2004)はおもしろそうだ。「¥2,345より」となっているから、高い。それはともかく、モニター画面に気になる表示があった。

 「お客様は2007/9/11にこの商品を注文しました」

 そうか、12年ほど前に注文しているのか。いくらで買ったのか調べることができると今知った。送料込みで1000円だったようだが、買値がどうのこうのという以前に、この本のことをすっかり忘れていた。そこで、すぐさま旅行関連書の棚に捜索隊を派遣したのだが、見つからない。「資料的価値あり」と思う本は、読んだ後ちゃんと本棚に入れるのだが、「まっ、いいか」という程度だとその辺に置きっぱなしになることがある。この本が送料とも500円くらいならまた買ったかもしれないが、送料込みで最低2695円だと、今買うこともないよなと思う。

 アマゾンで本探しをやっていて、おもしろそうな本が見つかると、とりあえず「ほしい物リスト」に入れておく。著者になじみがあって、内容やレベルが想像できて、高くなければすぐに買う。高い本の場合は、リストに入れた本を、本屋で実際に点検して買うかどう決める。高い本で、すぐに読む必要のない場合は、ネット古書店で安くなるのを待つ。

 アマゾンの「ほしい物リスト」に入れている高価な食文化な研究書を、神保町の古書店で比較的安い値段で売っているのを見つけたが、「もう少し安くなるんじゃないか」とう予感があって、買わなかった。帰宅して、食文化の棚で必要な本を探していたら、神保町で見つけたその本がちゃんとあり、アマゾンの「ほしい物リスト」に入っている別の高い本も本棚にあった。これで、7000円ほどの損失を防いだ。アマゾンで買っていれば、「お客様は・・・・」という表示が出てくるので同じ本をまた買うことはないのだが、頭の中の蔵書リストが崩壊しているので、本屋で買った本はまた買う危険性がある。

 いままででもっとも悔しかったのは、神保町の新刊書店で食文化の高い本を見つけ、好きな書き手だからうれしくなり、すぐさま買い、帰宅して読み始めたら数ページ目で既読感があり、念のために本棚を点検したらその本がちゃんとあった。それが、出版後ひと月後のことだ。つまり、出版後すぐに買い、すぐに読み、傍線を引き、付箋をつけ、しかしそれらの行為をすべて忘れ、ひと月後に「あっ、あの人の新刊だ!!」と喜び、躊躇せず買ったというわけだ。10年前に買った本を忘れているのならあきらめもつくが、ひと月前じゃ落ち込む。こうして、私も天下のクラマエ師(蔵前仁一翁)の仙境の境地に一歩足を踏み入れたのである。

 コーヒーなら2缶買ってもいいが、本は2冊あっても意味がない。高い本は、なお怖い。

 

 

1366話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第10回(最終回)

 狸御殿は知っています?

 

 どうやら、私は音楽映画や音楽ドキュメントが好きらしい。ドキュメントでは、NHKテレビで放送していた「Amazing Voice 驚異の歌声」(2011)シリーズはすばらしい番組だった。もちろん、全部録画した。同じNHKでは、「我が心の旅」にも、音楽がらみの番組があった。

 テレビのドキュメントではないが、今、思い出したのは映画「カラー・パープル」(1985)だ。音楽映画ではないが、音楽担当のクインシー・ジョーンズがさまざまな黒人音楽を聞かせてくれた。もう30年以上前の映画だから、詳しい内容は覚えていないのだが、ネットで調べてみると、やはりブルースとゴスペルのシーンは覚えていた。

 日本映画で、音楽映画と呼べる作品は・・・と考えても、すぐには浮かばない。考えれば「嵐を呼ぶ男」などいくつかは思いつくが、「まあ、たいしたことはないな」と思いつつ、あっ、音楽映画が宝の山だった時代があったことを思い出した。歌謡映画の時代だ。「歌謡映画」という看板を掲げなくても、かつての日本には登場人物が当然歌い出すというミュージカルのような映画はいくらでもあった。「蘇州夜曲」などが歌われた「支那の夜」(1940)など戦前からあったが、戦後はもっと増えた。

