1816話 アジア経済研究所の本とタイと砂糖

 

 アジア経済研究所(以下、アジ研)が発行した「アジアをみる眼」の「くらし」シリーズは、雑多なことを知りたい私にとっては名作シリーズで愛読している。以前紹介したことがあるが、改めて紹介しておく。このシリーズは、アジ研発行の雑誌「アジ研ニュース」の編集長大岩川嫩(おおいわかわ・ふたば)さんの企画と采配が結実したもので、彼女の退職とともにこの名物企画も終えた。雑誌の特集記事が、1986年から94年までに7冊の単行本になった。以下、そのラインアップを発行年順に紹介する。

『「はかり」と「くらし」』

『「こよみ」と「くらし」』

『「すまい」と「くらし」』

『「のりもの」と「くらし」』

『「たべものや」と「くらし」』

『「きもの」と「くらし」』

『「あそび」と「くらし」』

 これらの本はもともと一般書には置いてなかったから、神保町のアジア文庫やアジ研内の書店で買っていた。今は、ネット書店をていねいに当たれば、ときどき見つかる。なかなか手に入らないから、見つけたらすぐに買った方がいい。

 この「くらし」シリーズの最期の巻が94年に終えてから28年のち、「アジ研ワールド・トレンド」誌などの特集企画「世界珍食紀行」が、文春新書『世界珍食紀行』となって2022年に発売された。珍食というのは、日本人にとっては「ゲテモノ」だから、目新しい内容ではなく、一般受けを狙ったのだろう。以前のシリーズの書き手で記憶に残っている研究者重富真一氏が、今回は明治学院大学の教授となって登場している。タイを専門地域としてるから記憶に残っているのだ。この『世界珍食紀行』の重富氏の文章は内容的にはすでに知っていることだが、タイ料理に関する論文を書いていると知って、さっそく取り寄せた。

 『全集 世界の食料 世界の食材 22巻 食生活の表層と底流 東アジアの経験から』(農文協、1997年)のなかで、重富氏が「『タイ料理』の形成―伝統の変質と継承」を書いている。

 タイ料理とタイの食文化に関しては、私はすでに『タイの日常茶飯』(1995年)を出していて(重富論文も拙著に言及している)が、重富論文と私の本の違いは、私が「多分、こういうことだろう」とか「こういうことだと推測できる」といった想像を書いているのだが、重富論文では統計資料などによって論考して、結果的に前川の説明が「正しい」としている。

 その例をひとつだけあげておく。

 「タイ料理は辛い」と言われるが、実はかなり甘い料理もあり、それは昔からの味付けではないと私は思っている。砂糖もココナツミルクも、多用するようになったのは比較的最近のことだろうと想像で書いた。重富論文を読むと、1950年代まで、タイは砂糖の輸入国だったが、政府の砂糖生産奨励策により60年代からは輸出国になり、しだいにタイの家庭にも砂糖が入っていったという。1960年代の砂糖の消費量は、80年代に1.8倍にも増えている。どうやら、70年代あたりから、タイ料理が甘くなってきたことが各種資料によって証明されている。同じ時代に、ケーン(汁もの)にココナツミルクを多く入れるようになり、日本で「グリーンカレー」などと呼ばれる「タイカレー」が、日本人でも食べやすくなるほど甘くなったこともわかる。

 ココナツの果肉を削って絞るココナツミルクは、作るのに手間がかかるので日常の食事には使わないぜいたく品だった、それは、ココヤシのプランテーションや機械で果肉を削る行程の導入などで、ココナツミルクが市場で手軽に手に入るようになり、粉末にして輸出もされるようになった。

 ココナツミルクを入れないケーンは、塩辛く辛く、ほとんど日本人の舌とノドには受け入れられないが、ココナツミルクを入れた「ぜいたくなケーン」はまず中国系タイ人に受け入れられ、そして外国人にも喜ばれるマイルドなタイ料理になったというのが前川の仮説で、それが重富論文で証明されたというわけだ。

 なるほど、韓国と同じだという話は、次回。

『世界珍食紀行』に誤りと思われる記述があったので、資料のコピーをつけてアジ研気付けでそのエッセイを書いた著者(重富氏ではない、念のため)に送ったのだが、なしのつぶて。

