108話 タイ・フェスティバル2005


 東京の代々木で毎年開かれているタイ・フェスティバルに、2年ぶりに行った。タイ料理には誘われないが、音楽にはそそのかされる。
 北タイにスンタリーという歌手がいる。彼女が歌う北タイの雰囲気をたたえた歌謡曲が、なかなかいい。全身の骨を抜かれて、「そんなにアクセク働くことな いわよ」といっているようなメロディーだ。その娘ランナー・カミンも歌手となり、来日して代々木で歌うというのだから、ちょっとチェックしたくなった。こ れは、藤圭子(圭以子じゃない)が好きだから、娘のウタダなる歌手を聞いてみようという心境に近い。そして、実際に娘の歌を聴いてみたら、「やっぱり、ど ちらも母ちゃんのほうがいいな」という感想だった。ランナーの歌がよければCDを買おうと思っていたのに。
 それが昼の部で、夕方はカラバオの公演だった。
 ロックバンドのカラバオはタイで何度も見ている。代々木のコンサートでも、会場の前半分にいる客の7,8割はタイ人だと思う。だから、タイでのコンサー トとほとんど同じなのだが、違うところが2点ある。会場でケンカが起きないのは、いつもいがみ合っている高校生が日本の会場にいないからだろう。かつての 日本でもそうだったが、対立している高校生が会場で会うと、しばしばケンカをするのだ。韓国映画「チング」でも同様のシーンがあった。もちろん、日本映画 「パッチギ」でも同様。こういう高校生のケンカに加えて、日ごろ不満を抱いている若い労働者の酔っ払いが浮かれて、暴れだすのだ。
 タイでのコンサートと違うもう一点は、音が小さいということ。公演中に隣の人と怒鳴らずに話ができることなど、タイではなかなか考えられない。
 カラバオのリーダーであるエートが、「ドゥアンペン」(満月)を歌い出すと、会場にいた20代のタイ人たちもいっしょに歌いだした。1970年ころから 歌われている歌だが、いまも若者たちに歌い継がれている。そういう歌が、まだタイにはある。20代と50代がいっしょに歌える歌がある。カラバオは日本風 にいえば、フォークソングを歌うロックバンドで、政治的な歌も、環境保護の歌も歌う。フォーク色がより強いカラワンが歌ってきた「ドゥアンペン」をカワバ オも歌い、歌謡曲のプムプワンもスナリーも歌い、若者も中年も、豊かな者も貧しい者も、ともに声を合わせて、「満月」を歌う。タイには「アマタ」と呼ばれ る音楽ジャンルがある。英語でいう「スタンダード」である。何年も歌い継がれてきた名曲だ。そういう歌が、いまの日本にはない。音楽は世代によって、はっ きりと断絶している。
 今年のタイフェスティバルは、それはもうすごい人出で、年末のアメ横というよりは、事故が起きたラッシュ時の新宿駅というくらい混雑していた。まともに 歩けないのだ。そこで、なるべく人が少ない隅の場所を探して、人々を眺めながら、ちょっと考えた。タイ以外にこれほど人を集められる国が、あとどれだけあ るだろうかと。今年はカラバオ目当ての人がいただろうが、カラバオが来なくても、やはりすさまじい混雑だっただろう。だから、大物のショーはないというこ とを前提として、考えてみた。
 反米感情は高まってはいるが、日本にはアメリカが好きな人が多いから、アメリカ祭りは実行可能だろう。「可能」というのは、赤字は出さないという意味だ。
 ヨーロッパでは、フランス、イタリア、イギリス、スペインも可能だろう。イギリス祭りの場合、食べもの屋台に苦労するだろう。イギリス料理の屋台を 100店舗だすことは不可能だろう。ドイツについては、私がまるで関心がないから、ドイツファンがどれだけいるのかまるで想像がつかない。タイ祭りと同じ ような構成だと、むずかしいような気がするが。
 中南米では、もしかするとブラジル祭りは可能かもしれない。あとは中南米祭りなら可能だが、1カ国単独でも開催はむずかしそうだ。
 アジアでは、インドは可能。中国も可能だと思うが、右翼の街宣車がやってきたり、チベット解放運動のデモなどが起こるかもしれない。私としては、台湾祭りをやって欲しいが、政治問題化されて圧力がかかりそうだ。
 現時点で、もっとも客を集められそうなのは、韓国祭りだろう。そこそこに有名な歌手のコンサートやパンソリなどをやれば、超有名芸能人の来日公演がなくても大丈夫だ。食品、雑貨、CDやDVD販売もやれば、黒字になるような気がする