227話 不敬罪本の謎


 2000年に出たその本を、アジア文庫で見た記憶はあった。それ以外の記憶はないのだが、おそらくページをパラパラとめくって、「まあ、買う必要のない本だな」と結論を出し、本を平台に戻したのだろう。
 その本、『チェンマイ田舎暮らし ――微笑の国で年金生活を充実させる』(高橋公志、マガジンハウス、2000)をめぐる不敬罪騒ぎを知ったのは、さ て、いつだったか。タイ王室を侮辱した内容だということで、タイ警察が捜査を始めたということだったか、詳しくは何も覚えていない。日本で発売している本 だから、タイの司法がいきなり発売中止という処分が下すことはないが、日本側としても自主規制をして発売中止、すぐに絶版にしただろうと思った。不敬罪を 不快には思うが、その本に興味がなかったから、その後のいきさつを調べる気はなかった。
 ところが、ちょっと前のこと、例によってインターネット古書店の販売目録を読んでいたら、この本がリストにあった。いわくつきの本なら、とんでもない高 値がついているに違いないと思ったら、普通の古書価格だ。つまり、捨て値だということだ。それならばと、ついつい調子に乗って、カチッとクリックして購入 してしまった。
 数日後、送られてきた本を読んでみたのだが、不敬罪として告発されそうな記述はいっさい見つからないのだ。もしかして、削除して「2版」あるいは「2 刷」にしたのかと思い奥付けを確認すると、「二〇〇〇年八月二四日 第一刷発行」になっている。初版初刷りのままということだが、これはいったいどういう ことだ。
 著者がタイで不敬罪に問われたその版元、マガジンハウスがとる態度は、次の3つだろう。
 1、不敬罪など無視して、そのまま発売を続ける。
 2、絶版にする。
 3、手直しして、いわば改訂版を出す。
 タイでは売らないということにすれば、1の態度をとることも出来るが、同社の雑誌などタイ取材が一切禁止される事態になれば、損害は大きい。よって、態度1は、ない。
 もうある程度売れたあとだろうから、今後急激に売れないから、多額の費用をかけて改訂版を出すくらいなら、絶版にするという態度2が、適正な判断だろうと思う。
 ところが実際は、不敬罪になりそうな記述を削除して、しかし、奥付けはそのままで増刷したらしいのだ。「まだまだ売れるぞ」と版元が判断したようだ。アジア本の世界を知っている出版人なら、おどろきの判断じゃないですか。
 さて、ここから先は、ネット情報をもとに調べた結果だ。
 問題となった個所は、ネット上で読めた。犯罪となるかどうかはともかく、品のない記述ではある。著者は、2003年2月にタイ当局により逮捕され、7月に禁固1年6月、執行猶予2年の判決が下されている。
 ということは、発売後3年たって、告発されたわけで、そのころ初版がほぼ売り切れていたので、手直しして再販したというのであれば奥付けで「2刷」に なっているはずで、よくわからない。某有名中堅出版社は、カバーに「改訂版」と印刷し、再販本をそのまま売っていたのは知っている。本は初版のままの奥付 けだった。改訂版じゃなくて、改装版だよ。
 そうそう、いま思い出したが、“The Devil‘s Discus”も、確信はないが、たぶん不敬罪になったんじゃないかなあ。日本語版は『タイ国 王暗殺事件』(レイン・クルーガー著、徳岡孝夫訳、エール出版、1974年)で、定価1000円は、高い。ちなみに、この原稿執筆時にアマゾンでは1冊出 品されていて、売値は2万1000円。
 私はだいぶ前に、早稲田の古本屋で買った。1000円だった。読んでみれば、1000円以上だして買う価値はないが、読みたくなるタイトルではある。