1371話 最近読んだ本の話 その4

 デジタル旅行者

 

 スマホを持っていない。理由は簡単だ。使わない物に、毎月高いカネを支払う必要はないからだ。自宅にパソコンがあるから、調べ物も、メールも、パソコンでやればいい。わざわざ電車の中で映画を見たりゲ―ムをすることはない。本を読むか、寝ていればいい。

 そう思い、スマホがない生活を続けてきたから、フェイスブックやインスタグラムなどSNSに心を汚されることもない。スマホがない生活は日本では何の不自由もないのだが、外国では違う。

 チェコ南部のチェスキー・クロムロフからバスでチェスケー・ブディヨビツェに行く朝のことだ。バスターミナルの建物があるのだろうと思っていたが、ただの空き地で、バスが停まっていた。車掌からキップを買おうとしたら、「予約なしですか? 現金ですか?」とおどろかれ、「そうです」というと、「じゃあ、しばらく待っていてください」と列をはずされ、スマホを手にした中国人観光客たちが、次々に乗り込んでいく。彼らは、すでにスマホで予約し支払いも済んでいるのだ。予約していないのは、私だけだった。

 バスがチェスケー・ブディヨビツェに着いた。予約なしでバスに乗るのはどうやら危ないらしいので、バスターミナルで翌日プラハに行くバスのキップを買っておこうとしたら、発券所がないのだ。いままで旅したどこの国にも、バスターミナルには発券窓口があったが、ここにはない。ネットで購入しない私のようなものは、街の旅行社に行ってキップを買うのだ。ああ、スマホを持たない者のあわれ。

 宿も、予約をしていないと、泊れないことが多くなった。日本でいらないスマホだが、外国旅行用に買おうかと、ふと思った。そういう時代に、すでに入ってしまったのだ。有名美術館や博物館も、ネット予約をしておかないと入場できない時代なのだ。

 というわけで、あわれな旅行者は、友人に相談した。

 日本でスマホを使わないというなら、タブレットにするのは、どうでしょ。地図などは、宿でダウンロードしておけばいいんだし。

 さっそく「サルでもわかるタブレット入門」というような超基礎学習書はないかと探して、次の2冊を買った。

 『家電批評特別編集 タブレットがまるごとわかる本 2020』(普遊舎)

 『タブレット入門&使いこなしガイド』(マイナビ出版

 買って、ざっと目を通し、「ざっと目を通しただけで理解できる頭脳」を持ち合わせていない私は、「まあ、旅行に行く時に精読すればいいか」とさぼりを決め込んだ。自宅にはWi-Fi環境が整っていないので、タブレットを買っても自宅で設定できない。かといって、自宅でWi-Fiの機器を買うのも、あほらしいなというわけで、それっきりになっていた。

 年末、天下のクラマエ師に会った。

 「前川さん、スマホ買った?」

 私はタブレットの話をした。

 「やっぱり、スマホだよ。Wi-Fiが弱い宿もあるし、バスや公園や、いろんなところで調べたいことが出てくるもんだよ。そうなると、やっぱり、スマホだよ。難しくないよ。小学生だって使っているんだから」とおっしゃる。

 師がそうおっしゃるなら、スマホをまったく知らない身としては、基礎学習をするしかない。というわけで、安くもない本をまた2冊買った。

 『SIMフリー完全ガイド』(普遊舎)

 『海外旅行のスマホ術 2020最新版』(日経BP)

 こうした実用書を熟読玩味しなければいけない時代なんでしょうね。子供なら、「わーい。スマホを買ってもらえるぞ!」と喜ぶのだろうが、私にとっては悪夢だ。カネもかかるし。

