いつのことか思い出せないが、初めて日本橋を見た時の印象は、「ああ、なんてことをして くれたんだ」というものだった。橋の上を高速道路が覆っている。日本の役人は、こういうことを平気でできる神経の持ち主なのだ。いや、役人だけじゃないだ ろう。東京オリンピックを前にして、人々は浮かれまくっていた時代で、当時の映画を見ると、意味もなく都内の高速道路をドライブするシーンが出てくる。煙 突から出る煙が、繁栄のシンボルに思えていた時代で、「近代的」はすべてプラスの評価だった。
今年になってからだと思うが、突然、日本橋を覆う高速道路を取り払えという運動が、話題を集めた。私の想像なのだが、韓国の影響ではないかという気がするのである。
ソウルを流れる清渓川は、日本の植民地時代からドブ川だったのだが、1960年代には暗渠になり、その上を高速道路が覆った。
このドブ川の整備工事が2002年から3年がかりで行ない、高速道路を取り払い、ルートを変え、河川公園として美しくよみがえった。
この工事が始まったことを、テレビのドキュメント番組で知った。商業施設建設のためではなく、国威発揚のための工事でもなく、ドブ川を公園に変身させる工事だと知って、驚いた。環境整備のためにソウル市が大金を投じるという。韓国も、そういう時代になったのだ。
高速道路撤去工事を終えて、川岸を散歩することもできる公園として生まれ変わったのが2005年10月。そして、日本人が「日本橋が問題だ」と騒ぎ始め たのが2006年春だった。どうやら、関係がありそうな気がするのである。韓国だって、大胆に工事をやったのに、日本人が東京の、そして日本のシンボルと も言える日本橋を、高速道路が覆いつくしたみっともない姿のままにしておいていいのか。韓国人以下でいいのか。そういう意識を持たせたのではないかという 気がするのだ。
高速道路撤去問題について、石原都知事はこう発言した。
「高速道路を撤去? そんなのはセンチメンタルにすぎん。4000億か5000億か使って、そんな無駄な工事をすることはない。橋が欲しいんなら、別の場所に新しく作ればいいじゃないか」
あらゆる石原発言に同意したことがない私は、「また、無神経に、バカをいいやがって・・・」と思っていたが、改めて考えてみれば、「でも、そうだよなあ」と同意できる。石原発言に同意するのは、生まれて初めてだ。
私の意見は、こうだ。いまの日本橋はそのまま残す。国の重要文化財を高速道路が覆っている光景を「負の遺産」「日本人の恥知らずの記念碑」として、後世 まで残しておけばいい。そして、その日本橋からそれほど離れていない場所に、江戸時代の日本橋を復元すればいい。完全木造の観光用の橋だから、自動車は通 れない。この橋に5億かかるか10億かかるかわからないが、5000億円かかることを考えれば、安いものだ。
公共工事は何のためにやるかといえば、「市民・国民のためではなく、工事関係者とそういう人々に支えられた役人と政治家のためにやる」というのが公式だ から、高速道路撤去計画というのも、日本橋の美観云々よりも、「工事がしたい。工事費が欲しい。工事費の一部を懐に入れたい」というだけだろう。
さて、『なるほど! これが韓国か 名言・流行語・造語で知る現代史』(李泳釆・韓興鉄、朝日選書、2006年)には、この清渓川と周辺の改修工事のいきさつがでている。こちらも、「美しい景観のために」というセンチメンタルな工事ではなかったとわかる。
ソウルでは、手抜き工事が原因で、橋が落ちたり、デパートが倒壊したりといった大惨事が起こった。このような、「いつ崩壊してもおかしくない建造物」の ひとつが、清渓川の上を走る高速道路だったらしい。だから、安全のために、この高速道路はできるだけ早く撤去しなければいけなかったのである。
そして、こういう工事を実施したソウル市の市長は、現代建設の元社長だそうだ。ということは、手抜き工事をやって会社が儲け、税金でその穴を埋める韓国現代史の構造がわかる。
だから、日本橋問題に限らず、高速道路の建設であれ撤去であれ、「工事をするべきだ」と主張する者の、腹のなかを覗け。もっともらしい言説に、だまされるな。