1809話 雑話の日々 その1

 

無能なデザイナーをクビにしたい。

 デザイナー、特にインダストリアル・デザイナーに殺意を抱くことがある。例えば、こういうときだ。

 店でシャンプーを選ぶ。まったく同じ容器に入っているふたつ。ラベルデザインもまったく同じで、これはどう違うのかとよく見ると、タテヨコ2ミリもない極細の文字で、「シャンプー」と「コンディショナー」と印刷してある。その文字以外、デザインはまったく同じなのだ。「できるだけわかりにくくする」というのが、デザイナーの意図だと思われる。

 風呂場ではメガネを外している。近視、乱視、老眼、弱視など、視力に問題のあるすべての人をあざ笑うかのようなデザインなのだ。一部には、シャンプーとコンディショナーの違いが触ってわかるように。ふたの部分にデコボコをつけているという新聞記事を読んだことがあるが、全体的にいうとデザイナーどもが「かっこいい」とするデザインが重要で、消費者の使いやすさなど考えていない。「文字は、細く、小さく、余白を多く」というのが、もう何年も前からの流行のようだ。デザイナー側の「かっこいい!」に、営業側が負けたのだ。

 ウチの風呂釜が壊れたので取り替えたら、同じメーカーの製品なのにコントロールパネルも取り替えることになってしまった。パネルの大きさは同じなのだが、文字が小さくなって余白が多くなった。文字は以前よりずっと細くなり、スイッチの配置も変わったので、文字を見ないと操作できないのだが、パネルに顔を近づけないと読めない。あまりにひどいので、メーカーに電話したら、太文字で印刷したシールを送ってきた。これをボタンに貼れということらしい。これが風呂のリモコン。「大きなボタンとシンプルな画面」の真実は「大きなボタンと読めないほど小さな文字と無駄な余白」。

 数年前に買ったビクターのステレオの文字も、虫眼鏡を使わない読めないほど小さい。「老眼になったからだろう」と言う人がいるだろう。たしかに、老眼だ。しかし、昔は文字がこれほど小さくなかった。これが、ビクター・ケンウッド製品。デジタル画面に、もっと小さな文字が現れるが、読めない。

 消費者向けの製品を作っているすべての会社は、デザイン副部長を定年退職者にしろ。あるいは、弱視の人を採用しなさいと言いたい。デザイナーの思い上がりを許してはいけない。「ハズキルーペを買え」という問題ではない。

 考えてみれば、「字が小さい」と思ったのは、最近のことではない。平凡出版や集英社の若者雑誌が出てきたとき、つまり、ananやnonnoやpopeyeが出てきたときに気がついたのは、小さい写真が多く、その写真に極小の文字で説明が入る。紹介している店の住所や電話番号などがぎっしり詰まっているのが、デザイナーたちの「かっこいい」なのだろうが、当時20代の私は、「かっこいい」とはまったく思わなかった。

 外国を扱った雑誌記事で、空白部分に飾りの外国語を入れたものがあり、ハングルやタイ文字が上下逆だった例もある。外国語は、飾りなのだ。これが、デザイナーの浅はかさ。

 文字の問題ではなく、写真の色もずっと気になっている。例えば、たまたま見つけた観光サイトらしいTHE GATEに載っている写真の人工的な色を気持ち悪いと思うのだが、ネット上の観光写真の多くが赤や青が強調されていて、気味が悪い。

 あるいは、このサイトに出てくるシンガポールの写真の不自然さや奇妙さが気になる。この手の写真が非常に多いということは、加工されたこういう写真が「美しい」と思う人が増えたということなのだろうが、私は1950年代の「総天然色」時代の配色の悪さを感じて、落ち着いていられない。