 考えてみれば、格安スマホ以前に、スマホそのものがわからない。「サルの赤ん坊でもわかるスマホ超入門初級編」というような本をまず読んで勉強しなければ。というわけで、ネットで調べると、『いちばんやさしい60代からのAndroid』(増田由紀、日経BP、2018)のような本がある。近所の本屋でスマホ入門書を探したが、「60代からの・・・」は見つからず、10歳サバを読んで数点ある「50代からの・・・」を買おうとしたが、判型がやや小さい『NHK趣味どきっ! スマートフォン入門 スマホでやりたい100のこと』(宝島社)を納入。スマホ本体を買う前に、入門書でカネが出て行く。新聞の折り込み広告に、「スマホ講座 入会料5000円、1回1700円・・・」という文字が見える。

 デザリングだのMNPだのバースト転送だの、訳の分からないことばかり。

 今の世の中、右も左もスマホに見入る人ばかり、真っ暗闇じゃございませんか。

 

 

1370話 最近読んだ本の話 その3

 期待したんだけどなあ

 

 沖縄人の異文化接触体験記の本ならおもしろそうだと思ってその本を買った。書店で現物を見ていたら買わなかったが、アマゾンで見て、この出版社なら間違いないと思って注文したのだが、期待通りのおもしろさはなかった。

 『内地の歩き方 沖縄から県外に行くあなたが知っておきたい23のオキテ』(吉戸三貴、ボーダーインク、2017)はタイトル通り、沖縄人の内地(沖縄以外の日本)カルチャーショックのコラムだろうと思った。大阪人の東京生活コラム『大阪人の胸のうち』(益田ミリ、光文社知恵の森文庫、2007)のような本を予想したのだが、アパートの探し方とかヒトとの距離の取り方といったごく普通の上京アドバイスだった。「那覇のアパートと比べて東京では・・・」といった比較、私は知らないのだが敷金や礼金などに違いはあるのかとか、沖縄と東京や大阪の家賃の相場の違いいったことが書いてあるのかと思ったが、そういう話はまるでない。

 この本は、全体的に、私が期待した「沖縄らしさ」はまるでないのだ。音楽映画の話で雑談をした音楽評論家の松村洋さんは沖縄音楽の本も書いていて、沖縄をよく知る人なので、この本の話をメールで送ると、「つまり、沖縄の若者に、沖縄らしさがなくなってきたということだと思うんですよね」ということだった。「沖縄に電車がないから、終電を気にせず飲む」という話はよく聞くが、東京圏など大都市圏を除けば、「飲んで、電車で帰宅」という発想はない。「運転代行」が常識なのは、沖縄だけではないから、「終電云々」の話は、沖縄に限った話ではないということだ。

 沖縄の本で「これはいい」と思ったのは、『沖縄ぬちぐすい事典』(尚弘子監修、プロジェクト・シュリ、2002)だ。食材などがカラー写真で解説しているので、沖縄の食文化を知りたい人に役立つ。ぬちぐすいは漢字を当てると、「命の薬」。体にいい食べ物の意味。

 食文化と建築と食べられる植物の本は、専門的な内容でも読みたくなる。『飲食朝鮮 帝国の中の「食」の経済史』(林采成、名古屋大学出版会、2019)は5400円もするので、思い切って買ったのだが、隔靴掻痒。やはり、高い本は期待値が高いせいか、「当たる」率が低い。

 本屋で見た文庫に、「添乗員」という語が目に入った。『添乗員さん、気をつけて』(小前亮、ハルキ文庫、2019)という本だ。著者名にまったく心当たりあないので、著者紹介を読む。「1976年島根生まれ。東京大学大学院修士課程修了。専攻は中央アジアイスラーム史。2005年に『李世民』でデビュー。・・・・・」

 歴史や宗教の研究者が添乗員を主人公にした旅行モノ小説なら、おもしろいかもしれない。この文庫には、ウズベキスタンベリーズエチオピア、インドを舞台にした4つの物語が入っている。おもしろそうじゃないか。ウズベキスタンを舞台にした「青の都の離婚旅行」を読んで、「なんだ、これ?」。ベリーズを舞台にした「覆面作家と水晶の乙女」も、せいぜい観光案内小説で、それ以上の読ませどころなど、なにもない。そのツアーでどこに行き、何を見たかというだけの、旅行パンフレット小説だ。残りの2編は読まないと決めた。買ってすぐ、天下のクラマエ師や田中真知さんに、「きょう買ったんだけど、もしかして、おもしろいかも」などと言ってしまったが、旅行人双頭に勧められるような本じゃまるでなかった。ああ、恥ずかしい。

