234話 バンコクの伝説的ホテル「タイ・ソン・グリート」の、 35年目の真実



 インターネットで昔のタイの情報をいろいろ探していたら、古いホテルの写真に解説がついた貴重なサイトを見つけた(http://www.oldbangkok.com/)。 私の記憶にもある数々のホテルの写真を眺めていたら、そのなかに一軒だけ、異質のホテルの写真が載っていた。インターコンチネンタルとかリバティーホテル といった高級・中級ホテル群のなかに、室料の点でいえば、超々低級宿であるタイ・ソン・グリートの在りし日の写真が唐突に混じっていたのだ。
 バブル時代以前の1980年代の、たぶん前半にはもう消えてしまったオンボロ宿だから、活字資料が少しはあるかもしれないが、まさか映像が残っているとは思わなかった。
 Thai Song Greet Hotel という宿は、バンコク中央駅、通称フアランポーン駅を出てラーマ4世通りを左に曲がってすぐの、バス停そばに建っていた。駅近辺には文字通り、何軒かの駅 前旅館があって、タイ・ソン・グリートもその一軒なのだが、世界を放浪する貧乏旅行者たちに、何かのきっかけでその名を知られていた。一階が飯屋で、階上 が客室になっている典型的な旅社である。
 「バンコクに行ったら、タイソンに行け。旅の情報はそこで手に入る。知り合いに再会できるかもしれない」という話が、インドで、ネパールでささやかれ、 ガイドブックなどない時代の旅行者は、「タイソンに行けば、あとは何とかなる」という思いで、バンコクにたどり着いたのである。インドを旅行していた私 も、「バンコクに行ったら、タイソン」という情報をネパールで入手した日本人旅行者にくっついて、ドンムアン空港前からバスに乗り、安宿にたどりついたの である。1973年のことだ。
 その当時、大通りに面したうるさい部屋は25バーツ、裏側の少しは静かな部屋は30バーツだったはずだ。日本円で言えば、当時の30バーツは約450円である。学生アルバイトの時給が、150円から200円くらいの時代である。
 伝説的安宿タイ・ソン・グリートについては、『バンコクの好奇心』でやや詳しく書いているので、もっと知りたい人はそちらを参照されたい。インターネット上にも情報がいくらかある。
 さて、写真の話だ。ネット上の写真のおかげで、三十数年ぶりにタイ・ソン・グリートに再会できて、しばしセンチメンタルジャニーをしていたのだが、店頭 の看板が気になった。記憶のなかのタイ・ソン・グリートの看板は、「Thai Song Greet」というローマ字と、「泰松」という漢字だったのだが、その漢字が確認できない。あまり鮮明ではない店頭写真だから、看板の文字もはっきりとは 見えない。タイ語と英語と中国語の3言語で書いてある。
 英語で「THAI SONG GREETHOTEL」と書いてあるのははっきりと読める。
 漢字は「○○○大旅社」で、3文字の漢字があることはわかるが、それがどういう字なのか判読できない。泰松という2文字が入っているのか、いないのかもわからない。
 タイ語はあまり鮮明ではないので、タイとメールのやりとりをして解読した結果、タイ・ソン・グリートではないという驚くべき結果が出た。「ロングレー ム・タイ・ソン・キット」なのだ。いままでずっと、宿の名前を間違えていたのだ。ロングレームは旅館、ホテルのことだからいいとして、タイは、タイ国のタ イ。ソンは、意味はいくつかあるが、もっとも普通なのは、英語のstyleにあたる語だ。キットは「仕事」のことだが、社名や屋号の一部としても使う語ら しい。私のタイ語力では、全体としてどういう意味かよくわからないが、仮の訳として、泰流旅社としておこう。
 どうにも理解できないのは、kit がなぜ greet というローマ字表記になったのかということだ。kriit が kit と表記することはあるが、その逆は考えられない。
 というわけで、誰かが greet とローマ字表記したために、外国人は皆「グリート」と間違った名で呼んできたのである。35年目に偶然わかった真実である。