228話 1952年生まれの旅行者


  すでに死んでしまった8人の旅行者たちの生涯を紹介した『ラストシーン』(小林誠子、バジリコ、2007年)を読んだ。登山家の若山美子以外、植村直己や 上温湯隆など、著作を通じてではあるが、よく知っている人ばかりだ。だから、単なる、「生涯のあらすじ集」でしかないこの本を高く評価することは出来ない し、引用のしかたや、写真のクレジットなど、執筆技術の点でも問題の多い本だと思う。
 まあ、そういうことはともかく、登場人物の年表を眺めていて、あることに気がついた。サハラをラクダで横断しようとして渇死した上温湯隆(かみおんゆ・ たかし)と、ロシアでクマに襲われて死んだ写真家星野道夫は、ともに1952年生まれなのだ。星野は9月、上温湯は11月のうまれだ。なぜ、そんなことが 気になったかといえば、同じ年の4月に私が生まれているからだ。
 ただし、同年生まれという親近感はない。ただ、同じ時代を生きたので、時代背景を共有できることに興味を覚えたのだ。
 上温湯は、高校を中退して働いてカネを作り、1970年、17歳で一度目のアジア・アフリカ方面への旅に出た。帰国したのは、72年だ。
 上温湯が資金作りに励んでいるころ、慶応高校の生徒だった星野は、アメリカ旅行に行っている。1969年のことだ。『ラストシーン』から、その部分を引用してみる。

 「大学生になってアラスカを目指した星野だが、高校二年の時アルバイトで貯めたお金では足りず、父に資金援助をしてもらい横浜港から『アルゼンチナ丸』に乗り、アメリカ四十日間バスやヒッチハイクで一人旅をしている」

 この本の別の個所では、アメリカだけではなく、メキシコ、カナダも旅していることがわかる。
 さて、例によって、駆け出しの海外旅行史研究家としては、気になることがふたつある。
 ひとつは資金のことだ。1969年当時、あるぜんちな丸(ひらがな表記が正しい)の横浜・ロサンゼルス間の片道運賃は、最も安い大部屋で12万2400 円。往復だと1割引きになり、約23万円。だから、総旅行費は30万円以上と考えられる。1969年ごろといえば、学生アルバイトの日給が1000円くら いの時代だ。高校をやめて本格的に働いた上温湯は、香港までの切符を買ったらそれほど残らなかった。大学の夜間部に入学し昼間働いていた鈴木紀夫(小野田 氏発見者で有名)だって、1年かかってやっと作った20万円が、1969年の初旅行の全資金だった。ちなみに、星野の5年前におなじあるぜんちな丸に乗っ てロサンゼルスに向かったのが植村直己だ。その植村も、片道の運賃分しか稼げなかった。そういう時代背景を考えれば、「父に資金援助をしてもらい」という のが、実際は、「ほとんど親に出してもらい」なのだろうと推察される。
 もうひとつの問題は、時間だ。横浜・ロサンゼルス間は船で15日かかる。もし、往復とも船を使ったとすれば、全日程40日間のうち、30日は船上にいた ということになる。それで、アメリカ、メキシコ、カナダをヒッチハイク? 帰路を飛行機にすれば、日程的にやや楽になるが、資金的につらくなる。
 星野のこの旅が架空だろうと言いたいのではない。大金を使った高校生のあわただしい旅だなあと思っただけだ。
 ひがんで言うわけじゃないが、外国に行きたいと思っていたこの前川は、なかなかカネがたまらず、資金援助してくれるような父もおらず、1973年まで資金稼ぎが続いてやっと出国できたのだ。