 以前、クラマエ師からタイ旅行を扱った雑誌をもらったことがある。「記事がつまらないだけでなく、写真も汚い」と言ったら、デザインのプロは、「何を言っているんですか、これはすごい技術なんですよ!」と私の無知を指摘したが、私にはただの「写真を汚く加工した、汚い誌面」にしか思えなかった。小さい文字にしても、私が時代遅れなのだろうが、「時代遅れで悪いか!」と居直りたい気分ではある。弱視者にも見やすいデザインを、デザイナーは「時代遅れだよ!」とバカにするのか。

 

 

1808話 若者に好かれなくてもいい 追加編

 

 「若者に好かれなくてもいい」という連載は前回で終わる予定だったが、大学教授が書いたでたらめ本について書いたことを思い出した。アジア雑語林の「検索」欄で調べても出てこないので、「あれっ?」と思い調べると、以前、アジア文庫発行の小冊子に書いたのだが、このデジタル版には加えてなかったのだ。

 今回、その話を改めて書く。「大学教授と校正」という話だ。

 世界の辛い食べ物を追った『からいはうまい』(椎名誠)が小学館から単行本として発売されたのは、2001年だった。辛い食べ物ルポとしておもしろい内容なのだが、巻末の付録がひどい。小泉武夫東京農業大学教授(当時)による「辛味食文化初級入門編」だ。これは、「基調講演」と「質疑応答」が載っているのだが、講演者と質問に答えた教授は、同一人物とは思えないのだ。

 基調講演では、「僕ら食味学では辛味だけは味覚とはいわないんです。痛覚というんです」と語っている。これは正しい。甘味、塩味、苦味、酸味、うま味は味覚だが、辛味は味ではなく刺激だ。

 ところが、この教授は質疑応答では、こんなことを話し出す。

 「辛味はうま味の一つですから。辛味は味覚の一つであって・・・」。おいおい、講演と真逆のことをしゃべているじゃないか。以下、この教授の珍説をいくつか書き出してみよう。

 「小さい時から辛味を主食に取り入れている人たちにとって辛味がないとだめなんです」→辛い主食って、どんなもの?

 「ミャンマーはとても暑い。インドより暑い。だから、辛いものがないとやっていけない」どうやって気温比較をしたのかということ以前に、より暑い気候に住む人はより辛い物を好むと言えるのか? 朝鮮半島は灼熱地獄か?

 「香りをもった穏やかな辛さ」に入るグループには、「ニンニク、コリアンダー、タイム、カルダモン、コショウなど」としているが、みな同じ仲間にしていいの?

 「よくトウガラシは種ばかり辛いといわれますが、結局、葉っぱだって茎だってからいんです。(中略)種にすごく辛い遺伝子が組み込まれています」→教授はトウガラシの葉を食べたことがないらしい。葉トウガラシの佃煮が少々辛いとすれば、トウガラシを入れているからだ。トウガラシのもっとも辛い部分は、種がついているワタの部分だということはどんな資料にでも出ていることだ。種にすごく辛い遺伝子があるので、すごく辛いの? 遺伝子が辛いのか?

 「日本に辛いものがそんなに受けいれられなかったのは、醤油があったからかもしれません」などと言いだすから、受講生である編集者に「四川料理は?」と質問された。当然、四川に醤油がありトウガラシもよく使う。この質問に対する小泉教授の回答は、回答にならないシドロモドロ。朝鮮半島だって、醤油を使うのだから、もうめちゃくちゃだ。

 いずれこの単行本は文庫に入るだろうが、教授の支離滅裂講義を「へー、そうですか」と聞いている椎名さんはじめ関係者も恥をかくから、文庫での採録は要注意ですと、正誤表と共に小学館の担当編集者宛に郵送した。担当編集者の名前がこの本に載っているから、私の正誤表は直接目に触れたと思うが、2004年に出た小学館文庫は単行本に何の手も加わっていなかった。私の正誤表は黙殺され、教授のでたらめ講義はより広まった。「あの教授はインチキだ」という事実は広まった方がいいが、椎名さんの本が粗悪品になってしまうのを避けたかったのだが・・・。

 考えてみれば、単行本の校閲をきちんとやっていれば、私の正誤表のようなものはできていたはずだし、単行本と文庫の編集者がきちんと校正すれば、もう少しマシになったと思うのだが。