 

 

 

1815話 雑話の日々 その6

 

性別

 「高校入試願書の性別欄、東京都が23年から削除 46道府県は既に廃止」というニュースが、毎日新聞に出ていた。全国の公立高校の願書の性別欄をなくしたということは、受験に性別など原則として関係ないということだろう。

 国立のお茶の水女子大学の願書には性別欄はないが、受験資格は「女子限定」となっている。LGBTQ問題が出てきて、お茶の水女子大独自の「女子とは」という規定を設けているが、そんな理屈をこねないで、「どういう性であれ、問題としない。受験資格は世界中のすべての人にある」という姿勢なら、なんの問題もない。就職の申請書にも性別欄がなくなりつつある時代に、女子校だけが「男子禁制」を金科玉条としていることに、女子大のジェンダー研究者たちはもちろん問題にしない。大学での既得権を守ろうとしているのだろうか。

 こういう差別問題を扱う場合よく誤解されるのは、国公立学校と私立学校の違いを無視している論議が多いことだ。「宝塚音楽学校は女子限定だ。それが間違いだというのか!」という主張。私立校ならば、その学校の方針で決めればいいが、公立学校の場合は明らかに差別だ。あるいは「女も土俵に上がりたければ、ふんどしをしめて来い」といった無知と冷やかしに起因する言いがかり。

 「差別じゃなくて、区別です」という論理も無理がある。「女子大に男は入学できないが、ほかに大学はいくらでもあるんだから、違反にはならない」という論理を展開する人がいるが、お茶の水女子大のA教授の授業をぜひ受けたいと思っても、性が理由で受験さえできないという事実を問題にしないのは、それほど魅力的な教授は女子大にはいないと理解すればいいのか。

わだかまり

 「韓国を旅行する女の子が増えています。彼女たちは、日韓関係のわだかまりなどなく、楽しんでいます」と、テレビのキャスターが言った。「無知を、『わだかまりのなさ』と誤解してはいけない」と、テレビに叫びたかった。

 1990年代のことだが、初めて韓国旅行をした大学生の感想。「韓国のお年寄りが勉強熱心なのに驚きました。日本語が話せるだけじゃなく、小説も読んでいるという話を聞いて、びっくりしました」。日本の老人が、カルチャーセンターなどに通って、フランス語やイタリア語の勉強をしているのと同じだと思ったようだ。韓国の老人たちがなぜ日本語がわかるのかを知らないのは、「わだかまりのなさ」ではない。

台湾

 寒くならないうちにと思い、神保町に行った。三省堂仮店舗はやはり狭く不満が多いので、東京堂で長い時間を過ごした。私が行ったとき、東京堂は「台湾書店」として、台湾書フェアーをやっていた。すでに知っている本が多い。「うん、いいな」と思う本がほとんどだが、1冊も買わなかった。1冊がたちまち10冊になってしまうとわかっているからだ。

 戦後の台湾関連本は、ながらく「ニッポン万歳本」だった。「日本人は台湾ですばらしいことをした」、「台湾人は日本人が大好き」といった本を、おっさんたちが読んで自己陶酔していた。台湾を旅行する人たちも、こういうおっさんたちだ。この時代を総称すれば「日本時代万歳派」といってもいい。

 21世紀に入った頃からか、台湾への旅行者に女が増えてきて、「台湾食べ歩き」、「台北買い物散歩」といった本が増えた。これを仮に「夜市(夜の屋台街)時代」と呼んでおこう。台湾は、おっさんたちでなくても、楽しい観光地ですよと紹介した。この時代はまだ続いているが、第3の時代は、台湾人が書いた本の翻訳だ。『台湾万葉集』(孤蓬万里、集英社、1994)は、台湾時代万歳派を刺激する名著ではあるが、日本時代とは関係なく、今の台湾を描いた本も多く翻訳出版されている。そして、ありがたいことに、日本人が書いたものでも、長年歩き、調べ、考えて書いた本が増えつつある。従来の台湾ファンの情報源は日本語世代だけだったが、時代的に今は中国語や台湾語を使わないと自由な取材が難しくなったからでもある。

