121話 「青春とはなんだ」とミッキー安川


 最近になって、昔の日本映画をよく見るようになった。戦後の海外旅行事情を調べる一環として、当時の社会風俗を生で知りたいと思ったからだ。「生」といっても、正確にいえば、「フィルムに保存された時代」という意味だ。
 例えば、1960年公開のある映画のなかで、外国や外国文化や海外旅行がどう扱われているといったことが知りたかったのだ。主人公がアメリカに行くこと になったという設定だとする。当時は今と違って、観光旅行というのは制度上許されないことだから、主人公が外国に行くことができるとすれば、主人公は船員 か業務渡航か、あるいは主人公の男は日本人のようだがじつは日本人ではなく日系アメリカ人だったといった仕掛けを用意しておかなければいけない。その仕掛 けが知りたいし、もし海外ロケをしているなら、どういう景色を撮影しているかなどといった種々雑多なことを知りたい。
 そんなわけで、その映画そのものがおもしろいかどうかなど、どうでもいいことで、とにかく数多く見た。この成果の一部は『異国憧憬』(JTB)に発表し たのだが、昔の映画を見る楽しみはまだ続いている。高いビデオやDVDを買ってまでは見ないが、テレビで放送しているとついつい見てしまう。
 1950年代から70年代前半あたりに公開された日本映画を見ていると、「60年の銀座って、こんな風景だったんだなあ」とか、「65年はまだまだ蒸気 機関車が走っていたんだなあ」などということに感心するのだ。あるいは、ラーメンの値段に、「あ、そうだたっけね」と思い、サラリーマンが服を脱ぐと、ス テテコにランニングシャツ姿だったりと、これまた「ああ、そうだった」と懐かしくなるのである。これなど、はっきりと記憶に残る「ああ、そうだった」なの だが、都電が走る銀座となると、実際に見ているはずなのに記憶に残っていない光景もある。忘れてしまった光景と、記憶にも残っていない光景だ。映画は、現 代史の生活資料も見せてくれる。
 さきほど、石原裕次郎の「青春とはなんだ」(1965年)を見た。いわゆる学園ドラマというのは私がもっとも嫌いなジャンルなのだが、そういう好き嫌い よりも、1965年の日本が見たくなったことともうひとつ理由があって、ついついテレビの前に寝転んでしまったのである。
 この映画の原作は、1965年に出版された『青春とはなんだ』(石原慎太郎講談社)だ。原作の映画化というより、おそらくはそもそも映画用に書いた小説だろうという気がするのだが、そのあたりの事情は知らない。
 「青春とはなんだ」といえば、夏木陽介主演のテレビドラマを思い浮かべる人の方が多いだろうが、テレビ版の放送は1965年10月から。映画の公開は同年7月だから、小説発売、映画化、テレビ化すべてが計画されたメディア・ミックスなのだろう。
 私がこの種の昔の映画を見るようになったきっかけは、海外旅行事情全般への関心によるものだという話をすでにした。1965年の日本を見たいという理由 とは別に、学園ドラマという不愉快極まりない映画を見ようと思ったもうひとつの理由は、主人公の設定である。若き新任高校教師は、高校卒業後アメリカに渡 り、苦学のすえ10年後に帰国した英語教師という設定になっている。映画ではこの男が過ごした10年間のアメリカ体験をどう描くのか、これが私が知りたい ことだった。
 それで、私は発見した。少なくとも、インターネット上では、新発見らしい。
 主人公の教師は、もちろん石原裕次郎だ。映画は猪苗代駅のホームから始まる。この地に着任したアメリカ帰りの英語教師である。彼は蒸気機関車のススで汚 れた体をホームの水道で洗う。シャツを脱ぐと、背中に大きな傷痕がある。映画の後半で、この傷痕がアメリカ時代のものだという話が出てくる。
 女の子を巡って白人の学生とケンカになり、背中を刺される。その原因にはアメリカ人の日本人蔑視があり、その日本人大学生(つまり主人公の青年)は、刺した男を寮の3階から下に投げた。
 この話、よく知っている。『ふうらい坊留学記』(安川実、のちにミッキー安川名義に、カッパブックス)に出てくるエピソードそのままである。この本の出 版は、1960年。カッパブックス全盛期のベストセラーだ。出版から数年後にこの本を読んだ私は、3階から人を投げ飛ばすエピソードに違和感をもってい た。だから、『青春とはなんだ』を見ていて思い出したのだ。
 安川は高校卒業後の1952年にアメリカに渡り、働きながら大学に通った。4年後に帰国した安川は英語教師ではなく芸人になったが、『青春とはなんだ』のアメリカ帰りの英語教師は、『ふうらい坊留学記』にヒントを得ているのは明らかだ。
 石原裕次郎の時代は私よりも前の時代だが、加山雄三や「寅さん」は私と同時代で、同時代にはまるで興味のない映画だったが、映画に別の楽しみを発見して、この種の映画も楽しめるようになった。