1604話 本で床はまだ抜けないが、その12

 

 旅行中、「荷物が全部盗まれたら、きっと楽になれるなあ」と思うことがある。もともと私の旅装は少ないしそれほど重くはないし、旅行中に物を買うことはほとんどないのだが、汗臭い服で旅したくないから、服は少し多めで、時に本を買いすぎてしまうことがあり、荷物の重さにうんざりすることがときどきある。だからといって、手ぶらで旅する気はない。

 荷物が日によって、誰かが石を入れたんじゃないかと疑いたくなるほど重く感じたり、何かをごっそりと盗まれたんじゃないかと思うほど軽く感じることがある。その昔、一眼レフカメラを持ち歩きていたときに、散歩中にショルダーバッグがあまりに軽く感じて、カメラやストロボなどをすられたんじゃないかと感じ、路上であわてふためき、バッグのなかを探ったことが何度もある。日によって、荷物の重さが違って感じるというのは、私だけの体験だろうか。

 もともと売れないライターがもっと売れないライターになっているから、仕事のことだけを考えれば、食文化以外の本はほとんど必要なくなっている。ということは、蔵書のほとんどを失っても、せーせいして、どーということのない日常が続くということではないか。

 かつて、書棚にアメリカの黒人解放運動関連書が多くあった。リチャード・ライトやラングストン・ヒューズやマルカムXやブラック・パンサーやアメリカ史の本や雑誌のコピーなどを、ひとまとめにして段ボール箱に入れた日を最後に、日の目を見ない。アフリカの本も、『アフリカの満月』(2000)を書いて以後20年以上、目にしていない。ウチにはあるが、ないも同然なのだ。

 そういうジャンルの本はいくつもある。売っても、捨てても、その後の生活には変化はないのだ。

 ただ、まだライターであることに未練もあるから、すべてをきれいさっぱり捨ててしまう(売ってしまうでもいいが)気にはなれない。「断捨離」という言葉がもてはやされたとき、立花隆は「読んだ本は処分してしまえばいいと考える人は、物事は幾重にも重なっているのに、それらの関連に気がつかない人だ」という意味のことを書いていた。「断捨離」で「本を捨てよ」といった人が想定する本は、読んだらおしまいの小説やエッセイや実用書だったのだろう。

 「本を捨てる」という話を書いていて、突然思い出した。読んだことはないが、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』や、ラングストン・ヒューズの自伝に、故郷を去る船から持っている本を捨てるシーン。その本のなかの、「キミは本がなければ、どこにも行けないのか」という文章も、思い出す。

 それはさておき、ライターとしての仕事に用はないのに、今も本をよく買っているのは、このコラムのせいだ。このアジア雑語林に文章を書こうと思った時点で、私の知識不足はよくわかるから、まずは資料を買い集めて、読みながら文章を書く。読書への刺激を与えてくれるのが、このブログというわけだ。もし、ブログをやめても、ツイッターなどSNSはやらないと思うから、本もあまり買わなくなり、好奇心も減退し、かといってテレビの前に座りスポーツ中継や時代劇ばかり見ているという生活もできず、図書館に通う気力も失うだろう。

 私が「恐ろしい」と思っているのは、神保町に行っても、「読みたい本が浮かんでこない」というときだ。あれもこれも、あまりおもしろそうじゃない。「それなら」と、ヤマケイ文庫の棚を点検しても、食指が動かない。雑誌もダメ。買いたくなる本がないということが、いままで数度あった。

 スーパーマーケットでも同じような体験をしている。夕食の食材を買いに行ったのだが、献立が浮かばない。買いたくなる食材が目に入ってこない。「それなら、刺身を買って帰るか」と思っても、「ただ刺身を買うだけじゃなあ・・・」などとためらい、食べたい料理が浮かばない。

 読書でも、料理でも、旅行でも、好奇心を失うと、なにをしていいのかわからなくなる。自分が何をしたいのか、自分でわからなくなる。今、どこへ行こうかという具体的な旅行地は決められないから、旅行地の資料を集めて読むということもしていない。

