174話 戦後史の闇の部分に、足をちょっと・・・・



 あいかわらず、戦後史の本を読んでいる。『誰も「戦後」を覚えていない 昭和20年代後 半篇』(鴨下信一、文春新書、2006)に、「松本清張の他に、朝鮮戦争関連のことを作品に書いた人がほとんど見当たらない」とあって、「うん、なるほ ど、そうか」と納得した。隣国の戦争は、文字通り「対岸の火事」だったらしいとわかる。同時代に生きていなかった者には、「他人事の戦争」という感覚がわ からない。わからないから、本を読んで少しでもその感覚をつかみたいと思う。私の場合、過去の旅行や、アジア事情の本から資料を得る。最近読んだ2冊の本 から、意外な展開があったという話をしてみよう。
 キリンビールの重役にして、エッセイストが本を出している。『東南アジアの旅』(三宅勇三、春秋社、1966年)は、函にタイの寺院の絵が入っているが、雑文集で旅行記は一部しかない。タイの水上市場に行った日の日記に、こうある。

 「米を積んだ大型の船がたくさん繋留してあるが、ここからはしけで外国船に積み込む。これは華僑の事業。大阪の富士車輌の倒産の原因となった橋梁が見えてきた。ガイドが富士車輌を富士重工と間違えて説明していたので、拙著『玉川上水』を渡して訂正しておいた」

 さて、富士車輌とは、なんだ。そんな会社を知らない。三宅がタイを旅したのは1965年 で、その当時の「水上市場」は、現在のダムヌーン・サドワックではなくトンブリの方だから、「橋梁」はチャオプラヤー川にかかる橋をさしている。1965 年のちょっと前にに完成している橋といえば、次の3橋。
  クルントン橋    1958年
  ノンタブリ橋    1959年
  クルンテープ橋   1959年
 水上市場観光で見たということから橋の位置を考えれば、三宅のいう「橋梁」とは、オリエンタルホテルのずっと南にあるクルンテープ橋をさしているらしいと思われる。
 引き続き調べると、1962年3月2日の、第40回国会予算委員会の議事録に「富士車輌」の名が見つかった。質問者は、社会党の横路節雄。北海道出身の 国会議員横路孝弘の父親だ。質問の内容は、タイの軍部や政治家と特別円がからむ「カネと権力と商売」の話だ、要約するのは長いので、興味のある人はこの議 事録を読んでいただきたい。しかし、実を言えば、読んだってわからないのだ。日本の企業とアジアの権力者のベタベタのカネの関係は、わからないことが多い のだ。
 とはいえ、一応、要点だけ書いておくと、日本企業はピブーン派のパオ警察長官にコネをつけたところと、サリット元帥につながる企業があった。1950年 代のタイは、軍と警察が権力争いを続けていて、火気を使った紛争もあった。今から考えれば、メチャクチャな時代だったのだ。1957年にサリットはクーデ ターを起こし、ピブーン政権を打倒し、ピブーンは亡命したから大変というわけだ。これにより、タイ国軍は権力を掌握し、敗れた警察は、軍に見下される組織 となったのである。
 権力とカネのそうした話はともかく、国会で「サリット」だの「ピブーン」だのといった名前が登場した時代があったのだなあと感慨深い。
 もう1冊は、友人がバンコクの古本屋で買った本を、借りて読んだ。『これが東南アジアだ』(倉地武雄、言論時代社、1962年)だ。巻末の「著者紹介」によれば、著者は元朝日新聞記者で、戦前・戦中にアジア旅行をしている。執筆当時は著述業ということらしい。
 この本の内容は、1961年の東南アジアの旅行記にはなっているが、外務省などの資料を多用しているので、臨場感はあまりない。まだ海外旅行が自由化し てない時代の話なので、著者がどういう資格で、誰のカネで旅行したのかがわからない。そこで、著者を調べると、こんな事実が浮かび上がった。
 1965年4月9日 東京都千代田区の自宅で、言論時代社社長倉地武雄(58)が、アイスピックで全身めった刺しにされ死亡。犯人は三男(25)で、遊ぶカネ欲しさの犯行という。
 この事件は、謎の多い殺人事件だ。被害者は、ダム汚職の証人として、国会喚問されたばかりで、政治の匂いがする。
 1966年の国会法務委員会(3月11日)でも、この殺人事件が取り上げられている。質問者は、社会党の神近市子。九頭竜川ダム汚職事件やそのほか胡散 臭い事件と、この殺人事件の関係を質問している。石川達三が、この汚職事件を描いた「金環蝕」を発表したのが、1966年。1975年には山本薩夫が映画 化している。倉地は古垣という名で登場し、義弟に殺されたと描かれている。
 ちなみに、倉地が殺されるちょっと前に、山陽特殊製鋼が倒産している。そして、この会社を描いた映画「華麗なる一族」(1974年)の監督をしたのも、山本薩夫である。その翌年の75年に公開されたのが、「金環蝕」というわけだ