 

 これで、本当にこの話題の最終回とする。

 

 

1807話 若者に好かれなくてもいい その7

 

 説教とは違うが、助言、英語ならアドバイスか。注意、指摘など善意によるものでも、受け手には「粗さがし」「重箱の隅をつつく」「バカにして・・・」「偉そうに・・」「上から目線で・・」などと受け取る人がいる。

 知り合いの大学教授が書いた本を読んでいたら、とんでもない間違いが何か所かあり、メールで正誤表のようなものを送った。すぐさま怒りの返信がきた。大学教授が書いた専門分野の本に関して、コック上がりの素人が言いがかりをつけやがって・・・という感情なのだろうが、私の指摘が当たっていることは認めざるを得ないようで、だから屁理屈ばかりの居直りの返信だった。

 私がメールを送らなければ、人間関係に波風は立たないが、でたらめを書いている本は訂正されることなく世間の目に触れる。その方がよかったのか。

 知り合いの教授たちに、他人が書いた論文の間違いを指摘することはあるのかと聞いたことがある。考え方の違いではなく、明らかな事実誤認とか、「引用している文献にその1節はない。別の文献じゃないのか」とか、人名地名書名などの誤記などは、「よほど親しい研究者なら指摘することはあるが、たいていは黙っているね」ということだった。その意見がどれほど普遍的かは知らないが、「黙殺」が常識らしい。雑誌などで書評する場合は、ほめるのが原則だから、問題のある論文の批評はそもそも引き受けないが、義理で引き受けた場合は、波風立たない「大人の文章」を書くのだろう。批判は、「ウチウチではよく言うよ、『あれはひどいよ』などと仲間内で笑ったりするよ。だけど表だってはほとんほしない」と知り合いの学者たちはいう。学者の世界は狭い業界なので、研究者それぞれに先輩後輩とか、師匠筋とか、今後の就職の伝手など複雑な人間関係がある。部外者の私のように、平気で何でも書くという狼藉は犯されないのだ。

 このブログのような文章は印刷物と違って、編集者に読まれることなく公開される。だから、キーボードのミスタッチのほか、誤字脱字誤りが多いのだが、幸い私のブログの場合は、校正してくださる読者がいる。なかでもプロの編集者であるクラマエ師には毎度お世話になっている。私は数字に無頓着で、ブログの通算話数をよく間違えた。例えば1578話の次が1758話になっていたりする。編集者は文章の誤りを見つけるプロだから、指摘してもらえるのはありがたいことだ。私は自分の文章に絶対的な自信などないし、失うことを恐れる権威も威厳も地位もないから、校正してもらって怒るということはもちろんない。

 蔵前さんに校正してもらった語の記憶は数多くある。よく覚えているのは、このブログである人物を「享年54歳」と書いたら、「享年には歳はつけません。享年54です」とメールにあった。あれ、歳がついている文章を読んだことがあるがなあと『広辞苑』を調べると、「歳」がついている。いろいろ調べてみると、享年は数えの年齢で書き、満年齢の時は行年(ぎょうねん、こうねん)を使うという解説があり、だから満年齢には「歳」はつけないのかと思っていたら、別の解説もある。昔から享年に「歳」をつけていた例もあるとか、解説もいろいろある。つまり、正解は「いろいろな説がある」ということらしい。

 誤解のないように書いておくが、「蔵前さんが間違った指摘をした」と言いたいのではまったくない。指摘をしてくれたおかげでいろいろ調べる結果になり、少し物知りになったと感謝しているのだ。ブログを書いている人は皆同じだろうが、読んでくれる人がいるというだけでもうれしい(驚いたぜ、うれしいが「売れしい」と変換された! 逐語変換でもこうだと書こうとして、「筑後返還」だ。大丈夫か、このワード))のだ。ましてや、コメントをくれる人は、なおさらありがたい。見当違いの匿名コメントもあるけどね。