 

 雑話の日々は、今回でおしまい。次の更新まで、ちょっとお休み。

 

 

 

1814話 雑話の日々 その5

 

宗教

 知人誘われて、イスラム教を解説する講演会に出席した。講演者は昔から知っている人で、いまではイスラム教の広報を生業にしている日本人だ。会はきっと荒れるなと思ったら、やはり荒れた。荒らしたのは、私だ。

 「イスラムは平和の宗教です。我々の挨拶は、『サラーム・アレイクム』というのですが、その意味は『平安があなたの上にありますように』です。いつも平安を願い、けっして争わないという宗教です」

 「イスラムはどんな民族にも、年齢や貧富の区別なく、すべての人を平等に扱います。差別はないのです」

 黙っていようかと思たのだが、思わず声をあげてしまった。

 「その『すべての人』のなかに、女は入っていないんですね。今、もっとも熱心に人殺しをしているのは、どういう宗教の人たちですか?」(ロシアのウクライナ侵略の前の会だった)。

 宗教の人は、自分が信じている宗教が絶対に正しいと信じている人で、こういう場は百戦錬磨、あーいえばこーいう詭弁の訓練を積んでいるから、「こうあってほしい」という理想の姿を解説するだけで、現実には触れないから、まったく説得力がない。

 マスコミは「敬虔」という語を、「立派な人」の意味で使いたがるが、敬虔なキリスト教徒がKKK(クール・クラックス・クラン)のメンバーで、黒人を殺すことが使命だと思っているなどといった例はいくらでもある。敬虔な○○教徒が「神の名において・・」という名目で犯した悪行がどれだけあるか。当然ながら、「敬虔なキリスト教徒」であるはずの神父たちが、世界各地で犯した性暴力の例もある。「敬虔」にだまされてはいけない。

空へ

 だいぶ前の雑誌の広告に、「不眠症で苦しむ椎名誠」という見出しを見つけた。それからちょっとたって、椎名誠のエッセイ集で、不眠症に加えて閉所恐怖症でもあると告白していた。その症状は過去のものか、現在まで続いているのかはわからない。エッセイには、こんなことが書いてあった。現物を見つけるのが大変だから、記憶で書く。

 ホテルで眠れない時間を過ごしていると、部屋の天井や壁が迫ってくるような気がして苦しくて、部屋のドアを開けてなんとか寝ようとすると、従業員がドアを閉めてしまうというものだ。

 新宿の仕事部屋での執筆が長引き、そのまま泊まっていくこともあった。仕事部屋で閉所恐怖症の症状がでても、部屋はマンションだからベランダに出れば、180度以上の展望で落ち着ける。ちょっとあとになって気がついたのは、あのとき、ベランダから空に飛んでいけばきっと楽しいだろうなと思ったことだ。のちにその夜のことを思い出し、「あれは、危なかった」。

 ベランダや非常階段の下で倒れていた有名人の報道がある。遺書はなく、事故か自殺か不明という記事だ。「真相は本人にしかわからない」と結ぶ記事があったが、本人にも真相はわからないこともありそうだ。

 

 

 

1813話 雑話の日々 その4

 

先行研究

 こんな研究をしている人はほかにいないだろうと思ったら、関連する論文がいくらでも見つかったというようなことを書いていたのは、ナマコの社会史研究に手をつけた鶴見良行だ。

 日本人の海外旅行史の研究をしていた時に気になっていたのは、「1964年に海外旅行が自由化された」ということは誰でも書いているが、「なぜ、そのときに?」という疑問に答えてくれる資料はなく、それが経済問題、国際問題なのだと気がつき、戦後日本経済史を読み、IMFが関係していることがわかった。簡単に言えば、戦後の弱小国日本が、経済発展して一人前の国家になったのだから、国民が外貨を自由に買えないといった制限をしていてはいけませんというIMF勧告を受け入れたということだ。そういう解説を『異国憧憬 戦後海外旅行外史』((JTB,2003)に書いた。経済の専門書ではなく、一般書でこういう解説をしたのは私が初めてだろうとうぬぼれていた。

