249話 『旅する力 深夜特急ノート』の読書ノート  第三話

 旅行記の書き出し




 沢木は『旅する力』の第一章「旅という病」で、『チャーリーとの旅』の冒頭部分を引用している。自宅に届いた『チャーリーとの旅』をすぐさま読んでみたが、もっとも記憶に残る文章は、いくつになっても旅への衝動は抑えられないと書く、この書き出し部分だ。
 そこで、ふと気がついたのは、有名な旅行記は冒頭も有名だということだ。すべてと言うわけでは無論ないが、著名な旅行記の冒頭は何度も引用されるだけの魅力がある。『なんでも見てやろう』しかり、『奥の細道』しかり。
 ポール・ニザンの『アデン・アラビア』を、沢木も引用している。

 「ぼくは二十歳だった。それがひとの人生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」(篠田浩一訳)

 この晶文社版は高いから買えず、私は角川文庫版(花輪莞爾訳、1973)を買った。読んだのは、数ページだけだった。引用したこの一行だけが有名で、あとは印象に残らない本だという沢木の指摘は、大方の読者の賛同を得るだろう。
 有名な書き出しでありながら、長年忘れていたのが、レビ・ストロースの『悲しき南回帰線』だ。次のような文章で始まる。旅が嫌いだと言う書き出しで始まる旅行記だ。

 「旅といい、探検といい、わたしの性にはあわない。とはいえ、わたしは現にこれから、いくたびかの調査旅行について語ろうとしているのだ」(室淳介訳)

 どうせなら、今、書棚に見える旅行記の冒頭部分を書き出してみよう。

 「いやいやながら山登りをはじめて十年目。とうとう世界五大陸の最高峰を全部この足で登ってしまったんだから、われながらビックリする」(植村直己『青春を山に賭けて』)

 「まったく知らなかったものを知る、見る、ということは、実に妙な感じがするもので、ぼくはそのたびにシリと背中の間の所がゾクゾクしちまう。日本を出てから帰ってくるまで、二年余り、いくつかのゾクゾクに出会った」(小澤征爾『ボクの音楽武者修行』)

 「ゾクゾクしちまう」という表現は、裕次郎だぜ。時代がわかる。

 「ある朝、眼を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ。私はインドのデリーにいて、これから南下してゴアに行こうか、北上してカシミールに向かおうか迷っていた」(沢木耕太郎深夜特急』)

 「はじめてトルコ共和国の土を踏んだのは、確か一九七〇年の秋のことである。旅の第一印象は消えにくいのが普通だけれど、ことトルコに関する限り、遠い遠い靄の中の追憶にすぎない」(小島剛一『トルコのもうひとつの顔』)

 いまさら悔いてもしょうがないのだろうが、私も冒頭に神経を遣って文章を書き始めれば、 少しはマシな原稿になったのかもしれない。文章修行などまったくせず、自分の文体の獲得に努力もせず、人の心を打つ書き出しを工夫することもせず、ただダ ラダラと文章を書いてきた結果が現在の、この私の、このテイタラク
 ここまで書いたところに、きょうも本が届いた。ちょっと前までロンリー・プラネットのラテンアメリカ担当だったライターで、取材をせずに原稿をでっち上 げていたと告白した「お騒がせ男」が書いた本だ。その本、”Do Travel Writers Go To Hell?” ( Thomas Kohnstamm, 2008)は、自伝でもある。
 最初のページの大意はこうだ。
 「私の名はトーマス。もうずっと昔から、旅は人生の一部になっている。
 何年も前から、旅の生活をやめて、文明社会に戻って、仕事を探し、銀行口座を開き、将来を考えるまともな生活をしようと、幾度も思ったのが、また旅に戻ってしまった。私は、いままで自動車もテレビも家具も持ったことがない。
 ある時、気がついたのだ。旅の病を抑えることなどできないのだから、いっそ最良の解決策を選べばいいのだ。旅のプロになってしまえばいいのだ」。