 そうなれば、蔵書など、段ボール箱に入れてしまいこんでも、あるいは気前よく燃えるゴミにしてしまっても平気だろう。

 などという文章を書いている今、自宅にネット古書店から『西洋住居史 石の文化と木の文化』(後藤久、彰国社、2005)が届いた。まだ、知りたいという好奇心があり、書きたいという欲望もある。で、本が増える。

追記:この本はまだ読み終えていないが、なかなかおもしろい。建築で、「石の文化 木の文化」というと日本と西洋の比較として語られることが多いが、この本は北ヨーロッパの木造住宅と南ヨーロッパの石積み共同住宅という対比で語られる。建築よりも住居に興味のある私には、いまのところ絶好の本だ。というわけで、また「建築の虫」が騒ぎ出し、『北欧建築紀行―幸せのかけらを探して』と『世界の野外博物館―環境との共生をめざして』の2冊を注文してしまった。詳しい内容とそのレベルはわからないが、さてどうか? そして、もう一度。で、こうして本が増えていく。

 

 

1603話 本で床はまだ抜けないが その11

 

 昔のガイドブックを買い集めているのは、コレクションするためではもちろんなく、旅行地の変化が記録してあるからだ。アジアの場合、住宅地にショッピングセンターができたり、安宿街ができたり、新たに橋がかかったり、鉄道ができたりといった変化をガイドブックで確認したいからだ。出入国事情の変化や空港からの交通機関とか、その国の旅行事情などの時代変化を知るにはガイドブックがいちばんいい。だから、東南アジアを中心に、ガイドブックを買い集めるようになった。

 前回に続いて、「ガイドブックとアマゾン」という遊びをしたくなった。

 ロンリープラネットのガイドである“Thailand a travel survival kit”の売価を調べてみると、84年版は1211円+送料398円だが、87年版は1万0325円+送料5995円だ。84年版が安いのは、日本の業者が日本から送るからだ。

 私が持っているもっとも古いロンリープラネットの本、”South-East Asia on a Shoestring“1977は、1万3918円+送料340円だ。よくわからないことがある。この本には”first published 1977”となっているから初版だと思うのだが、この本の1985年を見ると”first published 1975”になっている。どういうことだ?

 JICCは、現在の宝島社なのだが、ガイドブックに手を出したことがある。1980年代後半に出版した「宝島スーパーガイドアジア」はある程度持っているので、その後古書市場でどう評価されているのか、アマゾンで調べてみる。アマゾンの古書価格は、出品者が勝手につけたものなので、市場相場ではないが、まあ、遊び程度に考えて、ちょっと紹介してみる。

 このガイドブックシリーズは、最初6冊が出た。最初は「アジアを知ろう」という編集方針だったが、のちに「アジアで遊ぼう」に変わっていった。それまで欧米志向だった女性客がアジアに出かけるようになったということだ。

 それぞれの、7月5日現在のアマゾン価格を調べてみる。

タイ』(1987)・・・2万9980円

フィリピン』(1987)・・・30円。女性が魅力を感じない国は、観光評価が低い。

インドネシア』(1987)・・・2889円

シンガポール・マレーシア』(1987)・・・1万2988円

台湾』(1989)・・・2358円

香港・マカオ・広州(中国)』(1989)・・・出品ナシ

中国・北京』(1989・・・出品ナシ

中国・上海・チベット雲南・長江流域』(1985年)・・・3万0080

韓国』(1985)・・・1万7500円

バンコクパタヤ』(1986)・・・9800円

バリ島』(1986)・・・3998円

広州・桂林・昆明』(1986)・・・2400円

マニラ・セブ』(1986)・・・400円(このガイドの担当は、『おまえも来るか中近東』の森本剛史氏)。

ソウル』(1986)・・・1561円

 1980年代末に、簡単には旅をできない地域や、ラオスのようにやっと観光旅行が許されるようになった国のガイド「地球の歩き方フロンティア」の出版が始まる。1989年から90年末までに発売されたのは、『ベトナム』、『イスラエル』、『シリア・ヨルダン』、『サハラ・ナイジェリア』、『チュニジア』、『西アフリカ』、『アイルランド』、『ペルー』、『イースター島・チリ』、『タイ北部山岳民族を訪ねて』、パプア・ニューギニア』。