 代表的なのは、狸御殿だ。1939年から2005年までに8作つくられたオペレッタだ。そのリストと映像の一部を紹介しておこう。私は1960代か70年代にテレビで見て、そのエンターテインメント性にびっくりした。こういうおもしろい映像は、タモリが出ていたテレビ番組「今夜は最高!」(日本テレビ。1980年代に放送。美空ひばりも出演)に引き継がれたが、今は途絶えた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%B8%E5%BE%A1%E6%AE%BF

 映像は、これ。昔は芸達者がいくらでもいたことがよくわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=Jw0HNJIrNNk

https://www.youtube.com/watch?v=O2vlhvc8OTM

 「今夜は最高!」のことを考えていたら、「ジャズ大名」が浮かんだが、それほどおもしろくはなかった。「キャバレー」(1986)はダメ。「のだめカンタービレ」はテレビ版も映画版も見ているが、クラシック音楽を広めたという意味では重要な映画だったと思う。ドラマそのものも、気に入っている。クラシック音楽を使った音楽映画は「アマデウス」などあまたあるが、私の好みではないので、ほとんど見ていない。

 ベンチャーズの時代を描いた「青春デンデケデケデケ」(1992)もよかったが、今の若者にはわかるかな。ギターがうまい高校生を演じていた浅野忠信を、公開当時私はまだ知らなかった。

 オペレッタを除いて、私が見た数少ない日本の音楽映画のなかで、「これがベストかな」と思うのは、「スウィングガールズ」(2004)。これがいい。役者が練習して、実際に演奏できるようになって、コンサートを行った映像はいくつかあるが、これもそのひとつ。

https://www.youtube.com/watch?v=_9ikyU-zqOs

 そういえば、「のだめカンタービレ」のように、「音楽映画と学校」という映画ジャンルもあるような気がする。「スウィングガールズ」の翌年に公開されたのが「リンダ リンダ リンダ」(2005)。アメリカには、「ミュージック・オブ・ハート」(1999)があり、何の予備知識もなくテレビでこの映画を見ていて、イツァーク・パルマンが登場して感激。今、この映画について調べていて、教師役でグロリア・エステファンが出ていたことをすっかり忘れているのに気がついた。ロック版なら、「スクール・オブ・ロック」(2003)がある。音楽に親しめば、ハッピーエンドという映画の構成はみな似たりよったり。学校ではないが、教会が舞台の「天使にラブソングを」がある。一応見たが、ゴスペルがあまり好きではないので、強い印象は残っていない。

 私の評価に異論のある人も多いとは思うが、映画も音楽も、人それぞれに好みや評価があるから、ここで紹介した音楽映画は当然、私の個人的評価によるものだ。映画と音楽といえば、インド映画に触れないわけにはいかないが、「ミュージカルが嫌い」という理由で一切触れない。

 音楽評論家の松村洋さんは、「ジョアン・ジルベルトを探して」(2018)がいいですよという話をしたが、私はまだ見ていないので、ただ話を聞くだけだった。その後の雑談は、「with stringsについて」とか「こぶしを考える」など内容は多岐にわたり、いつも通り楽しかった。専門的な話でもあるので、ここでは書かない。音楽の話は、べつのテーマで、また書いてみよう。

 あっ、今、ジョニー・キャッシュの伝記映画「アイ・ウォーク・ザ・ライン」を思い出した。「あんまりおもしろくないカントリー歌手」というイメージしかなかったジョニー・キャッシュだが、とんでもない人生を歩んだと知って驚いた。その意外性に1票。とまあ、音楽映画はいくらでも思い出してきてきりがない。クレージーキャッツトニー谷や、「シェルブールの雨傘」は、「イージー・ライダー」は・・・と、ここで触れなかった映画がいくらでも思い浮かぶが、キリがないので、これにて本当に打ち止めにする。

 

 

1365話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第9回

 風の丘を越えて

 

 松村さんと会った帰り、電車の中で引き続き音楽映画のことを考えていた。

 「パイレーツ・ロック」はすごかった。イギリスでは、1960年代ラジオ局がBBCしかなく、ロックが冷遇されていた時代、沖に停泊した船からロックをガンガン放送していたという事実に基づく映画だ。当時、イギリスでは日本のように好き勝手に選曲・放送できなかったのだ。1960年代の音楽がガンガン流れるということでは、「グッドモーニング・ベトナム」(1987)もある。1970年代の韓国のバンドが政府にどう弾圧されたかを描いたのが、「GOGO 70s」だ。この映画や、ベトナム戦争と韓国の音楽事情の話は、このアジア雑語林の376話(2011年12月23日)に書いた。

