231話 大正時代の海外旅行事情 その1



 海外旅行体験記というものは、明治初期から出版されているものの、詳しい旅行事情はよく わからない。出国までの手続きや、携行品の内容や、渡航資金はどのくらいかかったかといったことがよくわからない。そこで、ちょっと資料を探してみると、 たまたま『米国旅行案内』(上村知清、日米図書出版社)という本が見つかった。大正8年の出版だから、1919年ということになる。これが最初の旅行ガイ ドではないだろうが、参考になりそうなので、内容を紹介してみよう。
 本題に入る前に、書誌学的な話題を書いておこう。次のように、ややこしい事情があるからだ。国会図書館のリストでは、『米国旅行案内』という書名で検索すると、次の4冊が収蔵されているとわかった。出版年の古い順に書き出すと、次のようになる。
1、上村知清著        新光社 大正8年 (1919)
2、  〃      海外旅行案内社 大正13年(1924)
3、  〃           〃     昭和2年 (1927)
4、滝本二郎著  欧米旅行案内社 昭和5年 (1930)
 私が読んだ日米図書出版社版は国会図書館にはないようだが、同じ著者が同じ年に同じ書名の本を出版している事実は、興味深いが深入りしない。おそらく、同じ内容の本だろう。
 私は、この本を古本屋で手に入れたわけではない。ゆまに書房から2007年に復刻されたものを読んだのだ。復刻版でも1万4000円もする本だから、私にとっては珍しいことに、図書館で借りて読んだ。
 では、さっそく、海外旅行の準備に入ろう。
 旅券取得 明治33年改正の海外旅券規則による。
 申請書に記入するのは、次の事項。
 1、氏名
 2、本籍地
 3、身分(これは、戸主とか長男といった区別)
 4、族称(皇族、華族、士族、平民の別)
 5、年齢
 6、職業
 7、旅行地名
 8、旅行の目的
 この申請書に、戸籍謄本をそえて、それぞれの地方の役所に申請する。手数料は収入印紙で 50銭。当時の50銭がどのくらいの価値があるのか調べてみたら、12色のクレヨンが30銭、そば一杯が10銭弱だから、特別に高額というわけではない。 いまのパスポート代金よりも、むしろ安いくらいだ。
 給付されるまでにかかる日数は書いてないが、給付されてから6カ月以内に日本を出ないと無効になる。この当時の旅券は現在の数次旅券とは違い、帰国するまで有効の一次旅券だ。
 現在と大きく異なるのは、保証人が必要なことだろう。保証人は、渡航者の旅費全般に責任を持つ。旅先で無一文になったとか、病気で帰国できない、客死したといった場合に発生する費用のすべてに責任を持つという保証書だ。
 船旅  南ルートであるハワイ経由なら17日間、シアトルに行く北ルートなら13日間ほどで到着する。運賃は横浜からシアトルまで、1等600円、2等350円、 3等100円。当時、サラリーマンの初任給が30〜40円くらいで、大正9年の小学校教師の初任給が40〜55円だったことを考えれば、船底の地獄部屋の ごとき3等室ならば、アメリカ旅行が1960年代よりも割安だったと考えられる。
 驚くほど高いのが、アメリカの入国税だ。乗船券購入時に支払うことになっているが、その額は、8ドル(16円)。船賃が100円で、入国税が16円は高い。ただし、60日以内にアメリカを出国する者は、払い戻しの制度がある。