 今回で最終回にしようと思ったが、もう1話書くことにした。次回もお楽しみに。

 

1806話 若者に好かれなくてもいい その6

 

 不注意な旅行者は、若者に限った話ではないし、旅の経験が乏しい人に限った話でもない。

 芦原伸という旅行作家がいる。私の趣味嗜好と方向が違うので、この人の文章をほとんど読んだことがないのだが、戦後の旅行史や旅行マスコミの資料として、自伝『旅は終わらない』(毎日新聞出版、2022)を読んだ。この本に不注意な旅行者が登場する。

 芦原は1946年生まれ。大学卒業後すぐから、ガイドブック、とくに鉄道旅行のガイドを数多く書いている。2009年、「週刊朝日」の連載で、イタリアから鉄道で東欧、中近東、中央アジア、中国とすべて鉄道を使って旅をして、日本に戻るという旅を企画した。

 出発地のローマで、スリにやられた。次の文を読んで、「自業自得」と本に記入してしまった。

 「駅前で信号待ちをしていた瞬間に後ろポケットから財布を抜き取られた」

 現金200ドルほどに、クレジットカードが盗まれたという。

 日本国内でも、長財布を尻ポケットに刺している男を見ると、「すられないと、みっともない格好だと気がつかないんだろうな」と思うから、すられても同情の余地はまったくない。いわんや、外国でも同じ格好で歩いている日本人がいるんだよ。ローマの芦原伸の場合は長い財布か二つ折りの財布かはわからないが、後ろ姿でポケットに財布が入っているとわかる格好でローマを歩いていたのが、一般的に言えば「旅行のプロ」という言われるような老練旅行ライターだ。

 すられた当人は、事件の原因はふたつあると分析している。

 そのひとつは、他人のせいだ。「当時ローマには中南米諸国からのプロのスリが横行しており、観光客の被害が続出していた。とりわけペルーからのスリは、天才的、芸術的である、と巷で話題になっていた矢先のことである」。スリの技術をほめてどうする。

 もうひとつの理由は、自分にも問題があるとしている。

 「日本人同士で旅行していると、その空間だけが日本語圏のいわば“日本人村”になってしまう。外国にいる現実を瞬間忘れてしまうのである。(中略)安全ボケしている日本人は恰好の標的になる、といわれるが、私はまんまとカモになってしまった」

 同行カメラマンと話をしながら歩いていた自分も、安全基準が日本水準のままだったという意味だ。この分析は正しいが、そもそもの原因は、尻ポケットに財布を入れていたことだと芦原氏は気がついただろうか。もし、ローマで日本人の誰かが、「尻ポケットに財布を入れると危ないですよ」と芦原氏に注意したら、「俺を誰だと思っているんだ。取材旅行50年だぞ」というだろうか。

 ブルガリアの首都ソフィアでは、カメラバッグに入れていた財布を危うくすられそうになったという。財布を尻ポケットからショルダーバッグに移したのか、あるいはふたつの財布を持っていたのかわからないが、バッグに入れておいたら安心と思ってはいけない。万が一、バッグに手を入れられても、貴重品は簡単には盗られないようにするという工夫が必要だ。

 偉そうなことを書いているが、私もカイロでスリにやられたことがある。20代のときだ。その時の体験談で原稿料を稼ぐという「ライターは転んでもタダでは起きない」という処世術を実践したことがある。カイロ事件以後、スリには気を付けているが、街を歩いていると背後からくっつくように歩いている怪しいヤカラに気がついたことが何度もある。2人か3人で近寄り、ひとりが私のバッグに手を伸ばすと、もう一人がその背後に立ち犯行が見えないようにするという連携プレイだ。いつもひとり旅だと、全身に神経が張り付いているから、背後の気配に気がついたのだ。

 そういえば、スリの犯行の瞬間をニューヨークで見たことがある。私の隣りを歩いている若い男が、前を歩く女性のショルダーバッグに手を伸ばしているのが見えて、犯人の手首をつかんだことがある。

