232話 大正時代の海外旅行事情 その2



 アメリカ入国の注意事項は、「見せ金」を用意しておくことだ、とある。出稼ぎ目当ての貧乏人を入国させないための措置で、3等室の客はとくに念入りに詮索される。だから、100円ほどの金を用意しておかないと、入国拒否にあうかもしれないというのだ。
 「見せ金」は、私自身もやったことがある。イギリスに入るときだ。イギリスの入国審査は今でもうるさいようだが、1975年当時もうるさかった。貧乏人 がイギリスに出稼ぎに来たんじゃないかと疑って、旅行者を取り調べたのである。ヒースロー空港に到着した私は、まさに貧しい国から来た貧しい若者そのもの で、イミグレーションで「持っているカネを全部見せないさい!」と言われ、厳しい取調べを受けた。
 そのときは、なんとか入国が許される程度のカネを持っていたのだが、その後のヨーロッパ大陸の旅で、資金のあらかた使ってしまった。フランスの港から船 に乗り、再度イギリスに入るというとき、所持金不足により入国拒否にあう可能性が考えられた。船上で出会った同類の貧乏旅行者たちは、互いに助け合い、そ れぞれが持っている米ドルの現金をかき集め、バラバラに入国の手続きを受けに入った。数時間の間に、船内の一室に設けられたイミグレーションカウンターに 行って、審査を受けるのである。ひとりが入国のスタンプを受けると、貧乏人用の客室に戻り、手元の現金は次に審査を受ける旅行者の手に渡り、あたかも自分 のカネのような顔をして入国審査を受けたのである。
 さて、大正時代のアメリカ旅行に話を戻す。
 携行品について、興味深い記述があるので、そこだけ箇条書きにしてみよう。
・シャツ、ズボン下、ハンカチなどは、アメリカが本場だから、日本で買うより安くて高品質だから、わざわざ日本から持っていくことはない。服は、アメリカには既製服がいくらでもあって日本より安いが、注文服となると、日本よりもよほど高い。
・船中でかぶる鳥打帽と、燕尾服にあう帽子が必要。
・3等船室には毛布はないので、持参すること。
・万年筆を2本持っていくこと。サンエス万年筆がいい(広告が出ているから提灯記事だ)。
・宝丹(胸やけ、吐き気などの薬)、仁丹、胃酸、風邪薬、消化薬、便通剤などを用意する。

 携行品の説明で、また「スモーキング」に出会った。「また」というのは、以前に紹介した 『ヨーロッパの旅』(辻静雄保育社、1965)の携行品のなかに、「スモーキング」という語があり、「モーニング」の誤植かと思ったが、確認すると「ス モーキング・ジャケット」なるものがあると知った。おおざっぱにいえば、フランスではタキシードのことを「スモーキング」というらしく、「仏和辞典」にも 出ていた。ネット検索によると、まだ死語にはなっていないようだ。タキシードはもちろん、背広だって持っていない私なので(じつはネクタイも持っていな い)、こういう服飾用語はまるでわからない。
 あの時代、アメリカのビザを、どのようにして取得したのかという具体的な情報はないが、どういう人物が、アメリカ入国を拒否されるかということが箇条書 きで書いてある。多妻の者とか無政府主義者といった事柄を除けば、差別語とされるものばかりで、引用がはばかられる。さまざまな心身障害者が拒否されたの である。
 税関の説明で興味深かったのは、まず、これ。
 ラッコの皮を使った衣服は、輸入を禁止されている。
 ラッコの毛皮は、保温力に優れているために、高級毛皮として人気が高く、20世紀初めには絶滅寸前の危機に瀕していた。そこで1911年には、国際的な保護条約が結ばれている。このガイドブックの発売は1918年だから、まさに保護運動のさいちゅうだったことがわかる。
 タバコは紙巻なら300本まで持ち込めるが、酒はいっさい輸入できない。
 そうか、禁酒法の時代だったのだ。禁酒法は19世紀なかばから州ごとに制定されていたが、全国的な法律として施行されるのは、1920年以降である。
 最後に、ホテルと食費に関する金額を書き出しておこう。
 ホテル代は、シカゴやニューヨークなどの大都市では、一泊浴室付で5ドル以上。一週間で10ドルほどの下宿もある。食費は個人差があるが、朝食で75セ ント、昼食なら、1ドル50セント。夕食なら2ドルといったところだろうとあるが、ホテル料金と比べると食費が高い。しかし、フルコースの食事とワインの 金額を想定しているなら、高額になるのは当然だろう。
 大正8年ごろ、1ドルは約2円だった。大正12年の帝国ホテルの宿泊費は、シングル8円、ツインが14円だから、ドルに換算するとそれぞれ4ドルと7ドルということになる。