226話 柳の下のカレー本たち


 もう何年も前からカレーとラーメンがブームのようで、専門店だけでなく、出版部門でもカ レー本やラーメン本があまたある。しかし、カレー本もラーメン本も、内容はほとんど大差なく、店ガイドと既刊書の焼き直しという、あいも変わらぬ「柳の下 のドジョウ本」からほとんど抜け出していない。カレーが好きな日本人が1億人いても、カレーについて深い興味を持っている人は数百人もいないらしい。
 自称「カレー好きライター」はひと山いくらで売れるほどいても、新たな資料を見つけて分析する者もなければ、周到なフィールドワークで新境地を切り開く 者もいない。読者が「食べる」ことにしか興味がないから、出版側も粗製乱造を繰り返しているのだろうか。「森枝卓士を越えてやろうじゃないか」と、果敢に 挑戦するライターがいてもいいと思うが、登場するのは焼き直しばかりだ。
 こういう出版状況が腹に据えかねて、『アジア・カレー大全』 (旅行人)という画期的な本を企画したのだが、華々しく売れるという状況にはない。「自称カレーマニア」たちでさえ、韓国や中国のカレー事情にはまるで関 心がないらしいのだ。食文化研究というのは、スポーツと並んで、外見は派手だが、研究書の少ないマイナーな分野なのだ。そういえば、マンガもファンは多い 世界だが、読者の数に比べて研究者は少ない気がする。とくに、外国のマンガ事情に関心がある人が少ないらしい。カレーも、ラーメンも、マンガも、日本が世 界一だと思っていて、日本国外への関心がないのだ。
 日本語の本にはもはや期待ができないから、英語のカレーの本を探してみた。アマゾンなどで探してみて、まっさきに気がついたのは、「Curry」さんという姓の人が多いことだ。「curry」で検索すると、著者名のCurryでヒットしてしまうのだ。
 カレー氏に驚いたあとで気がついたのは、英語でもカレーの本が多いことだ。タイやマレーシアの書店で、英語の本をチェックしてみても、「カレー」や「イ ンド料理」に分類できる本が数多くあることに気がついた。カレーは日本だけのブームではなく、英語出版物の世界でも、どうやらブームらしいのだ。
 「もしかして、おもしろいかもしれない」と思って注文した本が届いた。
 Dave Dewitt & Arther Pais “A World of Curries ―― From Bombay to Bangkok , Java to Jamaica , Exciting Cookery Featuring Fresh & Exotic Spices” Little,Brown and Company,1994,Canada
 約19センチX23センチと、正方形のような本で、242ページ。参考文献や索引のページも多く、しかし、西洋の料理書では珍しくないのだが、カラーはもちろん白黒写真さえまったくないという質実剛健ぶりだ。世界のカレーを、料理法つきで150種を紹介しているらしい。
 タイの食文化については、当方、少しはわかるから、内容の信憑性を確かめる上で、さっそく読んでみた。


「タイの家庭やレストランでは、野菜や果物を彫刻した花を料理に添えるのは、ごく普通のことである」

 スイカで作った花などを添える高級レストランはあるが、それが普通のレストランではないし、ましてや「家庭で」となれば、よほど特別な家庭である。
 料理法を読んでみると、「カレーペーストを、オリーブ油でよく炒め」などと書いてある。タイ人がオリーブ油を使うわけはない。どうしてこういうおかしな 文章を書いているのかいぶかしく思い、調べてみた。どこの誰だかわからないが、トミー・タンとかいう料理人が書いたタイ料理の本から、料理法を紹介したよ うだ。その料理人の本には「タイ人はオリーブ油を使わないが・・・」と断った上ではあるが、タイ料理には使わないハーブ類も使った創作タイ料理本らしい。 つまり、「タイ風創作料理」を参考資料に使ったために、ヘンテコな記述になってしまった。著者は、いったい何を考えているのだろう。
 つまりは、世の料理本がそうであるように、読者の家庭でどう再現するかが最重要課題であって、例えば、それぞれの地で「カレー」がどう作られ、どう食べ られているかなどといったことは、関心外なんだとよくわかる。「ウチ」にしか興味がないのが、お料理研究家とその読者なのだ。自分や自民族の舌と台所と腕 前に合わせることが目的だから、食文化の資料にはまったくならない。
 お料理本や店ガイドをもちろん否定はしないが、そればかりじゃなあ・・・・。