 街歩きが好きな私は、このシリーズのガイドはほとんど買っていない。手元にあるのは『ラオス』(アマゾンで、498円)、『ベトナム』(同、540円)、『ブータン』(同、695円)の3冊。巻によっては数千円の値段がついていることもあるが、概して安い。これは正常な価格設定で、宝島スーパーガイドの方が異常なのだ。

 「地球の歩き方フロンティア」とほぼ同じ時代に出版された「旅行人ノート」シリーズは、現在では旅行ガイドとしての実用性はあまりないが、それほどの値崩れもなく、古本にしては高価格を保っている。これは発行人の人徳によるものだろうか。

 

 

1602話 本で床はまだ抜けないが その10

 

 増えすぎた本を処分することはよく考える。1冊1冊、売るか売らないか選ぶのは面倒だから、いくつかあるジャンルのなかから、ひとまとめにして売ってしまうなら、どのジャンルにするか考えた。

 例えば、この5年ほどの間にそのジャンルの本はほとんど、あるいはまったく買っていないというジャンルなら、もう処分していいだろうと基準を決めると、真っ先にその認定を受けるのは、アジア関連書だ。アジアの食文化関連書と台湾の本を除けば、ハノイのことを書いていた2016年以降、アジア関係書をほとんど買っていない。

 最近もっぱらヨーロッパを旅しているのは、「アジアの憂鬱」があるからだ。軍の独裁政権下にあるタイやビルマのことを考えると、気が重いのだ。フィリピンの人殺し政権も、うんざりだ。将来の不幸を考えず、嬉々として中国の支配下に入っていくラオスカンボジアを見ているのもつらい。タイもビルマも、かつても軍政時代があったが、タイに関して言えば、「いずれ自由にものが言える時代が来る」という希望があり、実際そうなったが、また軍につぶされた。

 かつて、香港は大好きな街で、香港の本を書こうと資料を集め、歩き回ったものだが、中国に占領された香港に、もう行きたいとは思わない。今の香港市民には、こういう歌をプレゼントしたい気分だ。

 そういうやりきれなさがあって、多くのアジアは、とても、のんびりと散歩していたいという気分ではなくなった。だから、関心は東ヨーロッパなどに移り、アジアの本を買わなくなった。買いたくなるような本は、ほとんど出ていないでしょ。

 井村文化事業社やめこん、新宿書房、段々社、大同生命国際文化基金などのアジア小説を除いても、アジア関連書は軽く1000冊は超えるだろうから、ひと思いに一掃すれば棚がカラッポになって、いままで床に積んでいた食文化や建築や旅行史の本を棚に移せるのだが、そういう勇気はまだ、ない。仕事関連で言えば、私にアジアの原稿依頼はもう来ないだろうと思う。手持ちの資料を使って、アジアに関する文章を書くことは、もうないかもしれない。だから、「要るか要らないか」といえば、明らかに要らないのだ。タイの旅行ガイドブックも1970年代ものから集めているが、そういう資料を使った文章を読みたい人はいない。読者が5人か10人いたとしても、職業としてのライターは成り立たない。

 アマゾンの「ほしい物リスト」には数十冊の本が入っているが、アジアの本は数冊しかなく、例えば『カンボジア山村の救荒食』といった本だ。68ページしかないこのブックレットに、いままで高い値段がついていたから買わなかったが、今調べると、比較的安い値がついていたので、購入決定。食文化の本だから買ったのだ。

 1595話で、1960~70年代の旅行関連書に高い値がついているという話をした。いま、目の前の棚に見える『地球の歩き方 タイ』のアマゾンでの古書価格を、退屈しのぎに調べてみようか。

 アマゾンに出品されているもっとも古い『タイ編』は87~88年版で、売価は3万0180円だが、これは持っていない。『88~89年版』は持っていて、これも3万0180円。それ以後の、私が持っている版の売価を調べてみる。