 レッド・バイオリン(1998)は、ちょっとおもしろかったな。1993年の映画だ。17世紀のイタリアで造られたバイオリンが、時代と場所が変わり、さまざまな人の手に渡り現在まで歩んだ道を描く。映画の主人公が、赤いバイオリンというのがおもしろい。こういう壮大な物語ができる楽器は、バイオリン以外考えられない。

 松村さんと、台湾におけるアメリカ音楽の影響といったテーマで話をしていて、「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」の話をした。ふたりともこのタイトルを正確に覚えていないから、「ほら、あの、難しい名前がつく殺人事件の映画」といえば、「ああ、あれね」とふたりともわかる。時代は1950年代末から60年代初めの台北。映画そのものの魅力とは別に、日本家屋での生活やエルビス・プレスリーの大ファンという少年など、当時の若者文化を知るという意味でも貴重な作品だ。

 この映画は、権利関係の問題がいろいろあったらしく、ながらくビデオでもDVDでも手に入らなかったが、2017年にやっとDVDが発売された。テレビでも放送された。

 そういうことを思い出していて、DVDが品切れになり、プレミアがついて高価安定している韓国の音楽映画のことを思い出した。そうだ、あの映画を忘れてはいけない。私の韓国映画ベスト10に入る映画だ。「風の丘を越えて/西便制」(1993)だ。韓国の原題を漢字で表記して「西便制」としているが、日本人は読めない(中国人も読めない。若い韓国人も読めない!)。映画輸入会社がよくやる「インテリ面したかっこつけ」が嫌いだが、それはともかく、映画そのものの話だ。

 パンソリの映画だ。パンソリは、日本の浪曲義太夫(ぎだゆう)のような語り物の芸で、タイならモーラムだ。西便制(ソピョンジェ)とは、パンソリの歌唱法の流派のひとつだというのだが、こんなタイトルで日本人がわかるわけはない。韓国人もわからないだろう。

 語り物の芸というのは、声と節が重要で、鍛えられたノドの技を耳にすると、もうたまらない。映画館でこの韓国映画を見て、すっかり気に入り、ロビーで売っているVHSとDVDを見て、欲しくなったが高い。「そのうち中古で安くなるだろう」と思っていて、現在にいたる。韓国版は安く手に入るが、リージョンコードが合わない。レンタルか、新大久保や神保町の中古DVD屋を探すしかないのだろうが、あっても高いだろうな。

 

 

 

1364話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第8回

 ファンタジア

 

 音楽評論家の松村洋さんと話をしていて、「ブルース・ブラザース」と同じように、「あれは、すごいね」と意見が一致したのは、ディズニー映画「ファンタジア」だ。1940年のカラーアニメで、世界最初のステレオ再生だ。日本では1955年に公開したそうだが、私が見たのはずーっと後になってからだ。アニメの登場人物がクラッシックの音とともに、じつに見事に動く。

 松村さんとそんな話をしながら、音楽ドキュメント映画に話を進めようかどうか考えていた。

 キューバの昔のミュージシャンを、スポットライトを浴びるステージにふたたび連れ出そうとしたのが、映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999)。この映画で深く印象に残っているのは、息子が運転するオートバイのサイドカーに乗ったライ・クーダーハバナの街を走るシーンと、この映画の主題歌ともいえる「チャン・チャン」を歌うシーンだ。この映画は、もちろん「いいな」に入るが、「とんでもなく、すごい」とならないのは、なぜか中南米スペイン語音楽がそれほど好きになれないからかもしれない。スペインの音楽は好きで、ブラジル音楽は大好きで、しかし、なぜか、その理由はわからないのだが、中南米スペイン語音楽がそれほど好きになれない。