 そういえば、思い出した。チェコプラハの路上で、「バッグのジッパーがあいてますよ」というジェスチャーで、おばちゃんから注意をうけたことがある。路面電車を撮影しようとバッグからカメラを取り出しアングルを探っているときだった。カメラは手にしているから、バッグに貴重品はないし、周りに人がいないことも確認しての行動だが、注意してくれる人がいるのはありがたいことだ。

 

 

1805話 若者に好かれなくてもいい その5

 

 高田純次が、若者に嫌われないようにする注意点としてあげた「説教をしない」ということも、「説教」の内容や、受け手の意識の問題があるように思う。

 「怒られる」と「しかられる」は、違う。怒りを表に出したのが「怒る」だが、「しかる」は注意であったり指導であったり、小言であったりする。その昔、親父にしかられて、「うるせーな!」と思ったバカ息子も、親の年齢になると、「あの時は、ありがたかった」となるかもしれない。そういう違いがある。注意やアドバイスや教示などもすべて「うるせー説教だ」と感じるかどうかは、受け手の感情と思慮による。

 旅行を例にしてみる。地球のあちこちを気ままに旅行している若者が、ある国で父親くらいの年齢の企業駐在員とたまたま出会ったとする。駐在員は、「いつまでもフラフラしているんじゃない。ちゃんとした仕事を探してまともに働きなさい。人生を甘く見ちゃいけない」などと言えば、若者は「うるせー説教だな」と感じるだろう。私が20代の若者なら、同じように感じるだろう。

 その国で、若き旅行者は盗難事件に会い、全財産を失ったとする。あるいは重病で宿から動けない状態だったとする。駐在員が別れ際に「何か困ったことがあったら、連絡しなさい」といって渡された名刺の電話番号に電話して、若者は「助けてください」と電話するかもしれない。駐在員が若き旅行者に「もの言えば唇寒し・・・」と無言のままなら、人間関係に波風は立たない。若き旅行者に煙たがられない。その方が楽だが、その方がいいのか。順風満帆の旅ならば、「風に吹かれるように自由気ままに・・」と思っていても、何かの災難に合えば、「うるせー説教しやがって」と思っていた「正しく生きている」親や友人知人に頼ることになる。「自由気ままに生きる」とはいっても、困難に出会うと、毎日地道に働いている人に助けてもらわないとどうにもならないことがある。ライターなどという、この世になくても何の問題もない仕事で生きてきた者は、コツコツ毎日きちんと働いている人たちが作り上げた世の中の、「お余り」で生存していることを自覚しているのだ。

 旅行をしていると、この男にはひとこと言ってやった方がいいかなと思うようなことがある。不注意きまわりない旅行者は確実にいる。日本人何人かといっしょに日本国内にいるのと同じ気分で旅していて、緊張感がない。例えば、駅や食堂で、荷物を置いたままそろってトイレに行ってしまう。支払いは、胸ポケットに入れている現金の束を取り出している。ズボンの尻ポケットに長財布を刺している。店を出て、お釣りの札を歩きながら路上で数える。シャツの胸ポケットに入れているパスポートが透けて見える。しゃがんだら、ポケットからパスポートが落ちるかもしれない。

 そういう旅行者を見かけると、「ちょっと」と声をかけようかと思うこともあるが、実際には「困るのはアンタだ」と冷たく突き放している。注意を口にしたことはない。だから、「説教かよ」と居直られることもない。上に挙げた例は、「たとえ話だろう」と思う人がいるかもしれないが、いずれも私が実際に見た光景だ。

 この話、長くなりそうなので、次回に続く。

 

 

1804話 若者に好かれなくてもいい その4

 

 旅と数字の話の続きを書きたい。

 旅行関係の記事をネットで探していたら、天下のクラマエ師こと蔵前仁一さんへのインタビュー記事がヒットした。2020年のインタビューで、その最初の質問が「今まで何か国くらいを回ってらっしゃいますか?」だ。こういう質問をしたがる人が少なからずいるんだよなあ。