タイ 90~91』1972円

バンコク 92~93』2万9980円

タイ 92~93』は出品されていないが、93~94年版は4530円。これも、持っている。

 ついでに、ワールドフォトプレスのガイドブックを調べる。1973年初版の『タイ・ビルマの旅』の78年と81年改訂版は持っている。78年版はアマゾンへの出品はないが、81年版が1036円なのに対して、79年改訂版は3万4800円だ。出品者が「もったいない本舗」だから、信用できる業者なのだが、高すぎる。

 アマゾンの売価は古書相場を表したものではなく、売り手の希望を示しているだけのことだから、出品者が少ないと、資料というよりも、「話題のネタに」という程度のものだ。オックスフォード大学の出版物は、マーケットが世界なので、外国のインターネット古書店の売価は、その時点の相場だと思える。

カンボジア山村の救荒食』は、すぐに届いた。薄い本だから、すぐに読了。ポルポト時代とその後の、救荒食を調べて書いた本で、おもしろかった。ただ、救荒食の具体的な料理法が書いてないので、隔靴掻痒(靴の上から足を掻いているいる感じ)だ。

 

 

1601話 本で床はまだ抜けないが その9

 

 私が、「こいつ、嫌なヤツだな」と顔をしかめたくなるのは、書店で平積みになっている本を1冊1冊慎重に検品し、合格した本だけを買うヤツだ。他人の邪魔を考えず、平台を占拠して検品し、買っても読まず保存するようなヤツ。たまに書店でそういう男を見かける。「本は、保存状態こそが重要」と考えているヤツ。本を書棚に並べて悦に入っているようなヤツも嫌だ。オーディオ機器にカネと神経を使うが、音楽そのものにはほとんど興味のないヤツと同じだ。本は装飾品じゃない。

 そういえば、バブルのころのある書店主の思い出話に、こういうのがあった。「何でもいいから、見栄えのいい本を100万円ほど持って来い」という注文があったそうだ。新居を建てた成金が、自分をインテリに見せたくて、壁紙代わりに本を注文したというのだ。文学全集や美術全集、盆栽や城郭の写真集などを届けたのだろうか。でも、100万円じゃ、大した本棚にはならない。「本は見栄の張りどころ」と考えるのは、団塊の世代が最後じゃないか。

 私は、のちに高く売ることを考えたりしないし、本を数多く買うのが好きというわけではなく、本を多く所有していることが喜びというわけではない。単純に、「読みたいから、予算内で買う」というだけのことだ。

 ヘビースモーカー時代に棚にあった本は、黄変している。それだけでなく、ヤニで本が互いにくっつき、ビニールカバーがかかった本は、書棚から取り出そうとすると、指にヤニがつく。「さすがに、これじゃまずいだろう」と考え、メモ用に取っておいた用済みのコピー紙でカバーを付けた。以後、現在も引き続きカバーをかけているのは、書籍ジャケット(通称では、カバーというが)のツルツルした手触りが嫌いだからで、だからといってジャケットを捨てる気にはならず、白紙でカバーすることにしている。すでに持っている本をまた買ってしまう原因のひとつは、本に白紙カバーをかけてしまうから、表紙の記憶がないからでもある。

 アジアの本を集中して読むようになって、本に書き込みをするようになった。ちょうどその時代、井村文化事業社から東南アジアの主に小説が次々と出版されるようになった。読みたいが、高い本だ。月に数冊読むとすれば、東南アジアの小説だけに毎月1万円以上の出費になり、貧乏ライターにはつらい。そこで、この叢書を備えている図書館を巡り、本を借りて、読んだ。書き込みはできないから、読書ノートを作り、傍線を引きたい部分は書き写した。この時代は、ただ単に、「おもしろい小説を読む」と言うだけのことだったが、のちに東南アジアの食文化研究を始めたら、この叢書は食文化資料としても第一級だとわかった。多少収入も増えてから、すでに読んだ本も含めて、100冊近くを買い集めた。自分の本になれば、使い放題で、傍線、書き込み、付箋をつけて、大いに活用した。