 これから旅行に行きたいという人向けに、旅行案内小説というジャンルがあってもいいと思う。日本の温泉地や鉄道を舞台にした小説はすでにあるが、外国が舞台で、旅行地の歴史や見どころなどが載っている旅行案内小説は、腕のある小説家が書けばおもしろくなるだろうとは思うが、腕のある小説家はハーレクイン・ロマンスのような小説は書かないだろうな。

 

 

1369話 最近読んだ本の話 その2

 お好み焼き大全

 

 世に、写真中心の食べ歩きガイドと文章によるエッセイと、レシピ本は多いのだが、食文化研究書は多くなかったのだが、最近内外の食文化概説書や研究書が多く出版されるようになった。喜ばしいことではあるが、あまり売れない研究書だから、どうしても高額になってしまう。

 そんな食文化研究書のなかで、『お好み焼き物語』(近代食文化研究会、新紀元社、2019)は異端の本だ。まず、著者だ。団体のようで実は個人のペンネームというのは劇団ひとりか。研究会という団体として始まったわけではなさそうなので、グループで始まったがひとりになったZARDやSuperflyではないようだ。

 脱サラのライターだそうだ。さまざまな資料をデジタル化して検索して、ある料理が文字資料に登場する歴史を調べ上げるという工夫で、資料の出典を明記している。つまり、俗説を資料で検証する姿勢が整っている。

 お好み焼きは東京から始まったという説は、この本以前から読んで知っていたが、詳しい資料を添えて解説している。その概要をここで書く気はないが、引用されている田辺聖子のエッセイをここで再び引用してみよう。

 「私が女学生のころは、『お好み焼き』という名称が東京からはやり、一軒の店になっていた」(「大阪のおかずほか二編」)

 「一軒の店になっていた」というのは、関西では屋台のような店だったが、ちぇんと店を構えたお好み焼き屋ができたという意味だ。

 ソース焼きそばは東京のお好み焼き屋で生まれた。お好み焼きの鉄板で焼くから、「炒めそば」ではなく、焼きそば。東京では、中華麺が容易に手に入ったので、ソース焼きそばは東京から広まったという説など、日ごろ「日本焼きそば史」に興味がある私には、刺激的な資料だった。このように、この本は通読するだけでなく、折に触れ参考記事を探す資料としても使える力作である。

昨年暮れ、インドの食器や調理道具を輸入販売しているアジアハンターの小林真樹さんに会った。『日本の中のインド亜大陸食紀行』(阿佐ヶ谷書院、2019)を出していることは知っていたが、インドの食文化本じゃないから、後回しにしようと思い、アマゾンの「ほしい物リスト」に入れっぱなしになっていたのだが、偶然出会ったのも何かの縁、すぐさま購入を決定。届いた本を眺める。早く買っておけばよかった。おもしろそうだ。しかし、まだ『消えた国 追われた人々』ほか、数冊を読みつつあるから、インド本を読むのはまだ先だ。このコラムも書き始めたし・・・。

 年が明けて、2020年に小林さんのインド食紀行本が旅行人から出ると知った。私のインドの食文化の知識は著しく劣るので、今年は少々勉強しておこう。インド料理の本はあまたあり、食文化研究書も、日本語だけでも『食から描くインド 近現代の社会変容とアイデンティティ』(井坂理恵・山根聡編、春風社、2019)など学術論文が多く出ているので、料理本が避ける歴史なども補強できるだろう。

 

 

1368話 最近読んだ本の話 その1

 分かち書き

 

