76話 悪筆に悩まされる人たち



 まだ20代のころだが、友人が担当している雑誌の編集を手伝ったことがある。手伝ったと いうより、おもしろがって遊んだといったほうが正確なのだが、編集の仕事とはどんなものだろうかという好奇心で、遊ばせてもらった。ほんの数回遊んだだけ だが、ライターとしていろいろ教えられることは多かった。
 私に与えられた最初の仕事は、行数かぞえだ。1行20字で書いてある原稿が、1行16字だと全体でどれだけの行数になるのか数えるという作業だ。手書き原稿の時代はこれが大変だった。
 いま「1行20字で書いてある」と書いたが、現実にはそんなやさしい書き手ばかりではなく、原稿用紙の升目など無視して書いている人もいる。それでも、 その文字が読めればいいのだが、判読不能の原稿もある。達筆で読めないということもあれば、ただたんにヘタだから読めないというものもあった。ヘタな字で ニュロニョロと書かれると、それが何文字分なのかわからないから、行数もはっきりしなくなる。
 私に与えられた原稿は、全体的にはなんとか読めるのだが、細部がつらかった。その原稿は、作家の少年時代の家族旅行について書いたものだったが、おびた だしく出てくる地名がほとんど読めないのだ。読み方がわからないというのではない。どんな漢字なのか判読できないのだ。これが東京の地名なら、土地勘があ るから、なんとか判読できるのだが、まったく知らない土地の、古い地名で、しかも字(あざ)や大字(おおあざ)だと、市販の地図では確認できない。
 そんなわけで、地名は校正のときに、著者にきれいな字で記入してもらうことにした。それだけでも、編集者の苦労はわかった。字がへたな私だが、それ以後、読める字で原稿を書こうと決意した。
 90年代に入ってからだが、知り合いの編集者にそんな思い出話をしたら、「最近、こんなことがありましてね」と、困った体験談を話してくれた。
 その編集部全員を悩ませている悪筆の先生が、ついにワープロを導入したという噂が伝わった。「よし。ありがたい!」と編集部は大喜びだ。数週間して、悪筆先生のワープロ原稿が編集部に届いた。封をあけた編集者は、「アー!」と声をあげた。
 原稿はきれいにプリントアウトされているのだが、そこに判読不明の文字で大幅な書き込みが何カ所もあるのだ。文章の削除や入れ替えもあって、その指示を しめす線が入り乱れている。ワープロ画面でやってくれればいい作業を、紙の上でやるものだから、「もう、立ちくらみしそうでしたよ」と、その編集者は言っ た。
 やはりその頃のことだが、ある学者の出版記念パーティーに行ったことがある。その学者もまた悪筆の人で、ときどき手紙をもらうのだが、判読するのに苦労する。パーティーでは、あいさつに立った担当編集者が開口一番、こんなことをいった。
「先生は最近ワープロを買ったそうですが、なんでこの本を書いてから買ったのでしょうか。せめて1年前に買っていただいていればと……」
 場内爆笑だったが、そういいたい気持ちは私もよくわかる。それからしばらくして、その学者からくる手紙もワープロ印刷のものになり、断然読みやすくなっ たが、「P.S」以下の手書きの文章がやはり読めない。「………どう思います?」と、最後の部分だけは読めても、返事の書きようがないのである