 私の書き込みは、傍線が多いが、そのほか、例えば本文に「この年」とだけあれば、調べて「1926年」と記入したり、何行にもわたって重要だと思われる記述があれば、「重要!」と書いて付箋をつけるか、あとで調べなおすときに便利なように、内容を要約した「見出し」のような文を欄外に書いておくこともある。「詳しくはp124参照」などと書き込むこともある。

 逆に粗悪本に出合ってしまったときは、絵空事の文に傍線を引き、「× ウソ!」と書くか、自分の勉強のために、校閲することもある。文章のてにをはや、漢字が正しいかなどを点検するのが校正だが、内容にまで踏み込んで点検するのが校閲だ。デタラメばかり書いているあの学者あのライターの本など(それが誰か、ご想像ください)、校閲のテキストとして使える。ついつい校閲の勉強をしてしまった1冊に、『アジア偏愛日記』(立松和平、徳間文庫、2002)がある。私の経験上、徳間書店の本は、多少校正はしても、校閲はしていない本が多い。この文庫でいえば、インドネシア語タイ語のカタカナ表記がメチャクチャというのは同情の余地はあるが、発酵させた大豆を固めたテンペを「豆腐のように固めてある」と解説している。「マカムは火炎樹の実だ」というのにも、まいった。マカームはタマリンドのことだ。火炎樹(カエンボク、あるいはホウオウボク)とはまったく違う。この文庫は校閲のやりがいがありすぎて疲れてしまい、50ページほどで読むのをやめたのだが、今、こうして校閲の例を即座にあげられるのは、書き込みと付箋のおかげだが、本を売るときは、傍線や書き込みや付箋はマイナスとなる(私の本も含めてだが、こんな文庫にもともと値はつかないが)。

 

 

1600話 本で床はまだ抜けないが その8

 

 今、この文章を書いているのは6月下旬だが、今朝のニュースで2か月前に立花隆が亡くなっていたと報じている。今回のコラムのテーマに即して考えると、通称「猫ビル」の仕事場に詰まっている蔵書の行方が問題だ。立花はコレクターではない。財力を世界の稀覯本収集に注ぐという人ではなく、本は情報源だと考えていた人だから、古本屋が小躍りして喜ぶような本は、多分、ほとんど持っていないと思う。高価な学術書も多く持っていたが、傍線、書き込み、付箋がついている本が多いかもしれない。本は買って保存しておくものではなく、使うものだと考えていたはずだ。6月末のNHKの番組で、立花の取材メモや録音テープだけでも段ボール箱63箱分あり、NHKに託されたという。これは、立花隆研究のための資料だ。

 蔵書が雑多すぎて古本屋が喜ぶような売り物がなかったと言われていたのが、植草甚一の蔵書だ。英語やフランス語の、いわゆる三文小説が山とあり、日本語の本もいわゆる雑本がほとんどだった。植草は、読むために本を買うだけでなく、本を買うことそのものが大好きだから、ただ買うために本を買っていた。だから、本は増える一方だった。そういう雑本の持ち主が死に、蔵書がゴミになった。燃えるゴミとして植草の蔵書が路上に置いてあるのを見かけたと書いていたのは、沢木耕太郎だったか高平哲郎だったか。植草の所蔵レコードは、まとめてタモリが買い取った。欲しいレコードが多くあったとは思えないから、まあ、香典替わりの慈善事業だろう。まとめて本を買いたいという者はいなかった。

 立花も植草もいずれも、本を売るために本を買い続けたわけではないから、高く売れないということなど気にしてもいないだろう。

 神田神保町の悠久堂書店は、1階に料理や食文化と辞書、2回に山歩きの本があり、十代から通っている古書店だ。10年ほど前になるか、いつものようにこの店に足を踏み入れると、戦前期の女性雑誌や当時の料理本が数百冊積んであって、「あっ、研究者が死んだのか」とひらめいた。私にはまったく用のない雑誌や本だが、数日後に、この分野の研究者である江原絢子さん(えはら・あやこ 東京家政学院大学名誉教授)に会ったので、その話をした。やはり江原さんも愛用の古書店だそうで、「よく行くんだけど、そういう資料が山とあったというのは知らなかった」。近代日本食文化史が江原さんの専門分野なので、専門を同じくする人の動向は把握しているのだが、最近研究者が亡くなったという情報は得ていないという。「来週にでも行って、チェックしてみます」といった。