 バルト3国やポーランドの旅の話を書いている間は、基本的にその地域の本を集中的に読んでいた。旅行をすることがなければ、生涯手に取らない本に出会い、読むという楽しみは、私の旅が読書と連動しているからだ。

 アジア雑語林の旅物語を書き終えて、いままで読まないでおいた本を片っ端から読んでいるのだが、つい先日、書店の文庫コーナーの平積み題で見つけた『消えた国 追われた人々』(池内紀ちくま文庫、2019)が読みたくなった。すぐさま買い、きょうから読み始めた。「消えた国」とは東プロイセンのことで、アジア雑語林でバルト三国ポーランドのことを書いているときに、面倒だから東プロイセンには極力触れなかった。東プロイセンとは、ポーランドの北東部、リトアニアの南西部に、現在ロシア領になっている飛び地カリーニングラードにあった国だ。この本は、その痕跡を探す旅行記だ。最初の章「グストロフ号出航す」の7行目にこうある。

 「そもそもポーランドには山などほとんどないのだ。どこまでも平べったい野がつづく」

 私も、ポーランドに行くまではそう思っていた。ワルシャワポーランド人と話をしていると、「南部には高い山があるんだよ」という話を聞いて、地図をよく見て、標高2499メートルの最高峰リシイ山があることも知った。思い出とともにこういう校閲読書をするから、読むのに時間がかかる。

その本をしばし脇に置いて、ここ数か月に読んだ本の話を思いつくままにしてみようか。

 ポーランドのことで調べたいことがあって図書館に行ったとき、出入り口の「ご自由にお持ちください」コーナーにあった1冊をもらった。『世界の言葉で「アイ・ラブ・ユー」』(片野順子、NHK生活人新書、2003)は、「約1年近くの取材を経て集まった七〇か国の愛の言葉とエピソード」(はじめに)だそうで、取材元は各国大使館。

愛を告白する言葉など私はほとんど知らないのだが、タイ語はどうなっているか調べてみると、こうなっている。

 ผม รัก คุณ 

【ポム・ラック・クン】(男性から女性へ)

  ああ、やってしまったか。これは語順そのままに日本語に置き換えたら、「わたしは 愛しています あなたを」と1字あけて書いたようなものなのだ。タイ語分かち書きをしない(語間を空けない)。その点では、日本語や韓国語と同じだが、韓国語は日本語と比べて句読点が少なく、状況によって語間にスペースが入る。タイ語には句読点もスペースもない。改行はある。というわけで、正しいタイ語表記はこう書く。

 ผมรักคุณ 

 タイで日本語の分かち書きがあったことを思い出す。観光客相手の英語の週刊フリーペーパーがあって、そこに載っている日本語の広告に日本語の分かち書きが多かったのだ。

 「おいしい にほん料理 どうぞ」という感じなのだ。タイ語分かち書きをしないのだから、日本語を書く時もタイ語と同じように字間を空けずに書けばいいのに、なぜ空けるのだろうかと考えて浮かんだ仮説は、英語を書いている気分だからだろう。私自身の体験で言えば、ちょっとタイ語を書こうとすると、無意識に単語ごとにスペースを空けて、分かち書きをしたくなる。頭の中で単語ひとつひとつを組み合わせているので、詰めて書くのが難しいのだ。

 

 

1367話 高い本が怖い

 カルロス・ゴーン逃亡事件をテレビのニュース番組で取り上げていて、作家で元出入国管理官という人物がなにやらしゃべっている。現在、作家なら出入国に関して何か書いているかもしれないと思った。旅行者が書く旅行の本など世にあまたあるのだが、出入国や税関の係官がその体験を書いたものは極めて少ない。主に在日アジア人と出入国管理制度の本はあるのだが、空港や港でも取り調べを書いた本はほとんどない。