 ところが、だ。関川夏央さんの10代20代の行動や思考が知りたくて、『昭和時代回想』(集英社文庫、2002年)を読んだ。雑誌に書いた文章を集めた本で、そのなかの「ああ、卒業旅行」というエッセイに、海外旅行自由化の行程を書いている。初出は「翻訳の世界」(1991年5,6,7月号)だというから、私が海外旅行自由化の過程に興味を持つ以前に、関川さんは調べて書いていたのだ。エッセイだから、どういう資料で調べたのか書いていないが、私のうぬぼれは完全にすっ飛んだ。

 NHKの人体研究番組「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ」の「“塩” 進化を導いた魔術師」」を見ていたら、出演した研究者が、「人類は、塩、つまり塩化ナトリウムがないと生きていけない存在です」と言った。すぐさま、テレビの前で「違うね」とつぶやいた。アフリカやニューギニアや南米などに、塩なしで生きている人がいることはすでに知っている。この機会だから、『パプアニューギニアの食生活』(鈴木継美、中公新書、1991年)を注文した。この本のサブタイトルは、「『塩なし文化』の変容」だ。いままで塩なしで生きてきた人たちが、塩を口にするようになったという研究書だ。彼らは塩化ナトリウムは使っていないが、灰を加工した塩化カリウムを使ってきたというのが、真相だ。

大阪

 「地球の歩き方」は日本国内にも手を伸ばしているが、『東京』、『東京多摩地区』、『北海道』、『京都』、『沖縄』、そして『日本』が出ているが、散歩をすればあんなに面白い街はないと思う大阪が無視されている。JTBの図鑑式ガイド「ニッポンを解剖する」シリーズも、『東京』、『名古屋』、『金沢』、『北海道』、『京都』、『沖縄』はあるが、『大阪』はない。神社仏閣、名所旧跡、絶景名物の少ない大阪は、自分で歩いておもしろさを探す旅にはうってつけなのだ。大手のガイドブックは、何もしなくても「見どころ」がある場所しか扱わないのですよ。

 

 

1812話 雑話の日々 その4

 

続美人

 たまたまある会で知り合いが集まったので、会の後、いっしょに食事をすることになった。いずれも出版関係の人たちだ。テーブルを囲んでアジア料理を食べた。食事が進むなか、ライターが編集者に言った。

 「あなたの会社、考えてみればみんな美人よね」

 そこは社長ひとり、社員一人の出版社で、食事をしている者はみな歴代の編集者を知っている。

 「そうだね、みんな美人だった」

 私はいたずら心が沸き上がり、言った。

 「あそこは、美人が採用条件なんだよ。容姿端麗が第一条件だから・・」と、私。

すかさず、「失礼な!」と、笑いながら当の編集者。彼女は大手出版社の編集者だったが、結婚を機に退職した。だから、編集の能力を買われて、この小さな出版社に採用されたことも、みな知っている。私の発言が冗談だということもわかっている。だから、私はもう一度突っ込んでみた。

 「美人だから採用したという説、ホントに、失礼だと思う?」

 彼女は、「う~ん」とうなりながら目が笑っている。彼女がちょっと自慢にしているのは、アメリカのレストランでビールを注文したら、「未成年に酒は売れない」と言われたことで、パスポートを見せて20歳どころか30歳も超えていると証明したというエピソードだ。

 

 2回目の東京オリンピック前だったからか、ふたりの元スポーツ選手が、別の番組なのだが、同じ話をしていた。

 「美人アスリートだって持ち上げられることが多かったけど、容姿に実力が追いついていかないので、苦しかったです」

 「でもね」と思った。例えオリンピックでメダルを取った選手でも、名も顔も忘れ去られた選手はいくらでもいるが、予選敗退でも「美人アスリート」とマスコミに認定された人だと、「モデル」とか「スポーツ・コメンテーター」などという名目で仕事が来るというのが現実なんだよ。マスコミと広告代理店とスポーツ団体は、「絵になる」選手を探しているだけだから。

 