 それから数か月して、江原さんとまた会った。「このあいだの古本のことですが、すべて持っている資料でした。残念ながら、掘り出し物はなかったですね。でも、誰が売ったんでしょうね。ああいう資料を持っている研究者で、最近亡くなった方って、考えたけどやっぱり知らないんですよ」ということだった。大学などの図書館の本なら、ラベルがついているから、個人かそれとも出版社の図書室の本か。

 本に限らないが、コレクターの心配はコレクションの末路だ。個人蔵書が、大学や研究所やどこかの図書館の蔵書としてまとめて引き取られることは稀有だ。その本が古書として価値がほとんどない場合はもちろん、貴重な資料だとわかっていても、寄贈された本の整理するのは苦労だ。分類して、ラベルを付けて,台帳に登録する作業は、蔵書の内容を理解していないと難しい。さまざまな言語の本だと専門家しか扱えない。アルバイトでもできるという作業ではない。そして、もちろん、保管場所の確保と維持管理の人出と費用が必要だ。

 地域の図書館に「寄付してやる」という申し出がよくあるそうだが、大掃除の廃棄本だったり昔のベストセラーだったり、図書館にとって「欲しくない本」ばかりだという話を何かで読んだ。

 そういえば、図書館自身も蔵書の整理に苦労しているのだ。本はどんどん増えるが置き場所は限られている。近所の図書館では、常時「ご自由お持ちください」という表示を出して、出入り口に廃棄本を積んでいる。そして、たまに大々的に廃棄本フェアーのようなことをやり、1000冊ほどの廃棄本が「ひとり、1回、10冊まで」という条件はあったが、誰もチェックしないので、実際は無制限だった。大物では、全30巻を超える『柳田国男全集』や『折口信夫全集』(どちらも、もちろん文庫版ではない)があったことを覚えている。柳田国男にはちょっと食指が動いたが、「欲しけりゃ、文庫版を買えばいい」と思って、持ち帰らなかった。

 今読んでいる『ブダペスト日記』(徳永康元新宿書房、2004)は、いずれちゃんと紹介しようと思っていたが、今回のコラムと関係のある記述があったので、ちょっと紹介しておく。言語学ハンガリー文学研究者である著者と、文化人類学山口昌男との対談にこういう意味の話が出てくる。徳永氏の話。ユダヤ系作家のザングウィルの作品は、「植草甚一さんの遺した本でほとんど全部手に入ったけれど」『ドリーマーズ・オブ・ザ・ゲットー』が手に入らない。探し続けて、ウィーンの古本屋でドイツ語訳の版で手に入れたという話だ。植草甚一の本は、もちろんある程度は古書店に引き取られて、そういう本を狙っていた読者もいたということだ。

 その徳永氏が亡くなったのは2003年で、数万冊の蔵書は、一部が千葉大学(6800冊)と早稲田大学の図書館に寄贈され、残りは古本屋に売られた。コレクションの幸せな末路である。

 

 

1599話 本で床はまだ抜けないが その7

 

 「インターネット書店はピンポイントで本を探すから、狭い知識しか得られない。興味を広げることができない。でも、本屋で棚を渡り歩いたら、知らない分野の本や、知らない著者の本に出合う。思いがけない出会いが、書店にはある」

 読書家を匂わす人物が、ラジオでしゃべっていた。書店擁護という考えもあるのだろうが、私はもう20代から新刊書店ではあまり本を買わなくなっている。理由は簡単で、欲しい本がないからだ。「最新刊を読んでいないと時代に取り残される」という恐怖感はない。ベストセラーに、読みたい本はない。雑誌、マンガを買わない。小説、実用書、自己啓発本、宗教書、タレント本などを買わないと、小さな新刊書店では文庫と新書を探すしかないから、古本屋歩きが加速する。

