176話 外国語学習の変遷


 日本人の外国語学習史に興味があって、ときどき気になって調べてみたくなる。英語学習史 を研究している人は大勢いるだろうが、私が知りたいのは英語も含めた外国語の学習史だ。つまり、日本人はさまざまな外国語をいつから、どのように、どの程 度学習してきたのかということだ。1980年代でさえ、タイ語が学べる教室は全国でもそれほどなかったのである。タイ語だといかにもマイナーだと思うだろ うが、イタリア語やポルトガル語だって、簡単に勉強できたわけではない。
 日本人の外国語学習は、漢文という特殊例を別にすれば、幕末の一時期にオランダ語時代があり、そのあとは現在までずっと英語が第一外国語だろうと思う。
 問題は英語以外の言語で、時代状況によって、人気不人気の差がでてくるのだろう。
 ある大学の教授と話していたら、彼の大学ではすでに「仏文科」というのは廃止されたという。ドイツ文学科もなければ、英米文学科さえなくなったという。 専修コースとか専攻コースという形では残っているが、つまり「文学」なるものに人気がなくなったのだという。それだけではなく、かつて学習者が多かったド イツ語やフランス語にも、学生が集まらないのだという。小説は読んでも、文学には興味がないということだろう。
 文学には興味がなくなっても、日本人は外国語にはまだ興味があるはずだ。
 このあたりの事情を具体的に知りたいと思ったが、資料がない。東京外国語大学の専攻言語ごとの競争率という統計を見つけたが、資料が「前期日程」「後期 日程」に分かれていて、その数字にかなりの違いがある。その違いがわからない。こういう統計を読み取る力のない私には、使いこなせない資料だ。
 先日、偶然に読んだ『近くて遠い中国語』(阿辻哲次中公新書、2007)に、関連する資料が出てきた。著者は、中国文化史を専攻する京都大学教授。こ の本は中国語のテキストでもウンチク本でもなく、1951年生まれの著者が体験した、戦後日本における中国語学習史であり、教員になってからの中国語教育 事情が前半の内容。後半は、中国における中国語事情が書いてある。
 さて、前半の部分に、興味深いグラフが載っている。「京都大学の『初修外国語』選択者数の推移」というタイトルがついている。わかりやすくいえば、京都 大学に入学した全1年生が、どんな外国語を選択したかという資料である。時代が1996年から2006年までと短いのが難点だが、ないよりはいい。京都大 学の学生が選択できる外国語は、英語、ドイツ語、中国語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア語で、2000年から朝鮮韓国語が、2002年から アラビア語が加わった。
 英語以外の外国語事情を見ると、意外にもドイツ語が第1位だ。1年生2800人ほどのうち、1200人ほどがドイツ語を選択しているのが不思議だ。私が ドイツ語をおもしろくない言語だと思っているせいでもあるが、もはや学習者など急落してほとんどいないだろうと予想していたのに。著者の解説では、学生の 半数は理科系で、医学部や理学部では中国語が選択できないといった理由もあるらしい。理科系では、いまだドイツ語信仰があるのだろうか。
 選択外国語第2位は、中国語だ。著者が学部で中国語を学び始めた1970年代は、わずか50人ほどが中国語を選択したそうだが、現在は800人ほどに増えている。
 ドイツ語が急落していないのが意外なだけでなく、フランス語も同じように学習者は落ちてはいるが、急落ではない。イタリア語や朝鮮韓国語が急上昇してい ないのが不思議だが、いわゆる偏差値の高いおりこうさん大学の学生は、流行で外国語を選んだりしないということなのだろうか。将来を考えたら、英語のほか に、ドイツ語、中国語、フランス語のうちどれかを選ぶのが賢明だと、多くの学生たちは判断したのだろうか。ということは、中国語を除けば、戦前と同じじゃ ないか。なーんだ、つまらん。
 おそらく、日本人の外国語学習者の変遷を調べるのは、NHKのラジオとテレビの全外国語講座の過去から現在までのテキスト販売数の変化といった資料があれば、それがもっとも実情を反映しているだろう。しかし、そういう資料があったとしても、部外秘だろうな。
 NHK以外では、「カルチャーセンターの外国語教室の受講者数の変遷」という資料があればいいのだが、これも残念ながら部外秘だろうなあ。
 というわけで、今回はグチだ。