175話 マギー・シーゾニング・ソース


 『世界の食文化 モンゴル』(小長谷有紀、農文協、2005)に、次のような文章がある。

  「ツォー」という醤油の単語は、明らかに中国語起源で はあるけれども、現在のウランバートル人の記憶によれば、醤油が一般の人にとって利用されるようになったのは、一九七〇年代初頭にチェコスロバキアから 「マギー」という商品が入ってからだと言う。小瓶に入ってい赤い蓋部分の小さな突起をハサミで切って口を作り、振りかけるとわずかに一滴ずつ出てくる。

 食文化に興味があって、世界のあちこちを旅している人なら、この「マギー」の姿がすぐ思 い浮かぶだろう。茎が伸びたタマネギのような形のビンで、下部は四角い。黄色と赤のラベルに、"Maggi Seasoning Sauce" と書いてある。日本の法律や食品業界の習慣で、この調味料を醤油の一種に含めているかどうかわからないが、味は「濃い口醤油に近い調味料」 だとは言える。だから、「醤油類似調味料」とも言える。この調味料と醤油の距離は、どこで味をみるかによる。日本なら、「なんだ、こんなもの」という気分 になるだろうが、インドやアフリカの田舎でしばらく暮らしたあとだと、その距離はぐっと縮まり、「ほとんど醤油だ」と喜ぶに違いない。
 私がこの調味料の存在をはじめて知ったのは、ネパールのポカラだった。湖に面して、納屋を改造したような宿が数軒あるだけの頃だった。ここで出会った日 本人旅行者と食事をしていたら、「オレ、これがないとだめでさあ」といって、バッグからビンを取り出した。醤油のような黒い液体が入っていて、そのときラ ベルに「マギー」という名が見えた。すでに「マギー・ブイヨン」というキューブのスープは知っていたような気がする。マギーが西洋の会社だとわかっていた から、なぜ西洋の会社が醤油を作っているのか不思議で、ラベルを見ると、スイスのネッスル社製だとわかり、もっと驚いた。もう、30年以上前のことなの で、記憶は定かではないから、勘違いしていることもあるかもしれないが、大筋ではそういう記憶がある。
 脳内深くに埋まっていた記憶が、『世界の食文化 モンゴル』によって呼び起こされて、この際、マギーについて調べてみたくなった。
 ジュリアス・マイケル・ヨハネス・マギーは、1846年に製粉所経営者の子としてスイスで生まれた。成長して、父の製粉所を継いで営業をしつつ、食品の 研究をして、1885年に粉末の豆スープを開発した。1908年には、それまで顆粒状だったブイヨンをキューブ状にして発売した。1947年に同じスイス の食品企業ネスレが買収し、マギーは同社の1ブランドになった。
 ちなみに、この会社を日本ではかつて、英語読みで「ネッスル」と呼んでいたが、1994年にフランス語読みで、「ネスレ」に変更された。創業者の名前が、アンリ・ネスレである。
 というわけで、ネスレの日本語ホームページを見ると、マギーを紹介するページがあるが、なぜかソースにはまったく触れていない。日本で販売している商品リストにシーゾニングソースがないせいだとしても、無視するというのは変だ。
 英語のサイトに、"Maggi -The Company's History" という詳しい年表を見つけたが、これまたソースに関する記述はない。
 諦めずに探って行くと、少しは資料が見つかった。
 ジュリアス・マギーは、1880年代に、穀類を原料にして作った植物蛋白水解物(ハイドロライズド・ベジタブル・プロテイン HVP)を利用してソース を作ったらしい。醤油に似た風味なのは、原料が醤油と同じだからか、初めから醤油に似せて作ったからか、どちらかわからない。
 結局、マギー・ソースについて調べてみたが、ほとんど何もわからなかった。ただ、驚いたのは、英語でも日本語でも、このソースを検索すると、タイ料理関 連サイトに行き当たることが多い。もちろん、タイでマギー・ソースを使うことは知っているが、ナムプラーなど数多くある調味料のひとつという認識しかな い。しかし、考えてみれば、不思議だ。魚を原料にしたナムプラーがあり、中国風の醤油が何種類かあり、カキ油もあるというのに、それに加えてマギーを使い たがるタイ人は・・・・、と書いていて、日本人もこの手の液体調味料は大好きだよなと気がついた。ただ違うのは、マギーのソースをタイ人は受け入れ、日本 人は拒否したことだ。
 ベトナムアメリカ人のエッセイに、「目玉焼きに数滴落とす」という記述を見つけて、「ああ、そうだった」と思い出した。小鍋で作った目玉焼きに、バゲットに甘いコーヒーというベトナム式朝食には、マギーのソースがよく似合う。