730話 1967年のヨーロッパ旅行 その1


 図書館では、旅行ガイドブックは数年で廃棄処分になってしまう。「情報が古い」、「使い物にならない」、「置き場所がない」といった理由で処分されるのだが、ガイドブックは紀行文と違って、旅のこまごまとした情報が詰まっていて、使い方によっては宝の山なのだが、それを宝だと認識する人はそう多くない。
 そういう訳で、折に触れて、古本屋で昔のガイドブックを探している。今年になって気がついたのは、ある古本屋が、昔のガイドブックにかなりの高値をつけていることだ。古いガイドブックに価値を認める古本屋が現れたことは喜ばしい。ただし、骨董品やマンガのように、ある種のものが高くなると、私には手が出なくなるので、いまのうちに買っておくことにしよう。
 つい先日手に入れたのは、『ブルーガイド海外版JALシリーズ ヨーロッパ一周の旅』(編集・監修:日本航空ブルーガイド編集部、発行:実業之日本社、1967)。定価480円の本を、500円ほどで買った。このガイドブックをネタに、在りし日の海外旅行事情の散歩をしてみたいのだが、まずは当時の物価を押さえておこう。情報源は私の愛読書、『値段の風俗史』上下(週刊朝日編、朝日文庫、1987)から、1967年ごろの物価を書きだしておく。
 ラーメン 100円/標準米10キロ 1520円/帝国ホテル(ツイン) 4300円/小学校教員初任給 2万1900円/都市銀行初任給 2万8500円/慶応大学年間授業料 8万円/国立大学授業料 1万2000円/銀座三愛付近の一坪の実売価格(1965年) 450万円/東海道新幹線(東京・新大阪 ひかりの運賃+特急料金)2780円
 [旅行計画]
 「人気のある都市と国」のコラム。旅行社と航空会社が企画しているヨーロッパツアーから、ガイドブック編集部が観光客数と滞在日数から36位まで順位をつけたもの。「観光客数」というのが、わからない。実際に旅行した人数はわからないだろうから、ツアーの募集人員という意味か。
 1、ローマ 2、パリ 3、ロンドンがダントツの3都市で、4位のジュネーブを大きく引き離しているという。ローマが人気なのは映画「ローマの休日」の影響かとも思ったが、ツアー参加者は、「ローマの休日」にうっとりした世代ではないような気がする。都市別人気旅行地を国別で見てみると、イタリア9都市、ドイツ8都市、フランスとスイス5都市、イギリスはロンドンのみ。現在同じような調査をすれば、完全に勘だけで書くが、ドイツの都市がかなり減り、バルセロナをはじめとするスペインにとって代わるだろう。
 [日本からヨーロッパへ] 次の5ルートが考えられる。
⑴日本(南回り)―ヨーロッパ 空路
⑵日本(北回り)−ヨーロッパ 空路
⑶日本(モスクワ経由)―ヨーロッパ 空路、海路&鉄道、海路&鉄道&空路の3種
⑷日本(インド洋経由)―ヨーロッパ 海路、海路&空路の組み合わせも可
⑸日本(太平洋・大西洋経由)―ヨーロッパ 海路、海路&空路
 時間的にいちばん便利なのは⑴と⑵で、日本航空便で、南回りでは24時間でローマ着、北回りでは16時間でパリなどに到着する。日航の南回り便は、東京―香港―バンコクカルカッターカラチ―カイローヨーロッパと、東京―香港―バンコクニューデリーテヘランーカイローヨーロッパの2ルートだった。カイロを経由する意味は、わからない。
 巻末に、飛行機でヨーロッパに直行しない旅行情報が載っているので、ちょっと紹介してみよう。モスクワ経由で船・鉄道・飛行機を使った場合、横浜・ナホトカ(ソビエト)は53時間、もっとも安いクラスで2万2000円。ナホトカーハバロフスクは鉄道16時間、ハバロフスクーモスクワ飛行機。このコースで、横浜―ウィーンを例にすると、総額12万円くらいだが、モスクワから鉄道でウィーンに行くなら、ちょっと安くなる。
 このころは、船でヨーロッパに行くことができた幸せな時代の最後だった。ただし、安い船を探すのは大変だったらしい。MM(フランス郵船)の船で、ヨーロッパまで最低クラスで片道16万円ほど。貨客船が見つかれば、もっと安く行けたが、シベリア鉄道経由の場合と料金的にはほとんど変わらない。したがって、ヨーロッパまでの船便を探す人は、船の旅が好きなのか、アジア旅行を楽しみたい人か、オートバイなど荷物が多い人向きだ。1970年代に入るとフランス郵船の運航停止とともにヨーロッパへの船旅の時代が終わりを告げ、シベリア鉄道ルートが安くヨーロッパに行くコースになるのだが、往復の交通費ということなら、70年代後半にはもう飛行機の方が安くなった。