86話 ニッポンが大嫌い


 規制などされずに、できるだけ自由に生きていたいと思う。だから、上司も部下もおらず、勤務時間の規定も社則もない自由業を選んだのだが、日本語のことになると独裁者になりたいという欲望がメラメラと沸きあがってくる。
 いま、ラジオを聞きながらこの原稿を書いているのだが、国会担当の記者が「………民主党の○○氏は、このようなことをなにげに話していますが……」など としゃべっている。こんな言葉はいやだ。追放したい。いやな言葉は辞書のなかだけにとどめ、音声言語としては追放したい感情にかられる。言葉、とくに話し ことばはどんな独裁者でも規制できないものだということはわかるし、国家による言語統制などいやだという理性もあるのだが、あんないやな言葉を耳にする と、怒りの感情をおさえきれなくなるのだ。
 言葉に関心があれば、誰にも嫌いな言葉や表現はいくつもあるもので、「コーヒーのほう、お持ちしますか?」とか、「Aランチになります」といった喫茶 店・レストラン用語批判がしばしばマスコミに登場するが、私にとってもっともいやなのは、「ニッポン」である。日本から「ニッポン」を追放したい。
 日本は国名呼称を二種類認めている変わった国なのだが、私は「にほん」に統一したい。「ニッポン」が耳障りなのだ。「にほん」と「ニッポン」の二重呼称 の歴史は古くからあるようで、どちらが正しいという結論はたぶん出ないだろう。私も、どちらが正しいかという論を展開したいとは思わない。「ニッポンが嫌 い」というのは、理屈の問題ではなく、感情の問題で、したがって論理的な説明などできない。
 「ニッポン」という音を耳にすると、「大ニッポン帝国陸海軍は……」といった、いまなら北朝鮮の放送のような、絶叫するアナウンサーの声が聞こえてくるのだ。「ニッポン」という音の背後に、軍服や軍刀が見え隠れするのである。
 いくつかの資料を読むと、NHKでは国名は「ニッポン」に、その他の場合は適当にという取り決めがあるようなのだが、実際にはニッポン派が勢力を伸ばそ うとしているように思えてならない。先日見ていたNHKのある番組では、「ニッポン語」「ニッポン料理」などと、すべての日本を「ニッポン」と発音してい た。あれは嫌がらせとしか思えない。
 私の語感では、「日本」がつく語はすべて「にほん」と発音してもなんら問題はないのに対して、「ニッポン」にしたほう方がいいと思えるものは何ひとつない。あなたは、こういう日本語に違和感はありませんか。
 ニッポン式庭園
 ニッポンそば
 ニッポン地図
 ニッポン舞踊
 ニッポン美術史
 放送局が「ニッポン」と呼びたがるけれど、にほん人、にほん語、にほん大使館でなんの問題もない。それなのに、「ニッポン」と呼びたがるのは、「そう読 め!」というおカミの意向があるからだろう。そのほうが勇ましいからという理由によるものだろう。だから、「ニッポン」が武であり、「にほん」は文という 気がする。スポーツ関係者は武を好み、かつ、おカミに弱いという体質があるから、「ニッポン」を使いたがるのだろう。
 私のこの意見は、けっして少数のものだとは思わない。「ニッポン放送」といったような固有名詞を除けば、NHKなど放送局の方針とは違って、日常生活では「にほん」と発音することの方が多いような気がする。
 政治家や役人が大好きなニッポンを、一日も早くこのにほんから駆逐したい。