230話 英語を学ぶ目的は


 今回は、『英語ベストセラー本の研究』(晴山陽一、幻冬舎新書)を点検しながら、日本人が英語を学ぶ目的について考えてみたい。
 晴山氏によれば、1949年から使われ始めた英語の教科書『ジャック・アンド・ベティー』には序論「なぜこの書はつくられたか」があるそうだ。
 その序論で、英語教育の目標について、次のような項目があるという。
1、英語で考える習慣をつけること。
2、英語の聴き方と話し方とを学ぶこと。
3、英語の読み方と書き方を学ぶこと。
4、英語を話す国民について知ること。特にその風俗習慣および日常生 活について知ること。
 これらの項目について、晴山氏は、こう書いている。

 「こうして見てくると、日本の英語教育の目標について、実は六十年以上前に立派な模範解答が示されており、以後の英語教育の迷走ぶりは、この模範解答に対しまるで駄々っ子のように、逡巡し抵抗を繰り返してきた歴史であるように思われる」

  晴山氏の文章の特徴は、表面上はわかりやすそうな文章でありながら、じつは何を言いたいのか、読者にはなかなか伝わらない舌足らずな文章だということだ。 上に引用した文章で言えば、「駄々っ子のように、逡巡し抵抗してきた」とは、具体的にどういう主張が誰によってなされてきたのか、詳しい説明がいっさいな い。書いている本人はわかっているのだろうが、読者には伝わらないという個所がほかにいくらでもあるが、ここでは触れない。
 さて、この序論は、晴山氏の言うように、日本人に対する英語教育の目標として、はたして「立派な模範解答」なのだろうか。別の言い方をすれば、日本人が英語を学ぶ目的の「立派な模範解答」なのだろうか。
 英語教育の素人である私の直感でいえば、日本人にとって英語とは、戦前は「イギリス人のことば」であり、戦後に「アメリカ人のことば」になった。実質的 にはアメリカ軍である進駐軍の占領下では、英語を学ぶということは、アメリカ人が日本人に見せたがっているアメリカの素晴らしさを学ぶことであったはず だ。
 いまでもそう信じている日本人は少なくない。やたらに「ネイティブの発音は・・・」などと言うようなことを言いたがる人たちだ。英会話学習書の重要な買 い手群(大して読まないだろうから、「読者」ではないだろう)は、そういう人たちだろう。アメリカ人のように英語を発音できるようになれればいいなとつま らん憧れを抱いているから、いつまでたっても話せるようにならないのだ。英語学習書がたえず売れ続けている理由は、それがダイエット本と同じだからであ る。人々は「本を買えば効果がある」と思い込んでいるから、次々と本を買うのである。
 戦後の英語教育史上、「アメリカを学ぶための英語」という時代は、もうとっくに終わっている。
 英語の教科書を編集している友人によれば、もう何年も前から、英語の教科書にアジアやアフリカの話が出てくるようになって、アメリカやイギリス一辺倒という時代は終わり、「英語の教科書も、なかなかやるな、という時代ですよ」という。
 日本の外務省でさえ、日本人の名前のローマ字表記を、以前は西洋人のサル真似をして名・姓の順で書いていたものを、日本式に姓・名に改めてパスポートに記入するようにしている。
 英会話学校であれ、テレビの英語講座であれ、英語教師といえばいつも白人という時代が、少しずつ変わりつつある。
 戦後の英語ベストセラー本の流れをしっかりとつかんで論評するなら、このポイントをしっかりと押さえておかなければいけないと、英語教育の素人は思うのである。
 私なら、こう書く。
 「『ジャック・アンド・ベティー』の序論は、英語がアメリカ文化を学習する手段であった時代の歴史資料としては重要であるが、現実的にはもはや時代遅れ である。英語は、英語を母語とする人たちの文化を学ぶためだけの言語ではない。英語は、多少であっても英語を理解できる、世界のありとあらゆる人たちとの 意思疎通の道具であり、情報を集め、出す道具のひとつと考えられるようになった。それが、日本の戦後英語教育史の大きな変化である」