 マーティン・スコセッシが監修した壮大なブルース・ドキュメント、”The blues movie project”(2003)は、7本の映画に結実している。セット販売で、アマゾンで新品78000円、中古で20000円もする。7本のなかで、もっとも記憶に残っているのは、クリント・イーストウッド監督の「Piano blues」なのだが、たった今、自宅でこのDVDを探したのだが見つからない。BB.キングやエアロ・スミスが出演している”Lightning in a bottle”はある。そのほか”Feel like going home”、“Road to Memphis”、”Godfathers & sons”などもあるのだがなあ。「Piano blues」は、「また見よう」と取り出して、どこかに置いて、それっきりになったのだろう。

 ジプシー音楽と深い関係にあるルーマニア、スペイン、マケドニア、インドのミュージシャンを集めて一座を作り、北米6都市を巡るという音楽ドキュメント「ジプシー・キャラバン」(2006)は異文化衝突のドキュメントでもあり、興味深い。コンサートを追うだけでなく、それぞれの日常生活も追っているのがいい。おそらくこのドキュメントのヒントになっているのが”Latcho Drom”(1993)らしく、ぜひ見たいのだが、DVDは8665円だ。買えないな。

 「ジプシー」という語にひっかかりを感じている人がいるかもしれない。日本のマスコミでは機械的に「ロマ」と言い換えられてしまうが、「それはおかしい」と主張する人は、『ジプシーを訪ねて』(関口義人、岩波新書)ほか、いくらでもある。「ジプシー・キングス」のように自称する人たちもいる。エスキモーも、日本では機械的に「イヌイット」と書き換えられるが、地域によって「エスキモー」を自称として使い続けている人たちもいる。「さわらぬ神に祟りなし」と、騒ぎにならないように、何も考えずに一律に書き換える態度に問題がある。

 音楽映画の話は、あとまだ2話分の原稿があるから、来年に持ち越す。2020年は、私もあなたも、いい年でありますように。

1363話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第7回

 マリア・カラス

 

 オペラは大嫌いなのに、マリア・カラス(1923~77)に感動したのは、たまたま、キップをもらったというだけの理由で映画「永遠のマリア・カラス」(2002)を見たからだ。伝記映画ではない。1974年の札幌のコンサート以後、世界的大歌手マリア・カラスは音楽の表舞台から姿を消した。1960年代から、すでに満足に声が出なくなっていたのだ。この事実を踏まえて、プロモーターが、彼女主演のオペラ映画を作ろうと企画するというのがこの「永遠のマリア・カラス」という映画だ。本人はもう歌えないから、全盛期に吹き込んだレコードに合わせて、口パクで出演させるというのだ。そういう構成がおもしろい。エディット・ピアフに関しては、ウィキペディア程度の知識と、5曲ほど歌声を聞いたことがあるだけなのだが、マリア・カラスに関してはその名前とオペラ歌手という職業以外、まったく知らなかった。

 この映画では、レコードの歌声が流れる。私は、映画館で彼女の歌声を初めて聞き、聞きほれた。嫌悪感がなかったのは、私が聞いた歌声が、もしかすると裏声のソプラノではなかったからかもしれない。映画館は、当然ながら、自宅とは音響設備がまるで違う。映画館で音に包まれた。映画だから、そういう場面を想定して曲を選び、音質を改善したのだろう。いままで耳にしたことがあるオペラのうたごえとはまるで違ったのだ。ただし、オペラを聞きたいという衝動は、映画館を出るとともに消え、以後出現したことは1度しかない。テレビの番組欄でマスカーニの「カバレリア・ルスティカーナ」を放送すると知って、録画して見たときだけだ。

 映画で流れたマリア・カラスの歌声は、どういう曲だったのか、もちろん覚えていない。ネットで調べると、「カルメン」らしい。

 ワルシャワを散歩しているときに、「ああ、そうだった、ここだった」と思い出したのが「戦場のピアニスト」(2002)だ。ナチスの焼土作戦にやられるワルシャワ。そこに身をひそめるピアニスト。ショパンの曲が多く使われていた。この映画はモデルとなる人物がいる。想像で作り出したピアニストが主人公の映画が、「海の上のピアニスト」(1998)で、こちらは1930年代のジャズが出てくる。この時代のジャズピアノがあまり好きではないが、映画そのものは「なんだか、悲しいな」という名品だった。

 私は、爆薬も銃撃戦もカーチェイスもなく、CGも使わない(ように見える)映画が好きだが、「戦場のピアニスト」はCGをたっぷり使っているだろうなあ。

 

 

