274話 1969年高校生星野道夫のアメリカ旅行


 このアジア雑語林の228号「1952年生まれの旅行者」で、星野道夫の高校時代のアメリカ旅行について少し触れた。
 あの文章を書いたあと、高校生の星野の旅についてもう少し詳しく知りたいと思いつつ時間がたってしまったので、このさい『星野道夫物語』(国松俊英、ポ プラ社、2003)を買って、いっきにカタをつけてしまおう。星野の『旅する木』は、我が家のどこかで行方不明になっていて、何度か捜索隊が出動したが、 残念ながらまだ発見されていない。『旅をする木』がなくても、なんとかなりそうなのでこのまま作業を進める。
 高校1年の冬と春に働いて、星野少年は8万円の現金を作った。大卒初任給が3万円ほどの時代だ。高校2年生になった1969年の夏休み、少年はアメリカに行こうと決心する。しかし、旅行資金がまるで足りない。息子の熱意を知った父親が、不足分を出してやることにした。
 こういういきさつはすでに知っているのだが、はたして旅費の全額はいくらだったのかという推理をするのが、今回のテーマだ。旅行探偵の出動である。
 横浜―ロサンゼルスは、移民船あるぜんちな丸。『船旅への招待』(茂川敏夫、新声社、1971年)によれば、あるぜんちな丸のもっとも安いクラスは、 12万2400円。ロサンゼルスー東京の帰路は、飛行機を使った。運賃を調べてみると、意外にも船の運賃とほぼ同じ12万9600円だった。交通費を安く したいなら、船を使う必然性はない。もしかして、船の運賃はもっと安かったのかもしれないとは思うのだが、1964年に同じあるぜんちな丸でロサンゼルス に渡った植村直己は、「10万800円」支払ったとあるから、69年の星野少年が12万2400円支払っても不思議ではない。
 というわけで、日本・アメリカの往復運賃は、26万円ほどになる。アメリカやカナダでは、グレイハウンドバスを利用している。交通費を安くしたいから、 30日間99ドル乗り放題のアメリパスを買っているはずで、日本で買って、多分3万6000円。少年は、メキシコにも行き、ユカタン半島メリダからアメ リカのニューオリンズまで飛行機で飛んでいる。この費用はよくわからないが、数万円だろう。
 というわけで、交通費合計は35万円くらいになるだろう。
 1969年当時、一次パスポートは1500円。アメリカとメキシコのビザ代(カナダはビザが要らない)、予防注射代などを含めて、1万円ということにし ておこうか。食費や宿泊費、装備費などを合わせて5万円とすれば、星野少年のアメリカ旅行の総額は40万円ほどということになる。このうち、8万円は自己 負担、残り三十数万円が親からの援助ということになるようだ。当時の40万円は、大卒の若きサラリーマンの年収くらいと考えれば、現在の300万円くらい の価値があるだろう。実家が資産家であるかどうか知らないが、慶応高校2年生の夏休みお坊ちゃん旅行であることは確かだ。
 旅行日数のことも考察してみると、こういう計算が成り立つ。
 40日間(全体の旅行日数)−16日間(あるぜんちな丸の船上)−10日間(カナダ人宅で居候)=14日間
 この14日間が、アメリカ南部、メキシコ、アメリカ東部、カナダ、アメリカ西部をバス旅行しているのだから、ほとんど夜は車中泊だったのではないか。 ニューヨーク・ロサンゼルス間は、バスに乗り続けていても3日かかるのだから、大忙しの北米大陸旅行だったことがよくわかる。
●追記:この文章を書いたあと、偶然にも書棚の奥で居眠りしていた『旅をする木』(文春文 庫 5刷 2001年)を発見した。高校生時代の旅について書いた「十六歳のころ」という章で、以前読んだときには気がつかなかった発見があった。こうい う文章がある。「一九六八年夏、ぼくはアルゼンチナ丸というブラジルへ向かう古くからの移民船に乗って、横浜港を出た」。星野が高校に入学したのが 1968年で、高校2年生の夏、1969年7月3日に横浜港を出たのである。9月生まれだから、この時たしかに16歳なのだが、「一九六八年夏」のことで はない。著者が勘違いして「一九六八年」と書き、1995年の単行本でも訂正されず、文庫版でも訂正されなかったわけだ。