 海外旅行と税関の本では、いろいろ探したのだが、元関税局長で出版当時も大蔵省の役人の手による『海外旅行 通関のコツ』(岡下昌浩、毎日新聞社、1980)しか手に入れていない。出入国関連では、『パスポートとビザの知識』(春田哲吉、有斐閣、1987)しか探せなかった。この2冊を買ったのは1980年代で、現在どうなっているのかインターネットで調べてみると、通関士の資格試験教科書とIT入門書しか見つからない。つまり、類書ナシだ。

 テレビでしゃべっていた元出入国管理官で作家の名前をメモしておかなかったので、インターネットで調べて作家の名が久保一郎だとわかった。アマゾンで調べると、私が知りたい内容の本をすでに書いていることがわかった。『入国警備官物語 偽造旅券の謎』(現代人文社、2004)はおもしろそうだ。「¥2,345より」となっているから、高い。それはともかく、モニター画面に気になる表示があった。

 「お客様は2007/9/11にこの商品を注文しました」

 そうか、12年ほど前に注文しているのか。いくらで買ったのか調べることができると今知った。送料込みで1000円だったようだが、買値がどうのこうのという以前に、この本のことをすっかり忘れていた。そこで、すぐさま旅行関連書の棚に捜索隊を派遣したのだが、見つからない。「資料的価値あり」と思う本は、読んだ後ちゃんと本棚に入れるのだが、「まっ、いいか」という程度だとその辺に置きっぱなしになることがある。この本が送料とも500円くらいならまた買ったかもしれないが、送料込みで最低2695円だと、今買うこともないよなと思う。

 アマゾンで本探しをやっていて、おもしろそうな本が見つかると、とりあえず「ほしい物リスト」に入れておく。著者になじみがあって、内容やレベルが想像できて、高くなければすぐに買う。高い本の場合は、リストに入れた本を、本屋で実際に点検して買うかどう決める。高い本で、すぐに読む必要のない場合は、ネット古書店で安くなるのを待つ。

 アマゾンの「ほしい物リスト」に入れている高価な食文化な研究書を、神保町の古書店で比較的安い値段で売っているのを見つけたが、「もう少し安くなるんじゃないか」とう予感があって、買わなかった。帰宅して、食文化の棚で必要な本を探していたら、神保町で見つけたその本がちゃんとあり、アマゾンの「ほしい物リスト」に入っている別の高い本も本棚にあった。これで、7000円ほどの損失を防いだ。アマゾンで買っていれば、「お客様は・・・・」という表示が出てくるので同じ本をまた買うことはないのだが、頭の中の蔵書リストが崩壊しているので、本屋で買った本はまた買う危険性がある。

 いままででもっとも悔しかったのは、神保町の新刊書店で食文化の高い本を見つけ、好きな書き手だからうれしくなり、すぐさま買い、帰宅して読み始めたら数ページ目で既読感があり、念のために本棚を点検したらその本がちゃんとあった。それが、出版後ひと月後のことだ。つまり、出版後すぐに買い、すぐに読み、傍線を引き、付箋をつけ、しかしそれらの行為をすべて忘れ、ひと月後に「あっ、あの人の新刊だ!!」と喜び、躊躇せず買ったというわけだ。10年前に買った本を忘れているのならあきらめもつくが、ひと月前じゃ落ち込む。こうして、私も天下のクラマエ師(蔵前仁一翁)の仙境の境地に一歩足を踏み入れたのである。

 コーヒーなら2缶買ってもいいが、本は2冊あっても意味がない。高い本は、なお怖い。

 

 

1366話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第10回(最終回)

 狸御殿は知っています?