 「あたしさあ、演技力はないし、おもしろいことはなにも言えないし、ただ『美人タレント』というだけでこの芸能界を生きてきたから、いいのはこの顔だけで・・・」と言ったのは、久本雅美。じつは、20代の彼女の写真を見たことがあるが、意外にかわいい。

 彼女が所属するワハハ本舗のHPを見ていたら、所属タレントにアジャコングと映画監督ヤン・ヨンヒもいることを知った。

 

 

1811話 雑話の日々 その3

 

美人3話

 それぞれ別の機会に書いたことがある話題だが、この際まとめて紹介する。

 残念ながら、昔から美人とは縁がない。電車で会う程度の美人を見かけることはあっても、思わず立ち止まるとか、2度見するというほどの美人にはなかなか出会わない日常を送っている。芸能人にインタビューするといった仕事もしたことがない。

 九州取材をしていたある夏の日、長崎から船やバスや鉄道を使い熊本まで来た。早朝天草を出たのだが、熊本のホテルに着いたのは、遅い午後だった。まずはシャワーを浴びて、夕飯だ。日中動き回っていたので、昼飯もロクに食べていない。初めての熊本だから、地理に疎く、ホテルのカウンターで「繁華街は、上通(かみとおり)と下通(しもとおり)です」という情報を得て、すきっ腹を抱えて、教えてもらった方向に歩き出した。

 広い歩道の向こうから、美人がひとり歩いてくるのがわかった。ほかに、人はいない。「芸能人? いや、知らない顔だな」と思いつつ、彼女との距離が縮まり、すれ違う寸前に気がついた。「お天気お姉さんだ!」。ホテルでシャワーを浴び、テレビを見ながら髪と体をふいているときに、テレビを見ていた。ワイドショーだ。その番組に出ていたお天気お姉さんが、30分もただずにそのままの姿で目の前を歩いている熊本。

 

 ロサンゼルスのリトル・トーキョーの歩道を歩いている日本人らしき男女ふたり。男はスーツ姿、女は・・・見覚えがある・・・。芸能人ではない。ちょっと知っている人によく似ているが、話したこともない。こんなところにいるような人じゃないから、声はかけなかった。

 小さな出版社。部屋には編集者やカメラマンやライターやデザイナーたち、いわば世間から落ちこぼれたヤカラたちが、大声や小声で打ち合わせや議論やバカ話をしている。ひとり、冷めたコーヒーを飲んでいる者もいるなか、部屋の隅で「わたくし、渋谷のOLでございます」というファッションで経理の仕事をしている人がいた。ファッションをまったく知らない私にも、その出版社の安月給では買えそうにない高そうな服に見えたから、「社長のお手付きかも」という推測していた美人がいた。その人によく似た人を、ロサンゼルスで見かけたのだ。

 帰国してしばらくのち、その出版社の人に会ったので、リトル・トーキョーの1件を話すと、「そう、たぶん彼女だよ」と言った。

 「夏休みに、ロスにいる彼に会いに行くと言って出かけて、退職届を郵送してきやがった。経理の仕事、全部やりっぱなしでさあ、えらい目にあったよ」。

 

 タイ関連の会でちょっと話をすることになり、出かけた。1990年代の話だ。その会の受付をやっていた人が、いままで出会ったなかでもっとも美人だと思える人だった。だから、少々緊張しながら、「初めまして、前川と申します。今日はよろしくお願いします」と型どおりの挨拶をした。

 講演のあと、懇親会があり、うれしいことに、あの受付の美女が私に話しかけてきた。「さきほど、『初めまして』とおしゃいましたが、以前お会いしたことがあるんですよ。」と、驚くことを言った。

 「いっしょに写真を撮っていただいたんですが、当然覚えていらっしゃらないですね。ご記憶にないようですが、チャンマイでお会いしたんです」というのだが、まったく覚えていない。こんな美人に出会っていながら覚えていないということは、どういうことだと自問自答した。夜の暗いレストランかどこかで、彼女は帽子を深くかぶってすっぴんだったとか、気がつかなかった理由をいろいろ考えるのだが、旅先で話しかけられることなどめったにない私が、「いったいどーしたわけだ!」と、まだ30代の私をしかりたかった。

