746話 大学講師のレポート その3


 レポートの日本語


 成績の評価はレポートにした。出席はとらないから、100%レポートの評価で成績を決める。
 そのレポートをどういう内容にするかというのは、けっこう難しいのもので、かなり頭をひねった。学生の知識だけを問う出題にはしたくなかった。学生の基礎学力に調査力と発想力といったものを文章にしてもらおうと思った。学生のコピペ(コピー&ペースト)を嘆き、非難している大学教授たちの声はしばしば耳にするが、インターネットですぐに探せるような事柄を出題する方が間違っている。どうがんばっても、コピペできないようなテーマを出せばいいのだ。
 講師になって初めてのレポートは、こんなテーマだった。
 「あなたが卒業した小学校の、半径2キロ以内の地域がどういう場所なのか、その地を知らない私に1000字程度で解説してください」
 京都市内や銀座の小学校卒業ということでもなければ、自分が卒業した小学校付近の説明がインターネットに詳しく載っていることは少ない。だから、コピペできない。なぜこういうテーマにしたのかといえば、紀行文や旅行ガイドの要領で、まとまった文章を書かせようと思ったのだ。実は、最初に思いついたのは「生まれた場所」の描写だったが、考えてみれば私の時代と違い、現在はほとんど病院で生まれていて、その病院付近がなじみの場所とは限らないし、母親もよく知らない地域ということもあり得る。というわけで、学生もはっきりと記憶に残る場所、小学校にしたのである。
 大学から宅配便で届いたレポートを読んで、「ああ、おお」と声を上げたくなった。自費出版物を除けば、素人の文章を読むのは初めてだ。大学3年か4年生の日本語の文章の、まあ、なんとひどいことよ。全体の25パーセントくらいは、日本語の文章の体裁をなしていない。 まず、書き出しの1字下げを知らない。友人へのメールやブログしか書いたことがなく、出版物を読んだ記憶もないのかもしれない。小学校以来、少なくとも教科書は読んでいるはずだが、その形跡がない。日本語の正しい文章の書き方を知らないのだ。1字下げなしで書き始める学生が多いが、なかには改行ごとに4字空きにしたり、10字空きにしたりとバラバラになっているものもあった。
 次の問題は、改行を知らないことだ。「レポート全部、1000字改行なし」を平気でやる。段落というのが、わからないのだろう。頭のなかで、話をA、B、Cと3つに分けて文章を構成するということができないというよりも、そもそも改行が習慣になっていないのだろう。
 このブログ「アジア雑語林」は書き手の希望を無視して、改行すると勝手に「1行アケ」にされてしまうが、通常の新聞や雑誌や本では、「改行1行アケ」はない。印刷物よりも、液晶画面で文章を読むことがほとんどという学生にとっては、改行は「1行アキ」なのだろうが、場合によっては「2行アキ」のレポートもあった。私はそういう体裁を認めない。
 句読点をうまく使えない学生がいる。さすがに、句点の「。」を知らないということはないが、読点「、」をほとんど使わない前衛的な文章もあった。200字や300字を、「、」なしでだらだらと書いている。そういう文章で、1字下げも改行もないと、見た目に真っ黒なレポートになる。
 誤字脱字・変換ミスというのは、私も言いにくい。文壇の大御所でさえ、誤字脱字のない原稿を書いているということはおそらくないだろう。原稿をワープロで書くようになってからは、変換ミスが多くなった。レポートで多い変換ミスは、「異常」と「以上」、「意外」と「以外」、「圏外」と「県外」などだ。
 2年目の最初の授業で、レポートの日本語がいかにまずいか指摘し、簡単に作文の授業をやったのだが、いっこうに効果はない。毎年30分ほど指導をするが効果はなく、ついに昨年から減点対象とすることにした。体裁と内容が日本語の文章だとは認めにくいレポートは、減点すると宣言した。レポートの成績は、S,A,B,C,Dと5段階あり、Dは不可だ。レポートを読んで、内容的にはBだが、日本語の体裁が整っていない場合は、1段階下げてCにするという形の減点だ。しかし、「日本語の体裁が整っていないし、おかしな文章だが、内容はいい」という例などなく、見た目に変なレポートは、内容もダメで、D判定になる。
 おかしな文章というのは、主語がないので意味不明とか、「昨年の冬、青森のいとこに会いに、真冬の青森に親族訪問した」といったような、「馬から落馬」型の文章などさまざまある。ワープロの「移動」や「挿入」の操作を誤り、解読不能な文章になったまま提出したレポートもあった。
 今年のレポートでは、日本語の文章の体裁が整っていないというのが、まだ10人ほどいた。私の授業は、作文講座ではないのだが、行きがかり上、毎年30分程度の作文講座をやる。不思議なのは、教育者や政治家たちは、こうした学生の日本語力についてはほとんど指摘せず、「英語力の向上」とか「世界的視野」ばかり口にすることだ。まがりなりにも、きちんとした日本語の文章が書けるようになれば、どんな職業についても役に立つ。英語やフランス語よりも、「〇○概論」などという授業よりも、日本語力の方がよほど役に立つ知識だと思うのだが、賛同者は多くない。