 インターネット書店は、自分が買いたい本をピンポイントで探し出し、買うことができる。しかし、その人に広い好奇心があれば、知らない分野の本や、知らない書き手の本に出合うことがいくらでもできる。例えピンポイントで本を探しても、ヒットした本の前後には、同じ著者の本や関連するテーマの本が登場していることがある。検索を書名ではなく、例えば「大阪 大正時代」とか、「世界 家具」などで検索すれば、もっと多くの本が見つかる。場合によっては、市販していない私家版も手に入れることができる。関心が日本国内だけでなく、外国にも関連するなら、世界各国の古書店とネットでつながる。

 20代になってアジア関連の本を読みたくなって本を探したのだが、新刊書店ではあまり見つからなかった。私が読みたくなる本は、小出版社から少部数出版されるような本が多く、大書店でも「在庫なし」ということがある。だから、神保町に行っても三省堂東京堂は雑誌や文庫や新書を点検するだけで、新刊書はあまり買っていない。神保町で新刊をよく買うようになったのは、アジア文庫ができてからだ。

 新刊書店でもっとも好きなのは、池袋ジュンク堂で、大学講師をやっていた時は池袋に行く用があれば、必ず立ち寄り、旅行記や海外滞在記などの棚を中心に新書や文庫のチェックに数時間費やしていた。でも、あまり買っていないなあ。欲しい本がないのではなく、欲しい本がありすぎて、「もう買うな! ウチに未読の本がいくらでもあるだろ」というブレーキがかかるのだ。

 ジュンク堂にしかないかもしれないという本があった。スパイス解説書らしいが、ビニール包装されていて、内容を確認できない小冊子だった。こんな自費出版物はほかじゃ買えないだろうと思い、ついつい買ったのだが、まあ、それはそれはひどい内容だった。そのころ、友人の民族植物学者もこのビニ本を買ってしまったらしく、「ひどい目にあったねえ」と互いになぐさめあったものだ。結果的にはひどい内容の本だったが、そういう珍しい本も置いてくれるのが、池袋ジュンク堂だ。

 本はもっぱらネット書店を利用しているが、電子書籍を読む気はないし、手持ちの本をデジタル化する気もない。パソコンで読んでいるような、雑多な情報はモニターで読むのはいいが、長い文章をモニターで読む気はない。字が大きくなるなど年寄りには便利な機能があるようだが、読んでいる気がしないのだ。電子辞書のような、辞書事典資料集など膨大な情報をデジタル化しておくのはいいが、長い文章をモニターで読む気はない。だから、逆に、短い文章、例えば俳句や短歌や詩などが入っていると、旅の友達にはなれるが、そういう本は文庫でもいいから、買おうという気にはならない。

 しかし、電子図書化した国会図書館の蔵書や、「Kindle版 無料」というアマゾンの表示にはそそられる。キンドルでしか読めない本や、印刷物で手に入れようとしたらとんでもない値段がついている古書だという例もあるから、電子書籍はそそられるのだが、印刷物さえ手に負えないほどの量が出版されているのだから、電子書籍にまで手を広げなくてもまあいいかと思っている。ガイドブックを含めて、デジタル本なら100冊分でも500冊分でも旅に持っていけるのだが、これも、まあいいか。もともと荷物が少ない上に、旅先で買い物もほとんどしないから、本が数冊増えてもいいやと思っている。2か月で15か国旅行するというなら、デジタル化した旅行ガイドブック類を持っていけば軽くて楽だが、そういう旅をする気はない。

 

 

1598話 本で床はまだ抜けないが その6

 

 ある人の話では、蔵書数が5000冊を超えると、すでに買った本か、まだ買っていない本かの区別があいまいになり、同じ本をまた買うようになるというのだが、「すでに買ったかどうか」よりも「すでに読んだかどうか」を覚えている方が重要だと思う。