 私は人の顔をなかなか覚えられない。画像認識力が欠如しているのだろうか。

 

1810話 雑話の日々 その2

 

書店にて

 今年2度目の神保町散歩をしたときのこと。その前に用があったので、神保町に着いたのが午後のかなり遅い時間だったので、のんびり散歩する時間はなかった。水道橋駅から靖国通りに南下する通りの古本屋は、ほとんどシャッターが下りていたり飲食店などに変わっている。その原因は、本が売れないということと後継者不足ということらしい。

 古本屋の店頭ワゴンに、ある国の滞在記を見つけた。その本のことは知らないし著者も知らない。出版されたばかりの定価2000円の本に「500円」のラベルをつけているから、安いことは安い。ページをパラパラめくると、「オレが読む本じゃないな」という気がした。偏見だとか性差別主義者だと批判されるかもしれないが、長年の経験から、女が書いた旅行モノはあまり触手が動かないとわかっている。著者と好みが合わないのだ。「ここのアイスクリームがとってもおいしい」とか「この店の雑貨がかわいい」といった文章がついているイラスト本には用がない。

 神保町をひととおり歩いて帰路、その古本屋の前をまた通りかかり、またワゴンの本が気にかかり、再び手に取って、「うん、買っても、読まないな」と最終判断を下した。帰宅して、ネットであの本や著者のことを調べた。アマゾンの評は、いかにも私が書きそうな批判で、「やっぱりな」と納得した。私が危惧したことがちゃんと書いてある。アマゾンの評は説得力がない文章が少なくないのだが、その評は納得できた。

 だいぶ前から、アマゾンの「ほしい物リスト」に入っていた『世界の台所探検-料理から暮らしと社会が見える』(岡根谷実里、青幻舎、2020)を古書店で見つけた。この本をアマゾンで見つけてもすぐに買わなかったのは、世界の台所に興味はあるが、やはり「女の本を信用してもいいのか?」という疑念があったからだ。誤解のないようにあえて言うが、女が書いた本がすべてダメで、男が書いた本はすべていいと言っているのではない。台所の本でも、『台所から見た世界の住まい』(宮崎玲子、彰国社、1996)のような本があり、「満点!」とまではいかないが、「買っておこう」という程度の評価はあり、実際に買った。さて、『世界の台所探検』だが、この本を「台所の本」だと思ったのは私の誤解だった。要するに各地の台所で作っている料理のレシピ集ということで、台所そのものに対する調査や解説はない。誤解した私が悪いのであって、レシピ本を書いた著者に責任はない、か?

音楽の新聞広告

 新聞を開いたら全面広告に「小田和正 CD 10枚セット」という文字が見えた。説明を読むと、小田和正が作曲した曲を集めた演奏物だというのだが、小田の歌なしで、CD10枚セット? 誰が買うんじゃ!

 やはり新聞の広告で、「いつでもどこでも極上のクラシックあなただけの名曲玉手箱」。100曲がCD何枚組なのか書いてないので説明を読むが、CDはない。カセットテープでもない。なんとSDカードでの販売なのだ。SDカードだと再生できない老人も多いので、再生機とセットの販売だ。立方体のスピーカー付き再生機もつけて、19800円だそうだ。ふーん。

 「ジェットストリーム100曲」と新聞の折り込み広告にあった。こちらはCDでもSDカードでもなく、再生機に内蔵した音源だ。CD再生機とラジオなどがついて約5万円だそうだ。

 ラジオ番組での会話。50代の芸人が30代のタレントに、「初めて買ったCDは?」と聞くと、「アタシ、CDって買ったことがないんです」。その話をそばで聞いていた新人アナウンサー、「アタシ、CDって見たことないんです」。

 このおっさん(私のこと)は、SPレコード、LPレコード、ドーナッツ盤、EP盤、ソノシート、オープンリール・テープ、カセット・テープ、それにMDだって知っている。携帯用MDプレーヤーだって持っていたのだよと言っても、同世代の人しかわからないだろうなあ。DAT(Digital Audio Tape )は知っているが、買ったことはない。