 さすが師は軽くいなしているが、旅行者の質を訪問国数で判断しようとする人は多く、同時に「どうだ! すごいだろ!!!」と自慢したい人が自分から真っ先に数字を口にするという例もたびたび耳や目にしている。

 テレビ番組の出演した「地球の歩き方」編集者の場合は、字幕でこれまでの訪問国数が紹介された。ライターの歩りえこの場合は、テレビ出演冒頭で自己紹介として、94だったか95だったかの国に行ったといった。つい先日放送したNHKの番組に、楽園写真家三好和義が出演した。アナウンサーの最初の質問が、「いままで何カ国くらい旅行したんですか?」。これだよ。

 『地球の歩き方 世界の地元メシ図鑑』に寄稿したエッセイで、作家岡崎大五はこう書き出している。

 「僕が世界を旅するようになったのは、1985年からである。以来、85ヵ国を旅してきたが・・・」

 85カ国だから、信頼のおける内容だと言いたいのだろうが、そうかな?

 旅の数値、あるいは数字は、その内容を表していないと昔から思っているが、マニアの数字はちょっと違うように思う。例えば、「全国のラーメン店500店行脚」というラーメンマニアなら、それぞれの店のラーメンの写真を含めた情報を集め、整理して保存しているだろう。一方、旅を数字で表現したがる人達は、それまで旅したそれぞれの国や都市について、予習・旅行・復習の記録が残っているだろうか。ただ「ラーメン、食った」というだけのラーメン好きと、食べたラーメンについて克明に調べたマニアは質が違うように、訪問国数を増やすことが目的の旅行者が、旅先の深い話ができるとは限らない。こういう話は、「旅を書いたり語ったりする職業側の人」に対する批判であって、それ以外の人ならスタンプ・ラリーのごとき海外旅行だろうが、「どうぞ、お好きに」というだけのことだ。

 深田久弥が『日本百名山』を書いたのは1964年で、それ以後「百名山」がブームになり、1994年にNHKで映像化されると、そのブームはより大きなものになった。山に登ることを楽しむのではなく、「百」登山の完了が目的になった人が少なくないらしい。深田が、『私の好きな山』という本を書いていればこれほどのブームにはならなかっただろうが、「百」という数字を征服することに熱意を燃やした人がかなりいたようだ。「四国八十八箇所巡礼」みたいなものだ。まあ、それも、「お好きに」だ。

 だから、「お気の毒さま」と言いたくなるのは、世界遺産に番号がついていないことだ。ただ漠然と、「世界遺産80カ所制覇」などと言うしかない。

 旅は他人に自慢するためにやっているわけじゃないと、私は思っている。だから、興味のない国だが、訪問国数を増やすために出かけるということなどもちろんしない。知り合いの誰かが、「イースター島北朝鮮に行った」とか「南極に行った」とか「アマゾン川を下った」とかいう話を聞いても、「オレは行っていないのに、くやしい!」などと思うこともない。

 しかし、少なからず、旅自慢をしたがる人はいるようだ。「110カ国訪問」、「イタリア渡航55回」、「世界一周」、「インドに2年」などなど。1980年代あたりまでだと、文化勲章などをめざしている人物が、宣伝のために出したと思われる自伝に、「海外渡航回数22回」などと書いてあるものが多数あったが、その後自由にいつでも海外旅行に行けるようになると、「赤ん坊の時から、毎年夏と正月は家族でハワイに行くことにしていて・・」という子供が出現すると、「渡航回数自慢」は効力を失った。

 

 

1803話 若者に好かれなくてもいい その3 

 

