203話 雑語林の誕生

 この欄のエッセイが200回を越えているので、記念というわけでもないが、私の考え方を書いておこうと思う。
 この連載が始まったきっかけは、アジア文庫がホームページを作り、そのちょっとあとに私がパソコンを買ったからで、まあ、パソコンで文章を書く練習にも なるので、連載を引き受けたと思っていたが、どうやら違うようだ。いま連載の最初のあたりを読み直してみると、どうもそうじゃなかったらしい。いやはや、 己の記憶力のなんと情けないことよ。
 雑語林を始めた2002年当時の文章を読んで、「ああ、そうだった」と思い出した。あのころはパソコンは検索限定使用で、とくに多用したのが国会図書館 の検索だった。原稿はワープロ専用機で書き、出版社にもアジア文庫へもフロッピーディスク(ああ、なつかしき言葉。いまも、買い置きしたディスクがひと箱 以上ある)を郵送していた。
 原稿をパソコンで書かなかったのは、書きにくかったからだ。いまはメールで原稿を送るようになったから、しかたなくパソコンで原稿を書いているが、いまだワープロ専用機のほうが書きやすいと思う。
 パソコンで原稿を書くようになったのは、タイの雑誌に連載するようになったからだ。その連載も、最初はワープロ専用機で書き、ファックスで送っていた が、遅いファックスだから、A4紙1枚をタイに送るのに500円ほどかかり、その電話代を毎回郵便局に支払いに行かないといけないのが面倒だった。編集者 のほうも、ファックスされた原稿を打ち直して自分のコンピューターに入れるのは面倒で、多忙な編集者を煩わせてはいけないと思い、アジア文庫の大野さんや 旅行人の蔵前さんのアドバイスを受けて、メールで原稿を送るノウハウをマスターした。
 アジア雑語林でなにを書こうとしたのかというと、もちろんアジアの雑事だったのだが、いまとなっては「アジア」をつけなかったほうがよかったかもしれないとも思う。
 それはともかく、2002年ごろだと、まだブログという言葉はなかったかもしれないが、私はブログ的な身辺雑日記を書く気はなかった。なぜなら、その手 の文章を、私自身がおもしろいとは思わないからだ。ほかの人が書くのはまったく自由で、そのことについてとやかく言うつもりはないが、自分では書く気はな い。多分、冗漫になりすぎて、書く緊張感というものを感じないからだろう。
 だから、雑誌に書くように、幾分硬めの文章にした。調べてわかることは、できるだけ調べた。書き飛ばし雑記ではなく、原稿として書いた。そういう緊張感が、好きなのだ。
 書いているうちに意識するようになったのは、「記録」や「保存」ということだ。私がある人物の名をここで書いておけば、いつか誰かが検索すれば見つけて くれるかもしれない。その人の名をネット上に書くのは、もしかして世界で私ひとりかもしれないが、とにかく書いておけば、検索した人が見つけてくれるかも しれない。現実には死んでしまった人でも、インターネット上では生きていて、その名を忘れないかもしれない。あるいは、誰かが、私に代わって調べてくれる かもしれない。忘れて欲しくない人の名、私に代わって誰かが再調査してほしい事柄、そういうことを書いておけば、もしかして誰かが参考にして、わたしの文 章よりもよっぽどいいレポートにしあげてくれるかも知れない。そういう期待を込めた検索ネタをばら撒いておきたいのだ。私自身の日常身辺雑記では、検索に 引っかかるような語句はでてこない。
 インターネット上の文章は、印刷物と違って、残りにくいという欠点があるが、検索しやすさという利点を生かして、いくつもの資料を提供してきた。わずか だがいるらしい読者が、はたして喜んでいるかどうかわからないが、まあ、それは私にはどうしようもないことだ。私にできることは、ただ、好きなように書い ていくことだ。