 

 どうやら、私は音楽映画や音楽ドキュメントが好きらしい。ドキュメントでは、NHKテレビで放送していた「Amazing Voice 驚異の歌声」(2011)シリーズはすばらしい番組だった。もちろん、全部録画した。同じNHKでは、「我が心の旅」にも、音楽がらみの番組があった。

 テレビのドキュメントではないが、今、思い出したのは映画「カラー・パープル」(1985)だ。音楽映画ではないが、音楽担当のクインシー・ジョーンズがさまざまな黒人音楽を聞かせてくれた。もう30年以上前の映画だから、詳しい内容は覚えていないのだが、ネットで調べてみると、やはりブルースとゴスペルのシーンは覚えていた。

 日本映画で、音楽映画と呼べる作品は・・・と考えても、すぐには浮かばない。考えれば「嵐を呼ぶ男」などいくつかは思いつくが、「まあ、たいしたことはないな」と思いつつ、あっ、音楽映画が宝の山だった時代があったことを思い出した。歌謡映画の時代だ。「歌謡映画」という看板を掲げなくても、かつての日本には登場人物が当然歌い出すというミュージカルのような映画はいくらでもあった。「蘇州夜曲」などが歌われた「支那の夜」(1940)など戦前からあったが、戦後はもっと増えた。

 代表的なのは、狸御殿だ。1939年から2005年までに8作つくられたオペレッタだ。そのリストと映像の一部を紹介しておこう。私は1960代か70年代にテレビで見て、そのエンターテインメント性にびっくりした。こういうおもしろい映像は、タモリが出ていたテレビ番組「今夜は最高!」(日本テレビ。1980年代に放送。美空ひばりも出演)に引き継がれたが、今は途絶えた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%B8%E5%BE%A1%E6%AE%BF

 映像は、これ。昔は芸達者がいくらでもいたことがよくわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=Jw0HNJIrNNk

https://www.youtube.com/watch?v=O2vlhvc8OTM

 「今夜は最高!」のことを考えていたら、「ジャズ大名」が浮かんだが、それほどおもしろくはなかった。「キャバレー」(1986)はダメ。「のだめカンタービレ」はテレビ版も映画版も見ているが、クラシック音楽を広めたという意味では重要な映画だったと思う。ドラマそのものも、気に入っている。クラシック音楽を使った音楽映画は「アマデウス」などあまたあるが、私の好みではないので、ほとんど見ていない。

 ベンチャーズの時代を描いた「青春デンデケデケデケ」(1992)もよかったが、今の若者にはわかるかな。ギターがうまい高校生を演じていた浅野忠信を、公開当時私はまだ知らなかった。

 オペレッタを除いて、私が見た数少ない日本の音楽映画のなかで、「これがベストかな」と思うのは、「スウィングガールズ」(2004)。これがいい。役者が練習して、実際に演奏できるようになって、コンサートを行った映像はいくつかあるが、これもそのひとつ。

https://www.youtube.com/watch?v=_9ikyU-zqOs

 そういえば、「のだめカンタービレ」のように、「音楽映画と学校」という映画ジャンルもあるような気がする。「スウィングガールズ」の翌年に公開されたのが「リンダ リンダ リンダ」(2005)。アメリカには、「ミュージック・オブ・ハート」(1999)があり、何の予備知識もなくテレビでこの映画を見ていて、イツァーク・パルマンが登場して感激。今、この映画について調べていて、教師役でグロリア・エステファンが出ていたことをすっかり忘れているのに気がついた。ロック版なら、「スクール・オブ・ロック」(2003)がある。音楽に親しめば、ハッピーエンドという映画の構成はみな似たりよったり。学校ではないが、教会が舞台の「天使にラブソングを」がある。一応見たが、ゴスペルがあまり好きではないので、強い印象は残っていない。

 私の評価に異論のある人も多いとは思うが、映画も音楽も、人それぞれに好みや評価があるから、ここで紹介した音楽映画は当然、私の個人的評価によるものだ。映画と音楽といえば、インド映画に触れないわけにはいかないが、「ミュージカルが嫌い」という理由で一切触れない。

 音楽評論家の松村洋さんは、「ジョアン・ジルベルトを探して」(2018)がいいですよという話をしたが、私はまだ見ていないので、ただ話を聞くだけだった。その後の雑談は、「with stringsについて」とか「こぶしを考える」など内容は多岐にわたり、いつも通り楽しかった。専門的な話でもあるので、ここでは書かない。音楽の話は、べつのテーマで、また書いてみよう。

