1645話 鉄道の旅 その1

 

 都市Aから都市Bに移動する場合、交通手段がバスと鉄道の両方ある場合、運航スケジュールや料金などで鉄道が不利というわけでなければ、鉄道を選択する。その方が、車内が広々していて、運行中に車内散歩もできるから、バスよりも快適なのだ。

 しかし、場合によってはバスを選択することもある。高速バスは街に入らないから詰まらないのだが、いわば各駅停車のように、数時間おきに街で客を拾っていくようなバスなら、自分から望んではけっして訪れないような、ガイドブックには名前さえない小さな街を走り、バスターミナルでしばらく停車する。田舎町の商店街や市場なども眺め、広場の露店や屋台などを眺めて旅する楽しみは、鉄道の旅では味わえない。

 私は「鉄道好き」というわけではないし、ましてや「鉄道マニア」ではまったくない。しいて言えば、「なんとなく鉄道が好き」という程度だが、並みの「鉄道好き」という人たちよりも乗っている路線が多少はあるかもしれない。タイの鉄道は、大筋の路線は乗っている。バンコクシンガポール線を一気に乗っている。台湾の阿里山鉄道は1970年代に乗っているので、現在は運行していない終点まで行っている。インドのダージリンに至るダージリン・ヒマラヤ鉄道にも乗っている。スーダンやエジプトの鉄道にも乗っている。韓国のソウルから釜山まで各駅停車の列車に乗っている。今は亡き、香港の九広鉄路にも乗っている。始発駅は時計塔があった旧九龍駅だ。

 日本国内だと、宇高連絡船で宇野(岡山県)に着き、宇野線赤穂線などを経由して各駅停車で加古川駅兵庫県)で乗り換え、加古川線で北上したことがある。田舎の鉄道を甘く見ていてひどい目に合ったのが、長野県の飯田線だ。伊那で地図を見て、「豊橋に鉄道で行ける」とわかり、何も考えずに鉄道に乗ったのだが、まだ明るいというのに最終列車だとわかり、飲み食いできず、トイレもない車両で、途中下車したらアウトの6時間鉄道旅行だった。

 そういう体験はしているが、旅行先に線路があれば乗りたくなるという程度の旅行者にすぎない。鉄道を利用するためにわざわざ出かけたことは今まで一度もない。移動手段のひとつとして、鉄道を選ぶだけなのだが、実は鉄道に乗るだけのために出かけてもいいと思える場所がある。とくに観光などしなくてもいい。ただ、鉄道に乗り、車窓を楽しんでいるだけでいいのだ。行くのが大変な場所ではない。行く気になれば、いつでも行くことができる大観光地だ。

 昔は、魅力をまったく感じなかったから、一生行くことはないだろうと思っていた場所だが、数年前にテレビで山岳鉄道が走るシーンを見ていて、「いいなあ、スイス」と思っている自分に気がついて驚いた。ヨーロッパに対するアレルギーが無くなったからかもしれない。ただの「いいなあ」と言うだけだから、ガイドブックや地図で調べることなど何もしていない。どの山を見たいとか、どの街から乗るといった情報はまったく持っていない。まるでカレンダーの写真を眺めているように、「いいなあ」と思っているだけだ。

 「いいなあ」と思っても、なかなか実行に移さない理由は、破格の金額になると予想されるからだ。「スイス鉄道の旅は、私たちでさえ、とんでもなく高いんです」と、ローマで会ったスイス人夫婦が言っていた。それが具体的にどのくらい高いのか調べていないが、鉄道料金の常識的金額ではなく、ジェットコースターのような遊園地の遊具の料金の範疇だろう。それなら1分500円でも納得すべき金額かもしれないが、とても私が払える金額ではない。料金や切符を買う手間などを考えると、ツアーに参加するのがいちばん便利なのだろうなどとも考えるが、具体的にツアー料金を調べたこともないのだから、スイス鉄道の旅は、たぶん実現しないだろう。