76話 悪筆に悩まされる人たち


 まだ20代のころだが、友人が担当している雑誌の編集を手伝ったことがある。手伝ったと いうより、おもしろがって遊んだといったほうが正確なのだが、編集の仕事とはどんなものだろうかという好奇心で、遊ばせてもらった。ほんの数回遊んだだけ だが、ライターとしていろいろ教えられることは多かった。
 私に与えられた最初の仕事は、行数かぞえだ。1行20字で書いてある原稿が、1行16字だと全体でどれだけの行数になるのか数えるという作業だ。手書き原稿の時代はこれが大変だった。
 いま「1行20字で書いてある」と書いたが、現実にはそんなやさしい書き手ばかりではなく、原稿用紙の升目など無視して書いている人もいる。それでも、 その文字が読めればいいのだが、判読不能の原稿もある。達筆で読めないということもあれば、ただたんにヘタだから読めないというものもあった。ヘタな字で ニュロニョロと書かれると、それが何文字分なのかわからないから、行数もはっきりしなくなる。
 私に与えられた原稿は、全体的にはなんとか読めるのだが、細部がつらかった。その原稿は、作家の少年時代の家族旅行について書いたものだったが、おびた だしく出てくる地名がほとんど読めないのだ。読み方がわからないというのではない。どんな漢字なのか判読できないのだ。これが東京の地名なら、土地勘があ るから、なんとか判読できるのだが、まったく知らない土地の、古い地名で、しかも字(あざ)や大字(おおあざ)だと、市販の地図では確認できない。
 そんなわけで、地名は校正のときに、著者にきれいな字で記入してもらうことにした。それだけでも、編集者の苦労はわかった。字がへたな私だが、それ以後、読める字で原稿を書こうと決意した。
 90年代に入ってからだが、知り合いの編集者にそんな思い出話をしたら、「最近、こんなことがありましてね」と、困った体験談を話してくれた。
 その編集部全員を悩ませている悪筆の先生が、ついにワープロを導入したという噂が伝わった。「よし。ありがたい!」と編集部は大喜びだ。数週間して、悪筆先生のワープロ原稿が編集部に届いた。封をあけた編集者は、「アー!」と声をあげた。
 原稿はきれいにプリントアウトされているのだが、そこに判読不明の文字で大幅な書き込みが何カ所もあるのだ。文章の削除や入れ替えもあって、その指示を しめす線が入り乱れている。ワープロ画面でやってくれればいい作業を、紙の上でやるものだから、「もう、立ちくらみしそうでしたよ」と、その編集者は言っ た。
 やはりその頃のことだが、ある学者の出版記念パーティーに行ったことがある。その学者もまた悪筆の人で、ときどき手紙をもらうのだが、判読するのに苦労する。パーティーでは、あいさつに立った担当編集者が開口一番、こんなことをいった。
「先生は最近ワープロを買ったそうですが、なんでこの本を書いてから買ったのでしょうか。せめて1年前に買っていただいていればと……」
 場内爆笑だったが、そういいたい気持ちは私もよくわかる。それからしばらくして、その学者からくる手紙もワープロ印刷のものになり、断然読みやすくなっ たが、「P.S」以下の手書きの文章がやはり読めない。「………どう思います?」と、最後の部分だけは読めても、返事の書きようがないのである


76話 悪筆に悩まされる人たち


 まだ20代のころだが、友人が担当している雑誌の編集を手伝ったことがある。手伝ったと いうより、おもしろがって遊んだといったほうが正確なのだが、編集の仕事とはどんなものだろうかという好奇心で、遊ばせてもらった。ほんの数回遊んだだけ だが、ライターとしていろいろ教えられることは多かった。
 私に与えられた最初の仕事は、行数かぞえだ。1行20字で書いてある原稿が、1行16字だと全体でどれだけの行数になるのか数えるという作業だ。手書き原稿の時代はこれが大変だった。
 いま「1行20字で書いてある」と書いたが、現実にはそんなやさしい書き手ばかりではなく、原稿用紙の升目など無視して書いている人もいる。それでも、 その文字が読めればいいのだが、判読不能の原稿もある。達筆で読めないということもあれば、ただたんにヘタだから読めないというものもあった。ヘタな字で ニュロニョロと書かれると、それが何文字分なのかわからないから、行数もはっきりしなくなる。
 私に与えられた原稿は、全体的にはなんとか読めるのだが、細部がつらかった。その原稿は、作家の少年時代の家族旅行について書いたものだったが、おびた だしく出てくる地名がほとんど読めないのだ。読み方がわからないというのではない。どんな漢字なのか判読できないのだ。これが東京の地名なら、土地勘があ るから、なんとか判読できるのだが、まったく知らない土地の、古い地名で、しかも字(あざ)や大字(おおあざ)だと、市販の地図では確認できない。
 そんなわけで、地名は校正のときに、著者にきれいな字で記入してもらうことにした。それだけでも、編集者の苦労はわかった。字がへたな私だが、それ以後、読める字で原稿を書こうと決意した。
 90年代に入ってからだが、知り合いの編集者にそんな思い出話をしたら、「最近、こんなことがありましてね」と、困った体験談を話してくれた。
 その編集部全員を悩ませている悪筆の先生が、ついにワープロを導入したという噂が伝わった。「よし。ありがたい!」と編集部は大喜びだ。数週間して、悪筆先生のワープロ原稿が編集部に届いた。封をあけた編集者は、「アー!」と声をあげた。
 原稿はきれいにプリントアウトされているのだが、そこに判読不明の文字で大幅な書き込みが何カ所もあるのだ。文章の削除や入れ替えもあって、その指示を しめす線が入り乱れている。ワープロ画面でやってくれればいい作業を、紙の上でやるものだから、「もう、立ちくらみしそうでしたよ」と、その編集者は言っ た。
 やはりその頃のことだが、ある学者の出版記念パーティーに行ったことがある。その学者もまた悪筆の人で、ときどき手紙をもらうのだが、判読するのに苦労する。パーティーでは、あいさつに立った担当編集者が開口一番、こんなことをいった。
「先生は最近ワープロを買ったそうですが、なんでこの本を書いてから買ったのでしょうか。せめて1年前に買っていただいていればと……」
 場内爆笑だったが、そういいたい気持ちは私もよくわかる。それからしばらくして、その学者からくる手紙もワープロ印刷のものになり、断然読みやすくなっ たが、「P.S」以下の手書きの文章がやはり読めない。「………どう思います?」と、最後の部分だけは読めても、返事の書きようがないのである