182話 青江三奈から始まって(2)

  別れの空港



 歌謡曲の世界で、別れの場といえば、1960年代までは波止場、港、駅だろうが、70年代に入ると空港になるのだろうか。海外旅行史研究者としては、歌謡曲のなかの空港が気になっていた。
 青江三奈の「国際線待合室」は、歌詞に「よその国」「異国」ということばが出てきて、外国に行った人を思う感情がはっきり出ている。異国に行ってしまっ たというのだから、たんなる観光旅行ではなく、移住なり赴任で外国に行くことをイメージしているのだろう。あるいは、旅行ではあっても、帰国がいつになる かわららない長期の旅行をイメージしているのかもしれない。
 空港の歌といって、私が思い浮かんだ唯一のものが、その名も「空港」(テレサ・テン、1974年)なのだが、歌詞では国内線か国際線かの区別がつかない。男が自宅に帰るのを、愛人である私が空港で見送るという歌詞で、「外国」はなにも感じない。
 同じ台湾出身の歌手がうたった歌が見つかった。「空港」よりも3年も前に出た「雨のエアポート」という歌は、聞けばわかるかもしれないが、題名に記憶は なかった。欧陽菲菲が歌った1971年の歌だ。橋本淳の歌詞を読むと、「明日はよその国・・・」とあって、明らかに国際線だとわかる。恋人が外国に旅立っ ていく、その悲しみを歌ったものだ。
 さて、ここでちょっと疑問が浮かんだ。
 74年のテレサ・テンの歌には国際線が出てこない。
 それより前の、71年の欧陽菲菲の歌には国際線が出てくる。
 ふたりは台湾出身、日本人ではない。
 だから、国際線?
 でも、1971年?
 あっ、そうか。わかった。
 1971年の国連。中華民国(台湾)ではなく、中華人民共和国が正式・唯一の「中国」であると決議された年だ。1972年には、その中国と「国交正常 化」というのを行い、日本もアメリカも台湾を捨てた。そう考えると、好きなのに、あなたは去って行くという歌詞は、意味深い。レコード会社や作詞家・歌手 に、そういう意図があったかどうかわからないが(多分、ないだろう)、じっくりと歌詞を政治的に読むと、「なるほど」という内容なのである。
 ほかにも空港関連の歌はあるが、なにか書きたいという暗示はなにも感じなかった。どうも、空港という場所は、歌とは相性がよくないのだろうか。
 空港で、ときどき考えることがある。日本人だけのことを考えても、利用客のなかには、50年ぶりに日本に帰国した人もいれば、生まれて初めて日本に来た 日本人もいるだろう。空港での別れが、一生の別れになることがわかっている別れもある。さまざまな出会いと別れがありながら、ドラマや歌になりにくいの は、空港があまりに近代的すぎて、情感に乏しいせいかもしれないとも思う。