229話 『日米会話手帳』に関して、またまた。これで3度目だ。



  日本人の外国語学習史に興味があるので、その関連の本を折に触れて読んでいる。今年の春に読んだのが、『日本人と英語 ――もうひとつの英語百年史』(斎 藤兆史、研究社、2007)で、日本人と英語に関する歴史を解説する本だから、『日米会話手帳』が当然ながら登場する。で、残念ながら、版元が正しい「科 学教材社」ではなく、あまたの本が間違えている「誠文堂新光社」になっている。著者が英語史の専門家である東京大学教授であり、版元が英語の本の研究社だ から、この間違いはイタい。
 『日米会話手帳』については、すでにこのアジア雑語林の103と199で触れているから、未読の方は、まずその文章を読んでください。
 さて、今日だ。外国語学習史の関連で、『英語ベストセラー本の研究』(晴山陽一、幻冬舎新書)を買った。売れているらしく、2008年5月30日第1刷で、6月10日には2刷になっている。私はその2刷を買った。
 この本でも、当然『日米会話手帳』が紹介してあり、「あんたもかい!」と言いたくなった。ここでも、版元を「誠文堂新光社」にしている。それだけの間違いなら、いままでの本と同じあやまちなのだが、この新書の場合は問題が多すぎる。
 すでにこのアジア雑語林で書いたように、『日米会話手帳』は古本屋を探しても見つからないし、国会図書館にもない。だから、『日米会話手帳』を写真で全 ページ紹介し、出版にいたるいきさつを解説している『「日米会話手帳」はなぜ売れたか』(朝日文庫)を参考書にするしかない。
 『英語ベストセラー本の研究』も、やはり朝日文庫を参考資料にしたと明記し、引用もしている。しかし、それならば、版元を間違えるはずはない。『日米会 話手帳』の著者は誠文堂新光社の社長である小川菊松だが、なぜ自社から出さなかったのかという話は、資料にしたという朝日文庫にちゃんと書いてあるのだ。 朝日文庫を「参考にさせていただいた」と書いているが、どうやら読んではいないようだ。
 また、「誠文堂新光社は科学系書籍の出版社であったため、物資の不足していたこの時期に、なお大量の紙を保有していたのも幸運だった」と書いているが、 「科学系書籍の出版社」ならば、なぜ大量の印刷用紙が割り当てられていたのか、まったく説明がつかない。著者は納得して原稿を書いたのだろうか。
 正解は、こうだ。誠文堂新光社は戦時中、軍国賛美の本を多く出していたので、軍部に優遇されていた。そのせいで、大量の用紙を割り当てられていたのだ。しかし、戦時中のそういう活動のせいで、社長の小川はGHQにより公職追放にあうのである。
 『英語ベストセラー本の研究』の著者が準備段階でしておくべきだったのは、英語関連本であるかどうかに関わらず、まず戦後のベストセラー全体の勉強をし て、それから英語関連本に手を着けるべきだった。著者は元編集者なのだから、なおさらそのことに気がついてほしかった。英語関連のベストセラーなら、この 『日米会話手帳』や『英語に強くなる本』(岩田一男)に関しても、例えば『ベストセラーの戦後史』全2巻(井上ひさし文藝春秋、1995)など、詳しく 書いてある本は多数ある。
 『英語ベストセラー本の研究』は、どうも信用ならないのではないかと思い始めると、校閲しながら読んでしまう。すると、すぐにおかしな個所が見つかった。
 「一九四六年二月に、「カム・カム・エヴリバディ」の歌声で有名な、平川唯一の『NHKラジオ英会話』の放送がスタートした」とあるが、1946年には まだテレビはないのだから、番組名にわざわざ「ラジオ」と明記するわけはない。正しい番組名は「英語会話」である。
 『みんなのカムカム英語』(平川唯一、毎日新聞社、1981)から、「kitty, kitty. Come on, kitty. Come here.」という例文を引用しながら、「私が驚いたのは、ここにはトムもメアリーも登場しないことだ。出てくるのはすべて日本人であり・・・」と書いて いる。ということは、このキティーちゃんは日本人なんだ。
 出版をよく知っているはずの元編集者が書いた本にしては、あまりにずさんである。
 驚いたことに、AMAZONの読者評価ではかなり好評なのだが、読者もきちんと読まずに評価したのだろうか。