225話 1965年ごろのヨーロッパの日本料理店


 前回の原稿をアジア文庫に送っってすぐに、知りあいから「日本人の海外旅行事情研究の参考になれば・・・」ということで、『ヨーロッパの旅』(辻静雄保育社カラーブックス、1965年)をいただいた。
 日本で海外旅行が自由化されたのが1964年4月だ。だからといって、この本を持ってすぐヨーロッパにいける金持ちなどごくわずかしかいなかったが、サ ラリーマンがフェラーリの本を買うような心境と同じようなもので、憧れの気持ちでこの本を買ったのかもしれない。若いサラリーマンの月給が2万円程度の時 代に、日本からヨーロッパまでの航空運賃は42万円である。月給の20倍と考えれば、現代の若いサラリーマンにとっては、500万円といった感じか。これ に宿泊費や交通費や食費などがかかるから、中古の「フェラーリ」なら、けっして誇張した比較ではない。
 この本の、カラーページの観光ガイドの部分は、まるでおもしろくもないが、巻末の情報ページの「荷物」とか「ホテルの利用法」(やっぱりビデの話が出てきた)といったミニ情報のほうが、時代を感じさせておもしろい。
 この本の最後のページに、「さすが」と言いたくなる記事が載っていた。巻末資料として載っているのが、「ヨーロッパ各地にある日本料理店・中華料理店の 名称と所在地」という2ページのリストだ。なぜこれが「さすが」かといえば、理由はふたつある。ひとつは、著者が元新聞記者にして料理研究家であるという ことだ。英語かフランス語のガイドブックの転用(盗用?)かもしれないが、リストを作る行為は、やはり素人ではない。「さすが」の、もうひとつの理由は、 やはり日本料理店か、せめて中華料理店の紹介が、当時の日本人旅行者には絶対に必要だと考えたのだろう。西洋料理のレストラン紹介は一切ないが、日本と中 国の料理店は紹介しないといけないというのが、1965年なのだろう。
 さて、この記事を読むと、1965年のイギリスにすでに日本料理店があったことがわかる。前回のこの雑語林で、イギリス最初の日本料理店は1972年だと書いたのは、どうやら誤りらしい。
 ヨーロッパにおける最初の日本料理店はいつ、どこにできたのかという問題には、私はほとんど興味はないが、行きがかり上、この『ヨーロッパの旅』にでている店を紹介しておこう。
・フランス パリ「京都」クイーン・エリザベス・ホテル内
・イタリア ローマ東京」Sardegna
・イギリス ロンドン「ニッポン・クラブ」Irving Street
・ドイツ ハンブルグ「湖月」、デュッセルドルフ「トーキョー」、ベルリントーキョー」

 中華料理店リストは省略するが、国名と掲載している店舗数だけ紹介しておこう。

・フランス     3店
・イタリア    4店
・イギリス     5店
デンマーク     2店
・スイス      4店
・ドイツ     15店
オーストリア  1店

 このリストがどういう方法で作成されたものかはまったく不明なので、リストそのものに対 して論じることは、あまり有益ではないとは思うが、ドイツの15店は多いような気がする。もちろん、フランスに中華料理店が3店しかないとは思えないが、 対日本人読者ということを考えると、駐在員が多いドイツを厚く紹介しておこうと考えたのかもしれない。
 ヨーロッパにおけるレストラン事情は、調べる気なら資料はいくらでもありそうなので、私は手を出さない。ただ、前回の記事の訂正と追加情報という意味で続編を書いた。
 そうそう、もう一点。巻末のミニ情報に「無銭旅行」という項目があり、その参考資料として、「ヨーロッパ一日五ドル旅行という本まであって(邦訳あ り)・・・」という記述もある。辻静雄といえば、調理師学校の「おえらいさん」というイメージがあるが、この本を書いたときはまだ30歳をちょっと過ぎた ころで、著者もまだ日本も若く、金銭的にも豊かではなかったはずで、さしもの辻氏も『ヨーロッパ1日5ドルの旅』(社会評論新社、1963年)という翻訳 書にも目をとおしている。と、まあ、旅行史の話を始めるときりがないので、ここまで。