 タイでは、タバコの持ち込みは200本までは許されるが、それを超えるととんでもないことになるそうだ。その例のひとつがこれ電子タバコの持ち込みは禁止で、もちろん所持も禁止。違反した場合は、最高懲役10年。しかし、マリファナは所持も販売も自由。露店もある。マリファナが国内持ち込み禁止となっているのは、「国産品を愛用せよ」ということか? タイは、ますますわからない国になっている。もっとも、警察も軍も政治家も、麻薬で荒稼ぎしていた国で、「今は、軍はそういう商売はしていないようですよ」と事情通はいうが、個人的活動はわからない。マリファナ500㎏を輸出して逮捕された国会議員がいたが、裁判になったかどうかは知らない。

 それは、さておき。

 自慢話とねたみは紙一重だ。誰がどう受け取るかというだけの違いでしかない。例えば、ある人が、「フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートに行ったんだけどさあ・・・」と話し出しても、私はまるで興味のない場所だから、お付き合いで、せいぜい「楽しかった?」と聞くだけだが、「なにがフロリダだ。こっちは浦安だってなかなか行けないのに、自慢しやがって」と腹立たしく感じる人もいるだろう。

 「オレ、5年前に世界一周してさあ・・」と、自慢げに話している男がいたとする。その移動ルートを聞いて、「なんだ、アフリカに行かないで『世界一周』?」というくらいのイヤミを言いそうな私だが、「すごい、世界一周か! オレもいつかは・・・」と感動的なまなざしで見る人もいるだろう。

 「5年前、パリにいたときにね、ポーランドにいる友達が「遊びに来いよ」というから出かけると・・・」という話でも、「旅行人」愛読者たちなら、それを「自慢話」に感じる人は少ないだろうが、「ヘンっ、カッコつけやがって」とか「偉そうに」と感じる人もいるだろう。

 旅行以外でも同じで、住んでいる場所や部屋の広さや、持っているクルマや、学歴や親の職業とか、そういうことが「自慢話」に聞こえる人もいれば、なんとも思わない人もいて、時にはそういう話に感激したり、見下す態度をとる人もあるだろう。

 だから、高田純次の「自慢話をしない」というのは、実はたいした意味はない。旅行の話を、「自慢話」だと感じる人がいるから話さないと決めていても、ほかのことでねたまれることもある。だから、他人のねたみなんか気にしなければいい。好きなことを、話せばいい、書けばいい。高田純次だって、考えようによっては、その存在が「有名人」であり「高額所得者」という「歩く自慢話」なのだから。

 旅行に関して、自慢したがる人というのは確かにいる。その昔、旅行雑誌「オデッセイ」に載っていたジョークがある。アテネの安宿で、たまたま3人の日本人旅行者が出会った。ひとりが口を開く。「このギリシャで55カ国目になった。50を超えれば『大旅行者』と呼ばれてもいいでしょ」。別の旅行者が、「70カ国以上だろ。オレ、今72カ国目」。すると3人目の旅行者が、「世界の国って、180か190くらいらしいから、せめてその半分の90じゃないかな。おれ、90は超えたぜ」。3人とも、今までの訪問国の数をちゃんと数えていて、その数が多ければエライと考えているという皮肉だ。

 訪問国数自慢ではなく、訪問地自慢というのもある。ツアーに参加した人が、「あそこに行った、そこにも行ったと自慢ばかりしている人がいて、うんざりだった」と話していたのを覚えている。

 回数自慢というのもあるな。コロナ禍前なら、年に4回くらい韓国に行っているおばちゃんやお嬢ちゃんなどいくらでもいただろう。そのくらい行っていれば、合計何回行ったかなんて気にしなくなるはずだ。「韓国、行きます?」と聞かたら、「はい、よく行きますよ」と答えるだけだろう。

 「年に何回行くのか」という質問は、私も受けたことがある。かつて、「前川さんは、タイには年に何回くらい行くんですか?」と聞かれて、「まあ、1回ですね」と答えたら、「なーんだ。そんなものですか。毎月のように行っているだと思ってました」という反応だった。「秋に日本を出たら、翌年の春まで戻ってこないので、年に何回も行くことはないんです」と説明した。これを、自慢とかイヤミにとる人はいるだろうな。でも、事実を答えただけなのだ。