1362話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第6回

 フォー・ザ・ボーイズがいい

 

 音楽映画の定義などあるわけではないが、私の中では一応ミュージカルは除外している。純然たるコンサート映像というのも除外している。「純然たる」というのは、コンサート物でも、「ウッドストック」のように、ドキュメントの面もあるからで、簡単に線引きできない。だから、「定義などいいかげんなもので」という程度の範囲で、「あれは良かったなあ」という音楽映画をあれこれ考えてみる。

 ベット・ミドラーの「ローズ」はあまりおもしろくなかったと書いた。最初は歌手として彼女を知った。“Do You Want To Dance”(1972)や”Boggie Woggie Bugle Boy”(1973)は大好きだった。そして、最初の映画出演が「ローズ」だったから期待したのだが、「なんだかなあ」だったというわけだ。

 「フォー・ザ・ボーイズ」(1991)はすばらしい音楽映画だった。ベット・ミドラーは主演であり、制作もしている。つまり、出資したということだ。

 ベット・ミドラーとジェームス・カーン(「シンデレラ・リバティー」がいい)のふたりが軍の慰問をする歌手を演じ、第2次世界大戦、朝鮮戦争ベトナム戦争の戦場に行って歌う。それぞれの時代の歌があり、兵士となった若者が聞きいる。この映画のことを考えていて、伝記映画をおもしろいとはあまり思えない理由がわかったような気がした。実在の音楽家をなぞらえる伝記ドラマというのは、結局ショーパブの「ソックリショー」以上のものにはなかなかなれないのかもしれないと思ったのだ。もちろん、私の好みの問題である。有名人の伝記映画は注目を浴びるし、興行成績も悪くないかもしれないが、私はあまり満足しない。

 The Supremesをモデルとした「ドリームガールズ」はミュージカルの映画化で、私はミュージカルが嫌いだから、60年代ソウルが大好きでも、この映画の評価は高くならない。ちなみに、ウィキペディアによれば、The Supremesは日本ではずっと「シュープリームス」と呼んでいたが(私もこの呼び名に親しみを感じる)、これはイギリス式発音ということで、近年アメリカ式発音で「スプリームス」と表記を変えているということだが(誰が変えたのだろう?)、「ザ・スプリームズ」とまでは変更しないようだ。

 フォーシーズンズのリーダー、フランキー・バリの伝記映画「ジャージー・ボーイズ」は、その音楽そのものがすばらしいのであって、映画のすばらしさではないような気がする。レイ・チャールズジミ・ヘンドリックスなどいくつも見た伝記映画をあまりおもしろくないと思ったのは、「本物」を知っているからかもしれない。グレン・ミラーベニー・グッドマンの物語は、当然ながら同時代感はないから、「似ているかどうか」など意識しない。

 伝記映画というと、ダイアナ・ロスが主演した「ビリー・ホリディ物語 奇妙な果実」(1972)を思い出す。この映画が公開された1972年ごろ、ビリー・ホリディの歌はラジオで何度か聞いたことがあり、前年に出版された『奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝』(ビリー・ホリデイ油井正一大橋巨泉訳、晶文社、1971)は読んでいた。「あの映画はひどい!」とラジオ番組で憤慨したのは、翻訳者のひとりである大橋巨泉だった。テレビの巨泉は大嫌いだが、ラジオでジャズ評論をやっていた巨泉は、ジャズを抽象論であれこれ論じることの嫌いな私には、わかりやすく歌詞の紹介もしてくれたので評価できた。

 ビリー・ホリデイをまったく知らない人には、麻薬中毒の悲惨な天才ジャズ歌手の物語として、この映画の世界に入り込めるだろうが、彼女の歌も人生もよく知っているジャズファンからは「ありゃー、なんだ。ひでーもんだ!!」ということになったのだろう。すでに書いたように、「当人」をどの程度知っているかによって伝記映画の評価が分かれることはある。ビリー・ホリデイの映画に関しては、私は「当人」をよく知らないが、つまらない映画だと思った。

 2007年のエディット・ピアフの知識は、1972年当時のビリー・ホリデイと同じくらいだったが、その伝記映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」は、まあ、それほど悪くないという印象だった。この映画も、おそらくピアフの大ファンにとっては納得いかないものだったかもしれない。