 あっ、今、ジョニー・キャッシュの伝記映画「アイ・ウォーク・ザ・ライン」を思い出した。「あんまりおもしろくないカントリー歌手」というイメージしかなかったジョニー・キャッシュだが、とんでもない人生を歩んだと知って驚いた。その意外性に1票。とまあ、音楽映画はいくらでも思い出してきてきりがない。クレージーキャッツトニー谷や、「シェルブールの雨傘」は、「イージー・ライダー」は・・・と、ここで触れなかった映画がいくらでも思い浮かぶが、キリがないので、これにて本当に打ち止めにする。

 

 

1365話 音楽映画の話を、ちょっとしようか 第9回

 風の丘を越えて

 

 松村さんと会った帰り、電車の中で引き続き音楽映画のことを考えていた。

 「パイレーツ・ロック」はすごかった。イギリスでは、1960年代ラジオ局がBBCしかなく、ロックが冷遇されていた時代、沖に停泊した船からロックをガンガン放送していたという事実に基づく映画だ。当時、イギリスでは日本のように好き勝手に選曲・放送できなかったのだ。1960年代の音楽がガンガン流れるということでは、「グッドモーニング・ベトナム」(1987)もある。1970年代の韓国のバンドが政府にどう弾圧されたかを描いたのが、「GOGO 70s」だ。この映画や、ベトナム戦争と韓国の音楽事情の話は、このアジア雑語林の376話(2011年12月23日)に書いた。

 レッド・バイオリン(1998)は、ちょっとおもしろかったな。1993年の映画だ。17世紀のイタリアで造られたバイオリンが、時代と場所が変わり、さまざまな人の手に渡り現在まで歩んだ道を描く。映画の主人公が、赤いバイオリンというのがおもしろい。こういう壮大な物語ができる楽器は、バイオリン以外考えられない。

 松村さんと、台湾におけるアメリカ音楽の影響といったテーマで話をしていて、「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」の話をした。ふたりともこのタイトルを正確に覚えていないから、「ほら、あの、難しい名前がつく殺人事件の映画」といえば、「ああ、あれね」とふたりともわかる。時代は1950年代末から60年代初めの台北。映画そのものの魅力とは別に、日本家屋での生活やエルビス・プレスリーの大ファンという少年など、当時の若者文化を知るという意味でも貴重な作品だ。

 この映画は、権利関係の問題がいろいろあったらしく、ながらくビデオでもDVDでも手に入らなかったが、2017年にやっとDVDが発売された。テレビでも放送された。

 そういうことを思い出していて、DVDが品切れになり、プレミアがついて高価安定している韓国の音楽映画のことを思い出した。そうだ、あの映画を忘れてはいけない。私の韓国映画ベスト10に入る映画だ。「風の丘を越えて/西便制」(1993)だ。韓国の原題を漢字で表記して「西便制」としているが、日本人は読めない(中国人も読めない。若い韓国人も読めない!)。映画輸入会社がよくやる「インテリ面したかっこつけ」が嫌いだが、それはともかく、映画そのものの話だ。

 パンソリの映画だ。パンソリは、日本の浪曲義太夫(ぎだゆう)のような語り物の芸で、タイならモーラムだ。西便制(ソピョンジェ)とは、パンソリの歌唱法の流派のひとつだというのだが、こんなタイトルで日本人がわかるわけはない。韓国人もわからないだろう。

 語り物の芸というのは、声と節が重要で、鍛えられたノドの技を耳にすると、もうたまらない。映画館でこの韓国映画を見て、すっかり気に入り、ロビーで売っているVHSとDVDを見て、欲しくなったが高い。「そのうち中古で安くなるだろう」と思っていて、現在にいたる。韓国版は安く手に入るが、リージョンコードが合わない。レンタルか、新大久保や神保町の中古DVD屋を探すしかないのだろうが、あっても高いだろうな。