188話 『地球の歩き方』とアーサー・フロマー その1


 今回は、雑語林186話の続編ということになる。
 インターネットで『地球の歩き方』を巡る話を探していたら、「卒業旅行と『地球の歩き方』の深〜い関係」(2007年3月16日)という文章を見つけた。ヤフーのブログ「勝手にメディア社会論」のなかの一編だ。
 このブログの書き手は、文章を読めば宮崎公立大学助教授新井克弥氏だとすぐわかる。匿名にしているわけではなく、調べれば書き手の名がきちんと明かされ ていた。新井氏といえば、専攻はメディア論、社会学、旅論などであり、『カオサン探検 ― バックパカーズ・タウン』(双葉社、2000年)の著作もある。
 3月16日付けのこの記事は、「地球の歩き方」(ダイヤモンド・ビッグ社)誕生のいきさつを、現社長西川敏晴氏へのインタビューで明らかにしている。ち なみに、ちょっと解説しておくと、現在の関係でいえば、「地球の歩き方」の発行元がダイヤモンド・ビッグ社で、発売元がその親会社のダイヤモンド社であ る。
 1970年、すでにダイヤモンド社への就職が決まっていた大学4年生の西川氏は、ヨーロッパへの旅に出たという。その旅の部分の概要を、ブログから紹介する。

  西川はモスクワに到着すると、旅支度をはじめるために書店に出かけた。先ず英語版のヨーロッパガイドブックを手に入れようとしたのだ。そして、何冊かをあ たっているうちに“One Dallers a day In Europe”という一冊のガイドブックにたどり着く。そこに書いてあったのは、タイトル通り「一日一ドルでヨーロッパを旅する」といった、まさにバック パッキングの指南書だったのだ。西川はこれを片手に数ヶ月のヨーロッパの旅に出た。
実際にこれを使って見ると、すばらしいの一言。感動した西川は「ダイヤモンド社に入社したら、コイツの日本語版をつくってやろう」と決心する。

  この短い文章だけでも、頭の中が疑問符でいっぱいになってしまう。1970年のモスクワの書店に、ヨーロッパ旅行の英語のガイドブックを売っているかね?  当時、ソビエト人は自由に海外旅行などできないことは周知の事実。では、外国人に売るために英語のガイドブックを輸入していたのか。不自然だが、もしそ うだとしても、高額の税金がかかっていたはずだから、西欧で買える本をわざわざモスクワで買うというのはおかしい。
 「モスクワで買った」と西川氏が言い、それを聞いたまま新井氏が書いたのなら、それはそれで、まあ、いいことにしよう。おかしいのは、モスクワで買った というその本のタイトルだ。まず、「1ドルなら、ドルに複数のSがつくのかおかしいぞ」と思ってよく見たら、この綴りもおかしい。ドルは“daller” ではなく, “dollar”だから、“One Dallers”では二重におかしい。引用部分では日本語は勝手に校正したが、日本語の文章にも誤記が多い。ブログというのは、編集者のいない媒体だか ら、書き手が注意しないと、誤字誤記だらけになりやすい。大学の助教授だって同様だ。
 日本語の誤字誤記は、この私とて同様で、他人を批判できる立場にないが、この文章の内容は批判したい。
 旅行研究者であり、メディア論の専門家なら、1970年のヨーロッパが、一日一ドルで、はたしてまともに旅行できるだろうかと、疑いを抱く感覚がほし い。これが現在の大学生のレポートなら「致し方ないかもしれない」と諦めるが、1960年生まれの旅行研究者ならば、ちょっとは疑問に思い、調べて欲し かった。先生が、まず調べてほしかった。
 チンピラライターが調べてみました。
 まず、“One Dollar a day In Europe” という書名の本はない。もちろん、“One Dallers・・・”もない。
 これに似たタイトルの本は、海外旅行、とくにヨーロッパ旅行に強い興味を持っている中高年なら誰でも知っている、アーサー・フロマー(Arthur Frommer)のガイドブックだ。ヨーロッパのものは、“Europe on ○ dollars a day” というタイトルで、○のなかに数字が入る。その数字が「1」だった時代があるのか、あるいは1970年当時は何ドルだったのか、調べてみればい い。じつに簡単なことだ。時代によって、ドルが「$」と記号になっていることもあるが、それは内容とは関係ない。
 次回は、その詳しい話を書く。