60話 インドカレーにまつわる伝説


 カレーが好きで、インドに興味があり、しかし日本のインド料理さえまだ食べたことがなかった高校生のころ、テレビを見ていたら料理研究家がインドのカレーについて話していた。
「インドのカレーは、水がたくさん入っているからドロドロしていないんです。それに、ジャガイモやニンジンも入れないので、日本のカレーとはまったく違うんですよ」
 1960年代末のことだから、この料理研究家もおそらくはインドに行ったことはないだろう。日本にあるインド料理店で食事をして、それが「本場のインド料理のすべて」と思い込んだのだろう。
 その話をテレビで聞いてから数年後、私はインドを旅していて、ジャガイモのカレーがいくらでもあることを知った。ジャガイモとニンジンの両方が入ってい るカレーは食べていないが、料理書によればそういうカレーもあるそうだ。カレーというものが、日本人にとっての醤油のような調味料だと解釈すれば、どんな 材料を使っても不思議ではないことがわかる。この一件がきっかけではないが、私は料理研究家という人の教養をほとんど信用していない。料理研究家というの は、どう料理するかを研究しているだけで、食文化全般にはほとんど興味も知識もない人だとわかってしまった。
「インド人って、カレーを食べていても、あんまり水を飲まないんでしょ」
 私がインド料理の話をしているときに、そんなことを言い出す人がいてびっくりしたことがある。彼女の頭のなかを覗いてみれば、次のようになっているらしい。

  カレーは辛い→だから日本人は水を飲みながら食べる→しかし、インド人は子供のころから辛いものを食べているから、辛さは気にならない→だからインド人は水など飲まずにカレーを食べる。

 インド人だって、水を飲む。辛いから水を飲むインド人だっているだろうが、たんにのどが渇いているから飲むのであり、水があったほうが料理が食べやすいからだろう。アメリカ人やシンガポール人がコーラやジュースを飲みながら食事をしているのと同じ理屈だ。
 都内のカレー専門店で、隣の席に座っている大学生らしきふたりの男の話し声が聞こえてきた。
「カレーって、何だろうな」
「どういうこと?」
「カレーは、カレー粉で作るってのは知ってるけど、カレー粉は何から作るんだろ。『カレーの実』なんてのがあってさあ、それを粉にしているのかなあ」
「知らねえよ、そんなこと。食ってうまけりゃ、それでいいんだよ」
 その話を盗み聞きしていて、やはり料理研究家の話を思い出した。
「カレー粉は、カレーの木の実かなんかから作るんじゃないかと思っていらっしゃる方がいるようですが、カレーの木なんてないんですよ。カレー粉は、トウガ ラシやクミン、コリアンダーターメリックなどいくつものスパイスを粉にして混ぜたものなんです」 この話はほぼ正しいのだが、じつは『カレーの木』は実 在するのである。カレーの木(ナンヨウサンショウ Murraya koenigii)は、ミカン科の植物で、英語ではその葉を「カレー・リーフ」と呼ぶ。カレー粉には入っていないが、インドでは料理によく使う。クミンや ターメリックほどよく使うスパイスではないが、特別珍しいものでもない。かねてから気になっていたこのカレーリーフについて詳しく教えてくれたのは、『香 辛料の民族学』(吉田よし子中公新書)だった。
 この本だったか別の本だったかわからないが、吉田さんが書いた文章にカレー粉に関する意外な話があった。カレー粉の辛さは、普通に考えればトウガラシの せいだろうと考えられるのだが、日本人が好きなカレーの味はトウガラシよりもむしろコショーの辛さだから、カレー粉やカレールウにはコショーの辛さを強調 した配合になっているそうだ。

*「旅行人」の蔵前仁一さんから「アジア雑語林(58)」に関して、ひと言弁明をと、下記のメールをいただきましたので、転載いたします。

蔵前の蛇足:読 書家といわれる人々は、いったい1カ月に何冊の本を読むのでしょうか。たとえば、手元にある2004年3月号の「本の雑誌」に掲載されている目黒孝二さん の「笹塚日記」では、1週間でおよそ11冊ほど読んでいます(あくまでこの日記に書いてあるもので見ればですが)。ということは1カ月に40〜45冊とい うことになります。さすがに読書家とはすごいものです。原稿も書きながら一晩に文庫を2冊一気に読んだりしてますからね。私なんか最近は寝床に文庫を持ち 込んでは数ページで眠ってしまいます。
いつも、「この本はおもしろいよ」と教えてくれるのは、むしろ前川さんのほうなんですが、彼の好みは実に合理的で、僕のように曖昧なところがない。例えば 僕は宮部みゆきの小説も読めば、カーブの投げ方、なんていう新書まで読みますが、前川さんはそういう支離滅裂な読み方はしないんですね。タイやアジアと いったテーマがしっ かり流れていて、それに沿うようなら小説でも読むし、言葉の本も、旅行記も読む。たとえそれがいかにつまらない本なのかわかっていても読む、というところ がすごいと思いますね。僕にはとてもできないことです。