 1595話で、1960~70年代の海外旅行ガイドの話をした。書棚から関係書を取り出し、文章を書き、本を書棚に戻していると、「ええ?」と思う本があった。つい先日、『さすらいの青春 四大陸放浪七年』(下柳田龍二中公新書、1973)を読んだばかりで、この本は以前から知っていて、「鹿児島出身者のような苗字だなあ」などと思いつつ、読もうかどうか考えていて十数年たち、先日アマゾンでまた見かけたので、「そろそろ買ってやるか」と思い、買って読んだばかりなのだが、その本がすでに書棚に入っている。アマゾンの書籍ページで「最後にこの本を購入したのは・・・・」という表示が出なかったので、多分、ずっと前に古本屋で買ったのだろう。読んでも記憶に残る内容ではなかったので、読んだことすら忘れてしまったということだ。こういうのを、「記憶喪失による二重買い」という。こういうのは、もはや常態(デフォルトというのか)である。

 「怠惰による二重買い」というのもある。ある本を読みたいと思ったとする。すでに読んだことがあり、ウチのどこかにあることはわかっているが、探すのが面倒で、アマゾンしてしまうという例だ。もちろん、高い本は、そういうことはしない。送料込みで500円程度の本だ。

 二重買いはしないが、インターネットに頼るという例もある。

 1593話で、『タイ日辞典』の話を書いた。その時、この辞書の発行年を書いておきたかったのだが、記憶がはっきりしない。現物が書棚にあり、取り出せばすぐにわかるのだが、棚の前に本が積んであり、その山をどけるのが面倒くさくて、インターネットで検索した。

 (突然、部屋で「ドサッ!」という音がして振り向くと、本の山が崩れていた。『歩きながら考える』(鶴見良行)、『実物大の朝鮮報道50年』(前川惠司)、『台湾物語』(新井一二三)、『人類学者への道』(川田順造)、『くらべる東西』(おかべたか・山出高士)、『オリガ・モリソヴナの反語法』(米原万里)といった本を拾い上げ、形ばかりに山の整地をした)。

 さて、パソコンに戻って、文章の続きを。私にとって、インターネット書店というのは、ほぼ毎日接している存在なのだが、まったく縁なく暮らしている人がいるということを、つい最近実感した。ネットと無縁な人がいるということは、もちろん知っている。私自身スマホタブレットも持っていない。キンドルとも無縁だから、デジタルとの距離は遠いのだが、「それでもなあ」と思った。

 友人が、最近関心を持った分野の参考となる本を紹介してくれとメールが来た。私がよく知る分野なので、関連書を5冊紹介した。2週間ほどしてメールが来た。

 「でっかい本屋に行っても、5冊とも見つからないんだ。店員の話では、すでに絶版になっているというんだ」

 私には、ある本が現在新刊書店で売られているかどうかなどどうでもいいことだ。ある本が新刊書としてまだ流通していても、書店の棚にないことなどごく普通のことなので、実質的には新刊書も、「品切れ、再販未定」と同じことというのが、新刊書も古本も同じように扱っているネット書店をよく使っている私の認識なのだ。

古本屋歩きをしたことがない友人は、「本は新刊書店で買う、店になければ注文して買う」という習慣になっているので、私が紹介した本がすべて手に入らないことに少々怒りを感じたらしい。

 アマゾンの「マーケットプレイス」というのは、中古品を扱う部門で、書籍ならネット古書店ということになる。出品者は個人の場合も企業の場合もある。当初疑問だったのは、「売価1円」というもので、これでどうやって利益を得るのか謎だったが、ごく簡単に言えば、設定した「送料」よりも実際には安く送って、差額を利益にするという商法だ。取引数を高くするとか、ほかにも理由があるが、ここでは省略する。

 安い売価はわかったのだが、法外に高い値をつける業者の行為がわからない。古書なら、定価450円だった文庫に8000円だろうが5万円だろうが、好きな値段をつければいい。高ければ売れないだけだ。しかしわからないのが、出版後2か月しかたっていない2000円の新刊本に、「4800円」などという値をつける業者だ。現在、アマゾンで2000円で売っているというのに、同じ新刊本を4800円で売ろうとしている業者の意図がわからない。品切れになったら、高くても買う人がいるという思惑にしては、当たる確率が低すぎるように思う。アマゾンでの新刊書が「現在購入できません。入荷待ちです」という状況を待って、その値段が定価であるかのように誤解させて売る商法か? この謎をご存じの方の解説をお願いしたい。