1804話 若者に好かれなくてもいい その4

 

 旅と数字の話の続きを書きたい。

 旅行関係の記事をネットで探していたら、天下のクラマエ師こと蔵前仁一さんへのインタビュー記事がヒットした。2020年のインタビューで、その最初の質問が「今まで何か国くらいを回ってらっしゃいますか?」だ。こういう質問をしたがる人が少なからずいるんだよなあ。

 さすが師は軽くいなしているが、旅行者の質を訪問国数で判断しようとする人は多く、同時に「どうだ! すごいだろ!!!」と自慢したい人が自分から真っ先に数字を口にするという例もたびたび耳や目にしている。

 テレビ番組の出演した「地球の歩き方」編集者の場合は、字幕でこれまでの訪問国数が紹介された。ライターの歩りえこの場合は、テレビ出演冒頭で自己紹介として、94だったか95だったかの国に行ったといった。つい先日放送したNHKの番組に、楽園写真家三好和義が出演した。アナウンサーの最初の質問が、「いままで何カ国くらい旅行したんですか?」。これだよ。

 『地球の歩き方 世界の地元メシ図鑑』に寄稿したエッセイで、作家岡崎大五はこう書き出している。

 「僕が世界を旅するようになったのは、1985年からである。以来、85ヵ国を旅してきたが・・・」

 85カ国だから、信頼のおける内容だと言いたいのだろうが、そうかな?

 旅の数値、あるいは数字は、その内容を表していないと昔から思っているが、マニアの数字はちょっと違うように思う。例えば、「全国のラーメン店500店行脚」というラーメンマニアなら、それぞれの店のラーメンの写真を含めた情報を集め、整理して保存しているだろう。一方、旅を数字で表現したがる人達は、それまで旅したそれぞれの国や都市について、予習・旅行・復習の記録が残っているだろうか。ただ「ラーメン、食った」というだけのラーメン好きと、食べたラーメンについて克明に調べたマニアは質が違うように、訪問国数を増やすことが目的の旅行者が、旅先の深い話ができるとは限らない。こういう話は、「旅を書いたり語ったりする職業側の人」に対する批判であって、それ以外の人ならスタンプ・ラリーのごとき海外旅行だろうが、「どうぞ、お好きに」というだけのことだ。

 深田久弥が『日本百名山』を書いたのは1964年で、それ以後「百名山」がブームになり、1994年にNHKで映像化されると、そのブームはより大きなものになった。山に登ることを楽しむのではなく、「百」登山の完了が目的になった人が少なくないらしい。深田が、『私の好きな山』という本を書いていればこれほどのブームにはならなかっただろうが、「百」という数字を征服することに熱意を燃やした人がかなりいたようだ。「四国八十八箇所巡礼」みたいなものだ。まあ、それも、「お好きに」だ。

 だから、「お気の毒さま」と言いたくなるのは、世界遺産に番号がついていないことだ。ただ漠然と、「世界遺産80カ所制覇」などと言うしかない。

 旅は他人に自慢するためにやっているわけじゃないと、私は思っている。だから、興味のない国だが、訪問国数を増やすために出かけるということなどもちろんしない。知り合いの誰かが、「イースター島北朝鮮に行った」とか「南極に行った」とか「アマゾン川を下った」とかいう話を聞いても、「オレは行っていないのに、くやしい!」などと思うこともない。

 しかし、少なからず、旅自慢をしたがる人はいるようだ。「110カ国訪問」、「イタリア渡航55回」、「世界一周」、「インドに2年」などなど。1980年代あたりまでだと、文化勲章などをめざしている人物が、宣伝のために出したと思われる自伝に、「海外渡航回数22回」などと書いてあるものが多数あったが、その後自由にいつでも海外旅行に行けるようになると、「赤ん坊の時から、毎年夏と正月は家族でハワイに行くことにしていて・・」という子供が出現すると、「渡航回数自慢」は効力を失った。